【エッセイ】独白①~序章に代えて~
(過去作)
「何処にゆけば苦しみを愛せる」*1
本当の意味で終わりのない終末への旅立ちだった。
死のうと思い始めたのは、しかし、この一節に出会った後からだったと思う。
そして今も、死のうと思っている。
小学生の頃、随筆家になりたいと思っていた。
受験勉強でかなりの量の随筆を読んだ。しかし「これ位なら今の私にも書ける」と常に思っていた。
そのうち小説家になりたいと思った。だがどうしても書けなかった。私は描写が下手であり、最も致命的なことには、物語が作れないのだ。
不登校になって二日目、高校の頃だ、この一節に出会った。
そして、今まで生きながらえる支えとなっていた。
私はこれを、果たして遺書のつもりで書くか、作品の意図をもって書くか、書きながら悩んでいる・・・。
頭の中にあるのは「自殺」の二文字。
この胸中を誰にも悟られないよう、至ってすました顔をしている私、温かい両親の気配と、冷たい壁。
私は人生の目標を自己実現と設定していた。
私の自己実現は、ありふれた幸せには見出されない。
字面通り、自己をこの世界で実現させること、それは、一言でいえば表現だと、思っていた。少なくとも、表現したいと思っていた。体現でもいい。その手段を模索し続けてきた。
何を表現したかったのか。世界の側面か、哲学的思索か、自分、ただそれだけか。
目指すものは何か。芸術的開花か、普遍か、他人に感動を与えることか。そう、あの一節の様に・・・。いや、それは無理である。
まず以て、芸術などと軽々しく言うものではない。芸術は自然の模倣であると私は考えている。更に自然はイデアの・・・などと言うとうるさく言う人達もいるだろうが私は言うに憚らない、イデアの模倣である。
芸術は自存的に合目的的であり、同時に適意を伴うべきである、更には意図的でないかの如くまで欺ける程の技術を必要とする。また、芸術の本質は感覚の質料ではない、感動はこの内に含まれるから、享受だけを専ら目当てとしているようなものであって、そもそも意図的に私はこれを書き綴ります、目指すものはこれこれですなどという者は最初から合目的性を無視して享受する者を本来の意味で欺き、それに気づかぬ者は感動と取り違え、精神は鈍麻し、作者はもし自らが誤っていると知ったならば、彼の創作行為は排泄と同等であると悟るであろう。
私がおそらく永久に不可能だと言う原因はまさにここにある。さて、詩というものは天才の技術の顕現の最たるものである。ここでいう天才とは学問上での突出した才能ではない、では私にもし天才が備わっていたら?詩に於いてでなくとも、私は芸術を生み出すことができるかも知れない。さあ、私は天才を具備していたか。
分かるだろう。聡明なあなたには、この先すら既読したも同然であろう。
これらの文章も全部ただの駄文の羅列にすぎない。
何の意味も持たぬこの文を読んで、誰が何を思う?
煙草を二本、たて続けに吸ってみる。
ようやく見つけた一つの憐れな愚策。
感動や美などは一切求めない。どうか、あなたもその積もりで期待という概念を取り払って読んで欲しい。
しかし。
ありのままを曝け出すことによって、(そう、私は病気である!)そして、ごくまれに生じる、狂気によって美を超出するチャンスを私に与えよう。この痴人は、ややもすると個を突き詰めることによって、芸術と哲学が各々見出そうとしている普遍というものに、勝手に出会えたと狂喜乱舞し、その中で安楽死できるかも知れない。
全く、私は馬鹿なのである。
*1 Silent Jealousy(X JAPAN)より