平和の根幹
私は私が何ものであるかわからなかった。行く先々で、私が一体どんなものであるかを問うた。困った顔、怒った顔、笑った顔、様々な表情で人々は私を形容した。その全てを私は、私の中に放り込んだ。
そうやって、数多の人から言葉を集めていくとあることに気づいた。彼らは私が望みもしないのに、私が無尽蔵に言葉を飲み込むものだと思って、好き勝手に悪辣な言葉を放り込む。
ある属性のものが、別の属性のものの悪口を私に吐き捨てる。その別の属性のものも、また別の属性のものの悪口を吐き捨てる。そのまた別の属性のものもまた……
それを吐き捨てるもの達のことを、私は個と捉えることは出来なかった。ある種の共同体。そうとしか思えないほど、彼らは自分に自信と誇りを持って、悪口を私に浴びせるのだ。そして、最後にこの言葉を放り込む。
「これこそが平和の根幹だ」と。
こう言い終えた人は必ず最後に笑うのだった。
私の中で同列に存在することとなったその言葉達は、その平和の根幹だったもの達は、ドロドロに溶けて混ざり合おうとするも、叶わず、私の中で渦巻いている。その渦の中心に当たる部分が、その虚空が、私なのだ。
私を形容するために集めた言葉が、私を果てなき虚無へと誘う。しかし、この借り物の言葉によって象られる私は、あぁ、私すらも借り物であるかのようだ。
これを返せば、私に還るか。私が還れば、この言葉達は、この世を、人を平和に変えるか。
禍々しく渦巻く平和の根幹たる言葉たちよ。
蝸牛の過ぎ行く後の粘液の如く絡みつく言葉達よ。
私は、虚空の私は、
否定しよう。
これは私じゃない。だから、要らない。
一つを捨てると、また一つ捨てるものが見えてきた。
これは私じゃない。だから、要らない。
捨てるたびに、渦のうねりが変わる。
これは私じゃない。だから、要らない。
虚空の形も変わる。
これは私じゃない。
私は、……笑っていたのかもしれない。
全てを捨て終えた。
私の中にはもう何も無かった。何もない。どうしようもないほどに、それは虚空だった。
私は借り物で、私は容れ物で、それこそが私だった。
私は私が何ものであるかをわかっている。行く先々で、私が一体どんなものであるかを問うた。私は、困った顔、怒った顔、笑った顔、様々な表情で人々の言葉を飲み込んだ。飲み込み続けた。
これこそが平和の根幹だ。