三つのことば
グリム童話から『三つのことば』を朗読しました。朗読するにあたり、私の流儀により先に感想文を書いています。
有名な話ではないと思うので、ご存じでない方も多いと思います。短いお話で青空文庫に原文がありますので、よろしければお付き合い下さい。
おすすめは、
1.原文を読む (リンクはこちら)
2.私の読書感想文を読む
3.朗読を聞いていただく
4.朗読後記を読む
ですが、ご自由にお楽しみください。
読書感想文
冒頭で、この物語の主人公の若者は「ばか」と表記されている。が、どうだろうか。この若者を「ばか」と感じるだろうか。
私が最初に読んだ時の若者のイメージを言葉にすると「何でもできちゃう脱力系主人公」だ。
ちなみに、この物語で最も「ばか」という言葉が相応しく表現されているのは若者の親の伯爵だろう。なにせ家来にすら鹿の目と耳を使えば若者を殺したと騙せると思われているくらいだ。
鳶が鷹を生んでも、その鷹の能力を正しく評価はできない。そうして頼られた3人の先生のもと若者は言葉を学ぶわけだが、これも結局、各先生がその言葉“しか”教えられるものがなかったということだろう。
そこまで考え及ばない親と若者とのやり取りに、私は笑いがこみ上げるのを抑えられなかった。
そして旅先の城主は、こちらはこちらで頼りない。強がったり利用しようとしたり、為政者としては正しいのかもしれないが、私の目には滑稽に映る。若者が城主の息子になるかどうかについて言及していないのも、つまりはそういうことなんだと思う。
最終的に若者は法王になる。やれやれ、と言いながら。それはそうだろう。選ばれた理由が理由だし。ハッピーエンドじゃなくてやれやれエンドだ。ラノベ風の展開は200年前から既にあったようだ。
さて、この物語のタイトルは『三つのことば』だ。しかし、裏のテーマとして『3つの権威』も隠れていると私は感じた。
1つ目は若者と伯爵の親子関係による血統の権威。伯爵からしたら、跡継ぎにあたる若者にはしっかしりてもらいたいが、(伯爵から見たら)頼りない。自分の望みどおりにならず権威が揺さぶられようものなら、これを生かしてはおけないという論理も筋が通る。
2つ目は城主による能力主義的権威。自国の安寧を保証できていない城主。能力主義の価値観が司る場では難儀を解決できないというのは大問題だし、他の人が解決したのならその人に王座を譲らねばならない。しかし、それはしたくないので国を救った若者をむすことして抱えることで、自身の能力を誇示したいという思惑がうかがえる。
3つ目は法王という役職への象徴的権威。ただそれっぽいこと、神聖であるように見えることという、本人の能力や出自に一切関係なく、そういう曖昧なもので与えられるくせに、絶対的で揺らがない権威。
最終的に若者がそれを「やれやれ」と心の声で言いながら選ぶのが個人的には愉快だった。
ここで個人的に2つの疑問が残っている。
1つは、若者が何故ローマに向かおうと思ったのかという点。
若者はローマに向かう途中でカエルの言葉を聴き、自分が法王になることを予見する。しかし、ローマへ向かうという選択をしなければ、そもそもカエルと出会うこともないし、法王になることもないはずなのだが。
ここでもう1つの疑問についても触れよう。それは、3つの言葉による恩恵享受の具合についてだ。もっというと、その対象動物から具体的な恩恵を若者が授かったかということにある。
犬に関しては、宝物のとり方を教わっている。これは明確な恩恵といえるだろう。
ハトに関しては、法王としての職務を遂行するにあたり助言をもらっている。これも立派な恩恵だろう。
ところが、カエルからは若者は直接何も授かっていない。これはバランスが悪い。と考えるうちに『3つの恩恵』がみえてきた。物と知識と機会だ。物があっても使い道がなければ意味がなく、知識も披露する場がなければ無いのと同じ。つまり、機会というのも大事な恩恵の1つと言えよう。
犬からは物を、ハトからは知識をもらっていると換言でき、カエルからは法王になるという機会をもらっていると捉えることも出来るのだ。そしてこの様に考えると、疑問の1つ目の、何故若者がローマにいこうと思ったのかにも説明がつく。それは、カエルの……いやカエル様の能力だったと言えないだろうか。
若者はローマへ向かう途中の沼でカエルの話を聴いたと思っているが、そもそも沼に来ること自体がカエルが授けた恩恵であったのではないか。因果が逆だったのではないか。
この短い一文の中に、カエル様の持っている機会を授ける能力が発動したのではないか。と、私はそう思った。そう考えると全ての線が繋がるのだ。きっとこうに違いない、と一人うなずくのだった。
「三つの『3つ』」の物語、大変楽しめた。
朗読後記
童話を読む。これを読もうと思ったときから、絵本の読み聞かせのように読もうと思っていた。普段子どもにしている読み聞かせよりかは少し硬めになったが、ちょうどいい塩梅になった気がする。ちなみに、やれやれ感は控えめにした。
この物語は起承転結――3つの場面で構成されているのだから序破急の方がしっくりくるかな――がやや薄く感じられる。そのため終始「やれやれ感」も拭えなかった。それでも、犬問題を解決する破のシーンは多少感情を乗せて読むようにしたが、伝わるだろうか。
まあでも一番の聞き所はなんと言っても最初の場面の親との会話だろう。
親の「期待→落胆→期待→怒り→それでもなんとか期待したい→諦念」という心情の変化。そしてそれを理解した上での若者の「カエルの言葉を覚えてきました『よ』」のとどめの一文字。翻訳家の方の感性と合致したような気がして、読んでいてとても気持ち良い部分だ。
この言葉を受けて、ついに親は若者を見もせずに家来に命令するものの、家来にもその思いが響いていないという、シュールな情景を思い浮かべてもらえたら嬉しい。
音声表現というのも実に楽しい。