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うつせみ

 今朝ひとしきり泣いたあと、うつむいていた顔を上げると、真っ白な室内に明るい日差しが溢れていた。テラスに出る。爽やかな風がさらりと頬を撫でてゆき、遠くに見える水平線が紺碧にかがやいている。azul…初秋の海の色。

 亜熱帯の島から帰ってくると、辺りはすっかり秋に落ちていた。鈴虫の音に、力尽きたであろう夏の蝉たちを思う。空蝉、彼らの抜け殻に自分を重ねてみたり。けれども、わたしはまだ現身なのだと、この世で生きていかねばならぬ身なのだとも。つと、湯を沸かそうとキッチンに立つ。気がつけばおなかが空いていた。

 今回の旅で心に残った食事は、原生林めいた森の中、素朴なカフェでいただいたフムスである。4WDで植物をかき分け細い山道を進み、突如現れた巨大な墓—美しい石でできた端正な墓—の前の空き地に駐車した。そこから先は徒歩でしか登れない。一歩一歩登る小道、森は不思議な音楽に満ちていた。無数の虫や鳥たちが奏でる音楽。この世ならぬ響きが耳にこだまする。これは鳥?なんだろうね…?木漏れ日の中、天空に放り出されたような空気の振動に包まれながら二人、ツリーハウスにたどり着いた。

 崖の上に張り出した外のテーブルに座った。樹々の枝の下、眼前に広がる透明な海はどこまでも穏やかだった。海風が心地よい。フムスはひよこ豆をつぶしたペーストで、わたしの大好物だ。メニューにあったので迷わずオーダーしたが、ここのお店のものはクレープ様に軽く焼いたフムスであった。具材を自由に包んでいただくのだ。

 食事中も、この世ならぬ音の響きを楽しむ。ふと、宇宙的な反響音がひときわ高く聞こえてくる木の幹に目を凝らすと、驚くほど大きな蝉がいた。グレーの羽を必死で震わす。それが、原生木のうろ、洞に反響して音楽を奏でているのか、まるで楽器のように…

 そうして夏の旅も終わり、いま、秋の国で茫然としている。

静けさ

葡萄は熟した 畑は耕され
山が つと 雲から離れる

埃っぽい夏の鏡に
影が落ちる

おぼつかない指にはさまれて
明るく 光っている
遠くで
燕たちと いっしよに
もう これきりの 苦悩が 去ってゆく

ジュゼッペ ウンガレッティ
須賀敦子『イタリアの詩人たち』

「ほんとうに燕たちが、なにもかも持ち去ってくれるのなら、どんなにいいだろう。」
そう、須賀敦子さんも記している。

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