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【エッセイ】独白③~二丁目の女王~

(過去作)

「小麦色の娘」という歌が大好きでした。
今はインターネットというものがあって、作者を知りたくて試しに調べてみたら、旧ソビエト時代の戦争の歌でした。現在でもコンサートの際は軍服を着た大人たちが歌っているようです。どうりで2番、3番の歌詞は歌わなかったわけだ。ぞっとしました。そして、なんだか悲しくなりました。11、2歳の少年少女が、何も知らずにいきいきはつらつと歌っていたのでした。

さて、そんな私は、新宿の真ん中に滞在した、半ばさせられたこと、3回(4回?)ありました。

新宿といえば、歌舞伎町を通り越した先に、急に暗い一角がそびえていて、そこだけ孤立していて、でも確固たるアイデンティティーを持って存在しています。ぐるっと一周、囲まれている感じで、夜から、始発の出る少し前の変な時間帯までしか生きていないけれど、平和なところです。たまに、パトカーなどやってきますが、主に男同士のもめあいごとです。平和なのは、男と女が独立しているからです。でもたまに、女だと思ってナンパしたら、綺麗な男だった、なんてことも。

ここからは、現在は使われているかわからない、当時の秘密。
男は、昼でも夜・・・あれ?今更、秘密なんて暴く必要がどこにあるのかな。今、この業界でまだ同じ専門用語が使われているかもわからないのにね。

当時一番安く飲めたショット・バーの(もちろん)女マスターは、若いのに急に亡くなったと、最近風の便りで知った。エイズじゃないだろうし、どうしたんだろう。エイズといえば、日本で初のゲイ・レズビアンパレードの終点の渋谷宮下公園で、チュチュを着たおじさんが、踊ったり握手を求められたりしていた。体は黒い斑点だらけ。次の年、そのおじさんはもういなかった。(握手なんて求めるなよ。)
でも、これだけは(単なる)若気の自慢です。あるいは、自慢する今の私が幼稚なのか?私は、十代後半から二十代前半、二丁目の女王に愛されたゆえに付随的に有名でした。雑誌に載ったり(雑誌はバレたら即退学の超お嬢様学校なのに)、テレビ出演のオファーは3度とも断ったけれど。「あ、○○?」「ああ、あなたが○○さんなのね」みんな、優しかったね。16で初めてパーティーに行ったとき、瓶ビール片手にボケっと突っ立っていた私に「こっち座って一緒に飲もうよ」それから夜中の道端にしゃがみこんでケーキ食べたね。もともと、自殺するんだったらその前に一度は行ってみたいって思って、その一回がズルズル私を救ってくれた。みんな自分を持っていた。将来の心配なんてしない。男に頼らず自分で稼ぐ。女特有のドロドロした一面も持ち合わせた世界ではあったけど、かっちゃん、バリタチなのに「女はいざとなったら体売りゃあいいのさ」見上げたもんだよ、覚悟はできてる。

こんな狭い路地の一角が、どこよりも生きていた。人種なんてどうだっていいんだ。そこにはまぎれもなく、人間が生きていた




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