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ドストエフスキー、地下室から出てきて

ドストエフスキーの『地下室の手記』がおもしろい。

どうおもしろいかというと、
『地下室の手記』は、


引きこもりの引きこもりによる葛藤小説なのだ。


ドストエフスキーとは、

ロシア帝国小説家思想家である。レフ・トルストイイワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。

Wikipediaより

こういう作家である。

思想家、哲学者たちの本はとにかく独白が多い。

この本の主人公、地下人間は社会から孤立した(虐げされてはいない)公務員である。

地下人間。


引きこもりの言い換えみたいな言葉だ。
こんな主人公が公務員なところが良い。

公務員の主人公は〝公務〟のため、市民たちから心ない言葉を投げかけられたりする。

これに主人公・地下人間は、
「くそっ、労働なんて辞めたい!!!」
となる。

なんとなく普段の私と似ている気がする。
私も公務員だからシンパシーを感じる。

そんなこんなで公務員を辞めた主人公は晴れ晴れと引きこもり生活に入っていく。
だが、地下人間の葛藤は終わらない。
人間の冷たさ、愚かさに(引きこもってるのに)嘆き、地下室で苦しみ続ける。

…ざっくりいうとこういう小説だ。

著者のドストエフスキーもそれはそれは悩み多い人だったろう。

確かに家もいい。だが、外に出ると良いこともある。
今日は私の横を蝉が飛んでいった。
夏を感じた。

あと、喫煙所の生ぬるい風も良い。
温度計は35度をさしていた。
なんで私はこんな狭い所で顔を顰めてるんだろうと思いつつ、タバコを吸う。

あと、なんといっても外から帰ってきた時のクーラーの涼しさは欠かせない。夏に生きてる感じがする。

部屋にいると確かになにもない。
何も嫌なことが起こらない。
満員電車に揺られることもない。やや禿げたオジサンに愛想笑いすることもない。先輩に書類のミスを怒られることもない。
でも考えてしまうのだ。

私ってなんで生きてるんだ?


引きこもってると、死んでるのと同じ気がしてくる。むしろ、死んでるのとどう違うんだ?と考えてしまう。

私には休職期間(正確には病気休暇)がある。
1ヶ月を超えたあたりから、働きたくてウズウズしてくる。辛い。

ドストエフスキーは思想家だ。
考えることが生業だったのだ。
だから考えて考えて、辛くても考え続けた。

ドストエフスキーが八百屋で働いてたらどうだったろう。いや、無理だろうな。小松菜とほうれん草の値段の違いに理不尽さを感じて、すぐ辞めてしまっただろう。

私はよく無職の人とカウンセリングをしている。引きこもって犯罪に走る人もいる。引きこもりは何より精神に良くないと他人を見ていても、自分でも、感じてきた。
私はドストエフスキーに言えるだろうか。

「ドストエフスキー、地下室から出てきて!」


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