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「親に『俺』と言えない問題」〜男性性と親からの自立〜

はじめに

 

 私は成人済みの男性だが、未だに親に「俺」と言えないでいる。全く理解不能と思う人もいるだろう。まず、私の抱えているこの問題「親に『俺』と言えない問題」(以下、「俺」問題)についてもう少し詳しく説明しよう。

 「俺」問題とはなにか。簡単に言えば、「なんか恥ずかしくて親の前で男性名詞、とりわけ『俺』を使えないこと」である。なぜ恥ずかしいのか。おそらく、それは「男性性」と「親からの自立」が関係している。

男性性を示すことの困難

 

 まず男性性のほうから説明する。結論から言うと、これは男性に限った話だが(女性の場合はどうなるのかは分からない)、「自分が男性であるということを親に示すのが恥ずかしい(抵抗がある)」ということだ。

 思えば、私は昔から親の前で男性性を示すのが苦手だった。子供の頃は「〇〇(自分の名前)」、「おれ(イントネーションがなぜか変)」、「ウチ(今思えば気持ち悪いと思う)」など、不安定且つ奇妙だった。

 思春期頃になると、私は親の前で一人称を失った。このくらいの年代なら「俺」と呼ぶのが普通だし、おとなしめの子なら「僕」といったところだろう。だが、私は全く一人称がなくなってしまった。では、どうやって自分のことを指していたかというと、自分を指さしたり、話の文脈を親に汲み取ってもらうことが多かった。それでもどうしても伝わらないときは、嫌々、苦渋の思いで「僕」とか「私」とかを使った。こんなことは高校生くらいまで続いた。

 大学生になると、ようやく「俺」をたまに使えるようになった。それでも基本はジェスチャーや文脈で読み取ってもらっていた。私はもうアラサーの良い大人だが、今も一人称は基本的に使わない。たまに「俺」が出る程度だ。ただ、平時では滅多に使わず、怒ったときや、興奮状態にあるときに、勢いに任せて「俺」と言うことがほとんどだ。要するに、私の「俺」問題は未解決なのである。

 この問題、結構な悩みで、単純に自分を指す言葉がないのは不便だし、未だに恥ずかしさを感じている自分が情けなくもある。いつまで親との関係がはっきりしないんだと、自分が嫌になってくる。この問題の原因は、前述のように、ひとつは親の前で「男性性」を示すことへの抵抗感だ。とりわけ思春期にそれを示すことに躓いたのがよくなかった。私は自分が男性であるという性自認はあるし、友人の前では男性性を示すことは問題なくできる(「俺」と言うこともできる)。だが、親の前でだけそれができないのだ。

 男性性の最たるものは「女性愛」だと思うが、私は親の前で「恋愛」とか「異性」の話をしたことがない。親とお茶の間でテレビを見ていて、若い女性タレントが出ると、未だに恥ずかしくていたたまれなくなるのだから重症だ。これは、思春期に、親から性的なことをある種抑圧されていたからだと思う。

 ひとつ、印象的なエピソードがある。中学生のころの話だ。テレビのCMにAKBの前田敦子が出てきたとき、「あんた、こういうの可愛いと思う?」と母親から藪から棒に聞かれたことがあった。それに対して、「まぁ、いいんじゃない」と、私は恥ずかしさから斜に構えて答えた。すると母親は「え!?そういうの興味ないと思ってた」と驚いたのだった。

 母親は「こいつは女とか恋愛に興味ないんだろうな」と勝手に思っていたのである(私があまり活発な性格ではなかったからだろう)。普段からそういう気分がなんとなくこちらにも伝わってくるので、親の前でそういうものに興味があることを示すことはできなかったし、その帰結として男性性の象徴である「俺」という一人称が使えなかったのである。

 要は、「いつまでもこの子は『子供』である」と親から思われていると私が思っていて、そのイメージを壊さないよう、いつまでも子供のように振る舞っていたのである。私は今でも親の前になると「子供」になってしまう。親の前では「大人」=「男性」になるべきではないと思ってしまっているのだ。だから、男性的な「俺」という一人称を使えないのである。本当はもう、大人(男性)になりたいのに。

親離れのできない私

 

 それからもうひとつの原因は「親からの自立」の問題だ。これは先ほどの男性性の話とも繋がるが、結論を言うと、「親から自立できていないがゆえに『俺』という男性的(立派に勤め上げる大黒柱としての男性)名詞を使えない」ということだ。

 私は現在、アラサーにして大学院生をやっている。無職期間などを経ているので、同年齢より数年進学が遅くなっている。アラサーといえば、とっくに同年代は当然に就職して、もう結婚、出産を経験している人も少なくない。それなのに私はといえば、最近までニートだったし、今は再び学生身分。今までろくにバイトもしたことがないし、彼女を作ったこともない。将来設計とか人生計画など微塵も考えていない。要するに、同年代の連中と比べてあまりにも一般的な経験が不足しているのだ。

 こんなものだから自立感などあるわけがない。まさにパラサイト・シングル。ネットスラング的にいえば「子供部屋おじさん」だ。前述した思春期での躓きに加え、自立感のなさによって、私は未だに親と対等な関係を築けていない。親は未だに「自分の世話をしてくれている存在」=「おとうさん、おかあさん」なのだ。これでは「俺」なんて偉そうに言えるわけがない。

 さて、ここまで私のエピソードを記述してきた。この「俺」問題は、ネットで調べてみると案外少なくない数の人が抱えている問題だそうだ。恐らく彼らも(男性ならば)「男性性」と「親からの自立」に困難を抱えているのではないだろうか。私と同じような問題を抱えている人が読者のなかにいれば、ぜひ話を聞かせてほしい。


おわりに

 

 『親に「俺」と言えない問題』(「俺」問題)。さも深刻なように語ってきたが、これを克服するのは恐らく簡単だ。さっさと働いて自立して、結婚して子供をつくればいい。「男性性」と「親からの自立」のふたつを同時にクリアできる。しかし、簡単なようで実はむずかしい。私のような、甘ったれ根性の染みついた、親の前でいつまでも「子供」でいる人間には、容易なことではない。こういう人間の親は、子供を何歳になっても甘やかすし、過保護なので、それもいけないと思う。

 私は今、なんとかして親から自立をしようともがいている。本当は就職などしたくはないが、自立のために少しずつ準備を進めている。結婚はどうだろうか。これについてはちょっとまだ保留中だ。人にはペースというものがある。私は私のペースで、少しずつ、だが確実に「自立」していきたい。そうすればたぶん、私は「俺」になれると思う。

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