『結婚って素晴らしい!~恋愛・結婚を諦めたあなたへ~』【前半】
厚生労働省が発表した統計によると、2022年9月の日本の婚姻件数が、なんと戦後最小を記録したそうです。
現在、国家をあげて“異次元の少子化対策”と銘打って、子育て世帯の負担軽減などの改革に乗り出していますが、そもそも婚姻数が減ると出生数の減少は避けられず、この婚姻件数の減少が、少子化問題の温床になっているとも言えます。
今回ご紹介する女性は、恋愛・結婚だけが上手く行かなかった人生でした。
そんな彼女がミロステクノロジーに出合い、上手く行かないメカニズムを理解したことで、複雑に絡み合った人生が紐解け、念願だったパートナーと出会い、幸せな結婚を手にしたのです。
◆プロフィール◆
Rさん 40代【女性】
町工場を営む父と、経営を支える母との間に3姉妹の末っ子として生まれる。
教育熱心な親の影響で中高一貫校に進み、親元を離れ寂しい寮生活を送る。
大学卒業後、故郷に戻り、現在は両親の家業を継ぐ傍ら、ゲストハウスの経営もしている。
その後ロシア人のご主人と出会い、ロシアのウクライナ侵攻勃発の苦しみを経て待望の結婚を果たし、今ではご両親のいる故郷で幸せな結婚生活を満喫している。
チャレンジ精神旺盛な彼女は、映画の制作や伝記漫画本の出版なども体験。2020年東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれるなど、自分に秘められた無限の可能性を体現。今後も彼女のチャレンジは続く。
☆interview☆
<インタビュアー:松浦 健太郎 研究員 /ライター:桒山 早苗 研究員>
~前半~
■医者か弁護士になれ!
町工場を経営している私の父は、職人気質のエンジニア。
そんな父を支えているのは、過去に大使館に勤めた職歴を持つ母。
この父と母の間に生まれたのが、二人の姉と末っ子である私の3人姉妹です。
7歳年上の長女、5歳年上の次女と私は、小学校の頃から塾に通わされ、勉強、勉強の毎日でした。
漫画を読んだり、当時女の子の間で大人気だったリカちゃん人形で遊んだりすることなどは禁じられていました。
そして私たち姉妹は中学、高校とエスカレーター式の進学校へ進み、親元を離れての寮生活を余儀なくされたのです。
末っ子で甘えん坊だった私は、小学校を卒業してすぐに親元を離れることはとても辛く、入学してからほぼ毎日泣き続けました。
休みの日になると、友達の家族は我が子に会いに来るのに、私の家族は誰も来てくれなくてとても寂しい思いをしたことを覚えています。
当時抱えていた外見コンプレックスなどの悩みやイジメの体験も誰にも相談できず、ずっと一人で耐えてきました。
そんな辛かった中学、高校生活が終わり、次なる進路へと向かったのです。
学生の間、私たち子どもが父からずっと言われ続けた言葉、それは
「医者か弁護士になれ!」
でした。
■都会から故郷へ
一番上の優秀な姉は父の希望通りに医者となり、2番目の姉は有名なお嬢様大学へ行き、その後結婚。私は私立難関と言われる東京の大学へと進学しました。
都会での4年間の大学生活を満喫し、卒業後東京のお台場でIT企業に就職した私は、バリバリと仕事をこなしながら、海外のボランティア活動にも関わり、自分にいろんな可能性を感じてワクワクする毎日を送っていました。
ところが、田舎の両親が突然東京にやってきて「家業を継いでほしい」と頼んできたのです。
年老いた両親、従業員のこと、微力ながらも地域社会に貢献している父の経営する工場のことを聞かされた私は、キラキラと輝くような可能性を手放し、後ろ髪を引かれる思いで、会社を継ぐためにやむなく実家に戻ることになったのでした。
それは私が26歳のときでした。
それから実家に帰り、仕事や家族との人間関係は順調で特にこれといった問題はありませんでしたが、都会にいたときも実家に戻ってからも、恋愛だけはずっとうまくいかず、恋愛のことだけが悩みの種でした。
■実らない恋愛
というのも、20代前半の頃から好きになる人はすべて既婚者。
いわゆる“不倫”という歪んだ形の恋愛ばかりを続けてきたのです。
実る(不倫の成立)相手もいれば、実らずただ一方的に思いを寄せるだけで終わる恋もありました。
「してはいけないことをしている」という背徳感。
頭では分かっていても、つい繰り返してしまう。
そんな自分に自己嫌悪しながらも、寂しさや罪悪感を埋めようと、再び実らない恋を求めてしまい、そしてまた自己嫌悪に陥るという繰り返し…。
無限とも言える負のループから抜け出せず、苦しみのドン底にいたときにミロスに出合いました。
カリキュラムを受ける度に、少しずつ自分を理解していったことがあります。それは
・自己評価が低いこと
・結婚への恐怖があったから敢えて結婚できない相手を選んでいたこと
・結婚しないことで、両親の傍にいて、小さい頃に甘えられなかった寂しさを埋めていること、など。
■失う恐怖
更に「もっと自分を知りたい」と思い、カリキュラムに真剣に向き合っていくプロセスの中で、ある時、我が家のペットを亡くしたときのことでした。
大切にしていたペットを亡くし、喪失感で悲しくてずっと泣き続けていた私を見かねた母が
「ペットが死んだくらいでなんなの!おばあちゃんは3人も子どもを亡くしているんだよ」
と言われてハッとしたのです。
《失う恐怖》
先祖の我が子を失う悲しみを、ペットを通して追体験している私。
更に言えば、私がずっと続けてきた不倫は、実は
「子どもを産んで失う悲しみを体験したくないために、敢えて子どもを産まなくていい相手を選んでいた」
ということを、システムを通して理解したのです。
子どもだけでなく、祖母は、前夫も結婚してすぐに亡くしており、その後再婚した夫(祖父)も先に亡くしています。
「どうせいつかいなくなる、それならば最初から手に入れない方がいい」
という諦め。
だから私は“不倫”という実らぬ恋を続けていたのだと、腑に落ちたのです。
私の傷ついた女性性は一瞬で癒やされ、長きに渡る不倫人生からも脱出できたのでした。
たった1人を愛し、パートナーと共にやっていく。
そこに究極の秘密があるのかもしれない…。私はそう感じ始めていました。
■復讐劇の終焉
私はそれからもカリキュラムに触れ続け、「自分の知らない自分を知る」ということを徹底して追求しました。
その度に、過去に封印していた思いが蘇り、解放されていくという体験をしていったのです。
ある時ふと蘇ってきたのは、前述の中学・高校と親元を離れ寮生活をしていた時の“寂しさ”です。
私はこの寂しさを誰にも言えず、ずっと押し殺してきました。
「今まで見ないようにしてきたこの感情としっかり向き合おう」
私はカウンセリングを通してじっくり感じてみました。すると出てくる、出てくる…。
嗚咽と共に
「寂しかった!どうして一人にしたの?どうして?寂しかった!」
という、当時封印した感情が溢れ出し、そしてその想いはいつしか
「親は自分の見栄で子どもに良い大学、良い職業に就かせるために寮生活をさせたんだ!」
という怒りへと変わり、両親を恨んでいたのです。
そして「幸せにならない姿」を両親に見せることで、
「あなた達の子育ては間違っている!!」
ということを人生をかけて親に抗議し、幸せにならないことで親への復讐をしていたということを理解したのです。
これには「まさか!」と驚きました。
しかしそういう視点で見た時、私が不倫をしていたことも辻褄が合ってくるのです。
《寂しさ》という片側しか当時は見ることができなかった私ですが、システムを知り視点を得た今は、学歴がなく苦労した父が、子どもには苦労させまいとお金をかけて最良の教育をしてくれたという、もう片方の“愛”を感じることができています。
また、当時、休みの日に寮に家族が会いに来てくれなかったことも、町工場で休みもなく子どものために一生懸命働いていたからだったのだと、今なら理解できます。
こうして、親に対する復讐劇は終焉を迎えたのでした。
後半へ続く…
後半はこちらから
https://note.com/vast_eagle460/n/n88632c433d25