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【感想文】ロンドン・フィルと辻井伸行さんの共演@サントリーホール9.11(一応前半・今回は前半と後半の内容が逆です)
「芸術に触れよう2024」今回はベートーヴェン「皇帝」とマーラー「交響曲第5番」である。チケットを取るきっかけは毎回違い、目的が演奏者だったり、指揮者だったり、楽団だったり、曲だったりするが、今回はおそらく今年の中では一番はっきりしていただろう。マーラーの第5番(第5楽章まである)の中の第4楽章を聴きたかったのだ。それがまずありきで、ロンドン・フィルと辻井さんは後付けだった、ハズなのだが……。
今回は1曲目がベートーヴェン、2曲目がマーラーだったが、2曲目を先に書こうと思う。その理由は後半をお読みいただければおそらくお分かりいただけると思う。
2曲目 : マーラー「交響曲第5番 嬰ハ短調」
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
第1楽章
トランペットのファンファーレで始まる。第一主題は大胆で仰々しい感じだ。爆発というのか、もっといえば暴発というのか。ずいぶんと弾けている葬送行進曲である。クライマックスは情熱的というか、これまた弾けすぎの感じもするが、いくつものメロディが競合し、同時進行しているかのように聞こえる。だがこれは今回の座席が俯瞰できるような位置にあったことや、演奏の違い、音の響きにもよるようだ。違う音源ではさほど競合した感じを受けないものもある。しかしいずれにせよ、譜面は同じなのだ。この、メロディの競合性のような「表+表+表」のような音のぶつかり合いさえも、実はしっかりと計算されているはずである。マーラーに比べたらベートーヴェンはずいぶんと大人しいとすら思えた。
第2楽章
これまた混沌とした中にも美しさがある。滅茶苦茶に聞こえる箇所も、不協和音のぶつかり合いというわけではないのだ。瞬間瞬間の音の縦軸のつながり、つまり和音と、横軸のつながり、つまり進行、これらはそれぞれしっかり、美の内蔵された構成を保持し続ける。
この座席位置ならではの発見があった。ティンパニー奏者のさばき方が鮮やかで、もちろんその打音も美しく、いっとき見とれてしまったほどだった。
第3楽章
一転して軽快なメロディで始まるので、聴き手としては少し驚き(新鮮さ)を感じる。このような音楽的な「転向」というのか、もっと言えば「変節」は、もちろんどんな作曲家のどんな曲にでもみられるが、ことなぜかこの場面においては、異様なまでの変貌を遂げたかに聞こえて、これを曲単位でやるのではなく、同じ曲の中でやってしまうから、マーラーという人間の中で分裂が起きているのではないかとさえ疑ったほどだ。
第4楽章
全体を通して、美しい演奏だった。終わりも、最後の弦の一本が消えていくように、とても丁寧だった。一分の隙も見せないといった感じだ。ああ、そういえば今日はこの曲のこの楽章を目当てに来たのだったな、と楽章が終わってから気づいた。
あまりに有名だが、この第4楽章はルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で用いられており、耽美的というか退廃的というか、ヴィスコンティらしさあふれる映像世界の中でその美しさを遺憾なく発揮している。ただただ、今回は一種独特で特異なこの世界観に浸りたくて、それがためにチケットを取ったのであった。
第5楽章
第4楽章のあの美しい主題(素材)が再び起用され、繰り返されるのだが、第4楽章での表れ方とは打って変わって、軽快すぎる。美しい流れを断ち切られたことと、こんなに軽やかに流してしまうアレンジにされてしまったことに、私は何度聴いても腹を立ててしまうのだ。なぜかこのアレンジは美しさの原形(核となるもの)を保持したアレンジというより、ファンタジックに過ぎる、第4楽章が台無し、私はがっかりする。
終局に向かいながらまとまっていき、明るく華やかに大団円を迎える。終わりの40秒くらいで軽快に、同時に躍動感を一気に上げてまとめ上がり、拍手喝采を待ち受けるような終わり方をする。
〈まとめ〉
第1楽章のところで「爆発」と書いたが、そういえば「芸術は爆発」なんて言っていた芸術家がいたことを思い出した。それくらいこの曲は(静かで穏やかな第4楽章も含めて)全体的に「やんちゃ」だという印象を受けた。
1曲目のベートーヴェンの影響もあり、今回は、いつものように、指揮者の動きや、演奏者の個々の楽器の音色云々より、全体的に丸ごと、ただ「音楽」として聴くように心がけてみた(これは当日その場で急遽そのようになったのだ。直前まではあくまでいつものように冷静に聴くつもりでいたのだが)。
「爆発」「やんちゃ」と表現したが、さらに言うと、絵画でいえば、静物画ではなく、風景画でもなく、あえていうなら抽象画か。また、哲学っぽい感じもした。古代より近現代に近い、かなり難解な哲学を読み解く作業が、この曲を聴くことそれ自体に似ている気がした。再度言うが、この曲は今の段階では私にとっては難解なままであり、今後さらに聴きこんでいきたいと思っている。 ~後半(1曲目)に続く~