見出し画像

11月に作られた「食糧危機」がくる!?

コメの品薄状態が深刻化する中、2024年産の新米がようやくスーパーなどに出回り始めました。米不足も徐々に解消されるマスコミや業界の見通しです。新米の店頭価格は昨年より1.5倍以上と大幅に高騰しています。

コメの品薄や価格高騰はなぜ起きているのか。2023年の猛暑による不作やインバウンド(訪日外国人)の増加でコメの消費が増えたためだと言われていますが、両方とも主な原因ではありません。そもそも2023年産米の場合、コメの出来具合を示す「作況指数」は101で平年並みでした。「平成の米騒動」を招いた1993年産米の作況指数は74。2023年産は特に高品質のコメが不作で、消費者が欲しがるコメが減ったからだとの見方もありますが、凶作だったわけではありません。

一方、インバウンドの消費増もそれほど大きいとは言えません。月約300万人の訪日客が日本に1週間滞在し、日本人並みにコメを朝昼晩食べると仮定しても、その消費量は全体のわずか0.5%程度だと言います。実際にはコメを3食とる訪日客は多くはなく、消費量はもっと少ないはずです。

私はコメ不足の真の原因は生産者がここ数年激減しているからだと思います。需給が逼迫して、車で言えばハンドルの遊びがなくなったのです。コロナとウクライナ戦争、円安の影響で燃料費や光熱費が高騰、光熱費は1.5倍、窒素・リン酸・カリなどの肥料代は2倍に高騰していると言われます。そして5割の農家は赤字なのです。

それに加えて、コンバインや田植え機、トラクターなど農業機械も20年前に比べると1.5倍以上に高騰しています。高齢のコメ農家のコンバインが壊れたら、1,500万円の投資をしてコンバインを購入しなければなりません。赤字の状況で将来の採算性が立たないまま新規投資する農家はいません。「米農家は自分の代で終わってもいい。息子を後継者にしたくない」と米農家の廃業を決断する人が増えているのです。

耕作ができない田んぼは大規模生産農家、農業法人が引き継ぎます。大規模生産農家や農業法人は、農協に出荷するよりもスポットで取引する業者に引き渡す場合が増えているのです。農協が提示する概算金も高騰していますが、スポット取引する業者の提示金額がそれ以上に高いのです。

2024年6月頃からスーパーの店頭からコメが消え始めたのは、スポット取引する業者が前年の1.7倍以上で買い上げているからです。私は現在のコメ不足は、中間業者の買占めと売り控えで店頭在庫が品薄になっているためです。これら業者が、11月以降在庫を放出しなかった場合、今以上のコメ不足になります。

また、政府が備蓄米を放出し、相場が下落すると、在庫を抱えている業者が破産するばかりか、米農家でも廃業や破産者が増えます。さすれば、来年以降コメを作る農家がいなくなります。前にも後ろにも動けない状況なのです。コメは投機の対象なのです。

8月5日に株式市場は大暴落しましたが、投機家は新NISAがスタートする今年1月よりこっそりと売りに出ているのです。株価はそれ以降上げ下げを繰り返していますが、長期的に株価は下がり続けると思います。

話は変わりますが、今年になって、新幹線の運休が多いと思いませんか。4月2日は東北新幹線が福島駅での夜間工事車両の故障により終日運休。7月22日は東海道新幹線が保守車両同士の衝突により脱線で終日運休、8月16日は台風7号の接近で東海道新幹線が終日運休、8月30日・31日は台風10号の接近で東海道新幹線が一部区間で計画運休です。新幹線の計画運休が業態化すると、政府による「緊急事態事項」に対するアレルギーを緩和させる目的があるかもしれません。

今国を挙げてDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進しています。中でも流通DXは、①オンラインとオフラインの融合、②電子棚札を用いたダイナミックプライシング、③店舗の無人化、④AI需要予測システムの活用、⑤在庫管理システムの活用がメインだそうです。データとデジタル技術を使って、省力化、無人化し、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立することが目的とされます。

私は、これは大変危険な思想だと思います。人間は「心」で感じ、「頭」で考え、「手(と足)」で実行することで、周りの人に役に立ち、喜ばれる存在になれるのです。喜ばれる存在になることが人間の「魂」の成長です。

DX化を進めると、「心」で感じる必要はなく、ビッグデータで消費者の「心」らしいものに合致するようなレコメンドをAIがします。店員は「頭」を使う必要はなく、すべてAIの指示に従います。機械でできないこまごまとした雑用は人間がします。人間は「手」としか存在価値がなく、人間としての機能が発揮するシーンはなくなるのです。

DXの盲点は、テロや災害により電源を喪失した場合です。工場は生産不能になり、店舗は閉鎖されます。店舗を再開しようにもスマホが使えないのですから、タイ〇ミーで従業員を募ることもできません。キャッシュレスも機能不全になります。

DX化を疑問視している店は、交通機関がストップしても徒歩や自転車で通勤できる社員を中心に集めるでしょうし、電気が止まっても店頭にカゴ台車を横にしてその上にコンパネを敷いて商品を並べて売ることもできます。会計は現金のみ、電卓をたたいで買い物金額を集計し、ため銭で現金のやり取りをします。

取引先の豆腐、こんにゃく、漬物はライフラインを寸断しても昔ながらの製法で商品を供給してくれる製造業者があるかもしれません。そういった製造業者は取引先のスーパーがライフラインが寸断されても営業を続けている噂を聞きつけると、即座に「共感」し、過去の取引の経緯を踏まえて、「今日は豆腐400丁ほど作ったけど、全部持ってきたよ。これで足りるかい」と連絡しなくても持ってきてくれるかもしれません。親しい農家や加工食品の問屋も「(消費者が)困っているだろうから」と連絡をしなくても商品を運んでくれるかもしれません。

契約書、データではなく、お互い持ちつ持たれつの信頼関係による「共感」こそがお客との絆を深めるのです。

国産豚肉も高騰しています。国産豚肉の卸売価格は、2024年1月からで1.7倍以上に上昇しています。国産豚肉も飼料をほぼ輸入に頼っているため、飼料価格が高騰したことに加え、これまで比較的安かった輸入豚肉の高騰で、国産豚肉の消費が増えて需要が増え、価格が高騰しているということです。さらに、豚は暑さが苦手なため、夏の時期は比較的出荷量が落ちることも価格の高騰につながっていると言います。

私は国産豚肉の相場は下がることなく高値安定すると思います。この30年間、国産豚肉は安すぎたのです。私は国策として、飼料の国産化、国産豚肉の消費の喚起、輸出品として国産豚肉をブランド化すべきだと思います。多少高くても国産豚肉を購入することが国難を避ける方策です。

鮮魚でも、地軸の傾きの影響か、水温の上昇と黒潮の蛇行を引き起こし、北海道で戻りガツオが大漁に水揚げされたり、青森ではイカが不漁でイワシが豊漁と言う報告もあります。天然本鮪も漁獲枠を一気に超える大豊漁です。一方で、養殖本鮪、養殖ブリ、養殖真鯛などは飼料代が2倍以上高騰していると言います。天然の豊漁で取引価格は低迷し、養殖業者は苦境に立たされています。

今まで養殖本鮪、養殖ブリ、養殖真鯛など“養殖物”は商社が資本参加し、巨大な生簀で飼育され、大型店中心に取引されます。売れ残ったものが地方スーパーに売られます。一方で、入荷量が不安定な“天然物”は大型店が苦手とします。なぜなら、“天然物”は入荷量だけでなく、サイズ、鮮度、味、調理方法もまちまちでマニュアル化ができないからです。

ならば、地方スーパーは“養殖物”の扱いを縮小して、“天然物”にシフトすればよいのです。“天然物”は大漁なときほど、価格が安く美味しいのです。それを大量に買い付けて売り切るためには、捌く店員の技術とスピード、売る店員の調理方法、保存方法、食べ方などの商品知識と美味しさを伝える技術が必要です。

地方スーパーが“天然物”を本気で扱えば、消費量が増え、魚価も安定し、最終的には漁業関係者も励みになるはずです。

13年前の東日本大震災の時、ライフラインが復旧しないにもかかわらず、井戸水をくみ上げ、プロパンガスでごはんを炊き、おかずを煮炊きし、お弁当を提供したお店もあります。

福島県では着の身着のまま車で沿岸部から内陸部まで避難してきた家族がたくさんいました。震災直後は開いている店もなく、水も食べるものもなく丸一日以上ひもじい思いをしてきたと言います。やっと開いている店を見つけましたが、手持ちの現金がありません。事情を聴いたあるスーパーの店長は、お客の気持ちに寄り添いました。自分がこの人たちの立場だったら・・・。

通常は掛けでは販売しないのですが、大学ノートに名前と連絡先、購入代金を書いてもらい「代金は現金が手配出来てからでいいですよ」と商品を販売したのです。そういったお客が50名ほどいたそうです。会社の許可も取れない状態だったので、万が一取りはぐれになったら、自分(店長)が会社に代位弁済しようと意を決しての行動です。

2016年の熊本大震災では、熊本県阿蘇市に本社を置く「みやはら」さんは、従業員が何人も被災したにもかかわらず「スーパーマーケットは地域住民のライフライン」という意識の下、駐車場で店を再開しました。たくさんの人が助けられたと今でも語り草になっています。

過度のDX化はテロや災害以上の2次災害を招くことを商人は肝に銘ずるべきです。最近の経営者は非常事態に対する想像力と共感力が欠如していると痛烈に感じます。

台湾総督府民政長官、南満洲鉄道(満鉄)初代総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長を歴任した時代の先覚者・後藤新平<1857年(安政4年)‐ 1929年(昭和4年)>は、関東大震災<1923年(大正12年)9月1日>から半年後、東北帝国大学学生を前に、「第二次世界大戦を直観」した講演をしました。その内容をまとめたのが『国難来』です。「真に恐るべきは、目に見える敵国・外患ではない。国難を国難として気づかず、漫然と太平楽を歌っている国民的神経衰弱こそ、もっとも恐るべき国難である」と言っています。

今が国難の真っ只中なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?