見出し画像

痛みの裏には願いがある 「無意識がわかれば人生が変わる」読後感想

5年ぶりの海外、ベトナム旅行中に読んだのは、前野隆司・由佐美加子著「無意識がわかれば人生が変わる」
由佐さんが提唱されているメンタルモデルや、痛みについての対話がなされています。

人は痛みを回避または克服することで、その痛みを経験しないように生きている・・・
どんな痛みがあるのか?それがメンタルモデル※に示されている4つの類型です。

※正確な情報や詳細はこちらをご覧ください:http://mentalmodel.jp/

メンタルモデル 4つの類型

A.価値無しモデル
「(こんなにやっても)やっぱり自分には価値がない」
代償:他人軸で生きるため、自分がなくなる。
理想:人や自分はいるだけでいい、存在する価値ですべての人の価値が認められている世界
#価値を出せなければ自分はいる意味がない#成果#人からの期待・評価・承認#意味のあること#有能#課題解決が得意#休まず動く#確実に勝負できるものを選ぶ

B.愛なしモデル
「(こんなにやっても)やっぱり自分は愛されない」
代償:人に過剰に尽くし、自分の真実を生きられない。
理想:誰もが自分を無条件に愛し、ありのままを受け入れ理解しあえる関係性で人間同士がつながっている世界
#寂しさ#つながり#一人が怖い#真実#本当のことをわかち合いたい#相手を不快にさせたくない#理解し合える関係性#人に与えすぎる#思うように愛されない#ありのままでは愛されない#問題はちゃんとわかりあいたい

C.ひとりぼっちモデル
「しょせん自分はひとりぼっちだ」
代償:常に自分や人、世界を割り切って捉え、決してなくならない孤独を抱える。
理想:"ワンネス"(人が命の全体性の一部を担い、その一部として生かされている)の中で誰もが自由に自分の人生を生きている世界
#孤独感#しょせん人は一人#来るもの拒まず去るもの追わず#人に入れこまない執着しない#人の目は気にしない#一匹狼#人間が面倒くさい#自由に生きたい#従属しない、縛られたくない、縛りたくない#「好きにしたらいい」#いてくれるだけでいい#非言語(自然や動物)が好き

D.欠陥欠損モデル
「(こんなにやっても)やっぱり自分はダメだ」
代償:人の中で安心して自分でいられない。心の平安がない。
理想:"凹凸のまま"で人は完全で、誰もがどこにいても内側に何があってもありのまま安心して存在していられる世界
#自分には何か足りない#自己不信#すぐ不安になる#「私は大丈夫か?」#表に立つより裏で采配#自分を責める#他者比較#自分の至らなさが気になる#不安から行動#やることが多い#モノを捨てられない#人の役に立とうとする#隠れて努力#安心していられる場所を求めている

前野隆司・由佐美加子著「無意識がわかれば人生が変わる」

誰もがこの4つの痛みを抱えていて、グラデーションのようにつながっているイメージ。ただ根っこにあるものは1つに絞られるそう。
ただ1つに絞れなくたっていいし、間違えてたっていい。
こういうのって「自分はどれだろう?」ってめっちゃ気になっちゃうんですけど、その答えが出ようが出まいが、どっちでもいい。

大事なことは、これらの4つの痛みと自分にとって不本意な現実を照らし合わせて考えてみると、自分の採用しているメガネに気付けるということ。

メガネを外すことで、客観的な事実が見えてくる。メガネは自分の思い込み。そしてそれはそのとき、必要に迫られて自分で(無意識に)選択した思い込み ということのようです。

コーチングが日常会話とちがうところは、こうした「痛み」を取り扱うところ。
自分の認識というのは経験から作り出しているものがほとんどであって、それは自分がそう思い込んでいるだけ
自分にとっては紛れもない真実も、客観的な事実とは異なるということですよね。

この自分の無意識を知る、ということがまさに見える世界が変わっていく

由佐さんは以下、YouTubeでも素晴らしい対話(コーチング)をされています。

「会社が倒産したら何が証明されるの?」

という経営者への問いが由佐さんの鋭さを感じます。

客観的な事実だけいうと、
会社が倒産するということは、立ち上がった組織が最善を尽くしたが終わりを迎えただけ。
なんならまた再度組織を立ち上げればいいだけの話。

でも人は痛みを通じて事象を見るから
「自分が経営者としてダメ・失格であることが証明される」
(その痛みを回避したい)

主観の認知と客観的な事実のちがいってすごいですね。

よく「感情と事実をわけること」が人との関係性でストレスをためないコツとも言われますが、まさにそんな話ともリンクします。

自分の無意識やメンタルモデルに気付いたあとは?

「I am not enough(不十分)」ではなく「I have "not enough(不十分)"」
すごいですね、英語の方がわかりやすいです。

「私はダメなんだ!」
ではなく
「私はダメなんだ!というレッテルを選んでいる!

なんだかストレングスファインダーの資質を思い出しませんか?
そう、ストレングスの上位資質はまさにこの「I have」で考えられるヒントをくれます。

そう、「I am」の状態だと、
「私は上司の言われた仕事もできない、社風に馴染めない、こんな私はだめなんだ。どうしよう」

「I have」になると
「そうか、私がこうやって手順書通りに何のアレンジも加えずただ淡々と仕事するのが苦手なのは、"戦略性"や"着想"、"アレンジ"、"適応性"といった変化を起こす資質・変化にノるのが得意な資質が上位にあるから。
そういう方が好きだし、まず結果を出しやすい。
そして完璧主義っぽいところは"最上志向"が叫んでいるのかな~
そりゃあ素直に相談もできないわけだ~~~
ここは一歩、私のアクセル全開の上位資質たちのスピードを落として、素直に話してみよう。私は"ポジティブ"も上位だし、にこにこやれば周囲も助けてくれるはずだ」

という感じでしょうか。
「私はこうだ」でなく「私にはこういう資質がある」で考える。
なので私の存在(I am)に問題があるわけじゃないんですね。原因としては単に資質と業務内容や職場との相性が悪い。あとは私の思いこみ。

ストレングスファインダーでも時には資質から離れることも大事ですが、それっていうのは「レッテルから離れる」ということなのかもですね~
自分の持っている持ちモノ、かけているメガネは一旦地面に置こう。
素足で歩いて、裸眼で一回世界を見ようということなのかな。

「I have」のレッテルを選ぶということ

「私はダメだ」のレッテルが悪いことか?
いや、そのレッテルを選ぶことで、自分が猛烈に頑張れたり、普段できないチャレンジに身を投じたりできるんですよね。
とある本では「ブラックエンジン」とも表現されていました。

そしてそのレッテルに違和感を感じ始めたとき、新しいレッテルを採用するときなのかも。

今の自分に押し上げてくれたレッテルとして、感謝ができる。
まさに「自分の資質に感謝」する、とイコールですね。

「これまでのレッテルさん、ありがとう!バイバイ!
そして新しいレッテルさん、こんにちは、よろしく!」

ちなみに新しいレッテルって?

それはだいたい極にある。
「不十分だ」であれば「十分だ」の世界

自分にとって不都合な現実を作りだしているレッテルに気付いたら、今度は自分の作り出したい現実のレッテルを自分に貼る。つまり、

「このレッテルを採用するんだ!」と決めるだけ!

だそうです。笑

じゃあ今度「このままじゃだめだ」って思ったらまた「不十分だ」のレッテルを貼って頑張るのかな?そんな気もする

なんかすごい話だけど妙に腑に落ちるな~~~
と思いました。

私はこれまでクライアントさんと「じゃあこの2週間何をしますか?」等と宿題を決めてきましたが、
「自分が自分に貼る新しいレッテルを決める」感覚も持ってみようと思いました。

これは仕事だけでなく、自分自身にも。

まとめると

・私たちには「無意識により作り出される認知=かけているメガネ」がある
・過去の痛みを回避or克服しようとして現実を作り出すのが人間の通常OS
・どんな認知(メガネ)があるか:あなたの価値観、4つのメンタルモデル、ストレングスの資質等がヒントになる
・不都合な現実が展開されているときは:自分がかけているメガネがあわなくなっているとき、レッテルを貼り替えるタイミングのとき
・今までのレッテルから新しいレッテルを貼ろう。不都合な現実から自分の願いにつながり、そのメガネをかけよう。新しいメガネをかける!と決めるのです。決めるのみ!(頑張らなくてOK!だそう)

おもしろい本でした!
個人的に「認知」に関心がある方はハマるのでは?と思います。
私は大学時代から「認知」に関心があります。コーチングが好きなのも、「認知」という深いところにまでアクセスできるからだろうなと感じています。
しかも意外とビジネス(経営やマーケティング、マネジメント)にもつながりますしね。

私も新しいメガネをかけよう!ベトナムでクラックしてしまったサングラスを買い直そうっと(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?