5. 日本語の世界観_世界の中心はいつも私。
日本語の物の見方についてです。
日本語の物の見方、世界観の一番の特徴は、誰かに何かを話すとき、あたかもその誰かをおんぶして、その人の顎を自分の肩の上に乗せさせて、自分が今見ている景色を他人に見せてあげるように話すことだと思います。
このことをクライエントに説明するとき、私は「日本語は、世界の中心がいつも私なのよ~。アイ アム ザ センター オブ ザ ワールドなの~」などとよく言います。
なかなかインパクトのある表現でしょう?「アイ アム ザ センター オブ ザ ワールド」って。
これは日本語の時制についてもそうだと思います。
友だちに、自分が昨日したことを話している場面を考えてみます。
「昨日、恵比寿のガーデンプレイスに行ったんだよね。もうクリスマスのデコレーションがしてあってさあ。すっごい大きいバカラのシャンデリアが中庭にどおん!ってあったの。暗くなると電源が入るんだけど、すっごくきらきらするんだよ、あれ。今度一緒に見に行こうよ。」
昨日の話ですが、「電源が入るんだ」や「きらきらするんだ」って、過去時制じゃないですね。でも、違和感はない。
でもこれ、英語だったら全部きっちり過去形で話されますよね?
日本語では、話し手は過去の話をするときに、非過去の時制も織り交ぜて話すことで、聞き手が自分が経験したことをあたかもリアルタイムで見られるかのように話します。そのとき、話し手は物理的には「今」という場にいますが、感覚的には「昨日のシャンデリアを見ている場面」にいるわけですよね。
そうやって話に臨場感を持たせる。
別に「暗くなって電源が入ると、すっごくきらきらしていたんだよ」でも日本語として問題は無いのです。でも、「昨日のシャンデリアを見ている場面」感は無くなって、過去に起こったことを俯瞰的に話している感じがします。
日本語学習者が話す日本語には、この俯瞰的な話し方が多いように思います。ということは、その人はまだ日本語の世界観に慣れ切ってはいないのかな?ということですね。