覚えてないって誰が言った_。
旅やワーキングホリデーをしていると、たまにこう言う話をするんです。
どうせ、みんな覚えてないよ。って。
ちょっとやそっとの出会いじゃ覚えてるわけないって。
だから、連絡しないし、気になっても、勇気がない。と。
本当に、そうなんでしょうか。あなたは覚えているのに?
カナダの語学学校で一緒だったブラジル人も
ニュージーランドのホステルでいつも声をかけてくれた韓国人の子も
チチカカ湖のツアーでたまたま一緒だった日本人の子も
もしかしたら向こうも覚えてくれているかもしれない、覚えてないかもしれない。
連絡してみても、返信があることもあれば、ない事もある。
自分の思い入れが強すぎる。だから、またつながるご縁てあるのかも
私は、自分自身を気にしいでお節介な性格だと自分を分析しています。
今はそこまでありませんが、自分への評価が気になり、評価されるぐらいなら雲隠れして、見つかったら自分を否定して切りぬけよう。
そういうタイプでした。
だから、相手が本当に友達だと思ってくれているのか、不安になることが多々ありました。
覚えてなかったらどうしよう、友達じゃないのにしつこいなと思われたら・・・
なんてよく思ってました。
外の世界を知らないうちは、自分で問題を難しくする
気づけば簡単なこと。
自分が友達と思えば、友達としてしてあげたいことをしたらいい。
それで例えなんの反応もなくても、自分がそれで満足なら良し。
何か返ってきたらその分喜べばいい。
小さなコミュニティで、少ない人数としか会ってこなかった片田舎の大学生の時。
そのコミュニティで起こる出来事が、世間で起こる全てのことだと勘違いしていました。
無意識にマウントし合って、人と違うことをするものには釘を刺す。
仲が良さそうに見えて、実はお互い悪口を他人に言い合う。
そうやって、自分は優位に立っている、自分は大丈夫と思いたい。
そんな環境に身を置いている人達を沢山見ました。かくいう自分もきっとそうだっのだと思います。
意識してそう生きていたわけではないけれど、そういう環境に自分を置いていた、洗脳していたのだろう。今はそう認識しています。
短い時間なのに、濃く残る思い出って不思議だ。
大学在学中に、3週間だけ、カナダに語学留学に行き、帰ってきた時、
ふと、違和感を感じたんです。(私が決めた理由#13)
カナダにいた時は、気が合う人とだけつるんで、楽しいことをして、素直に意見を言い合って。
3週間だから、自分が今精一杯できる国際交流をして。
もちろん、自分は人と比べる癖があったけれど、周りがそうではないと、自然と自分も楽しむことにフォーカスがいく。
充実させれたかどうかは置いておいて、
自分の中の新しい世界を発見することができた。
それは、自分がもがいて、そして成長できたから。
背中を後押ししてくれる人がいたから。
南米横断の23日間だけだってそう(私が決めた理由#9)
オーストラリアの職場だってそう(私が決めた理由#19)
合コンとか、会社の付き合いとか。良く言う
また会おうねー、いつか遊び行こうーなんていう他人行儀の日常。
今なら思う。
会う気がないなら、その言葉はただの嘘なので、言わなくて大丈夫です。
今日は、ありがとう。それで、十分です。
それでも会いたいなら、自分で会いにいく。
覚えてくれている、それだけで嬉しい
もう10年前の話だが、私はその後、バンクーバーに2017年に再び訪れる。
に書いているが、
2017年に再び訪問した際、2010年にホームステイで一緒だった中国人の友人と再会を果たした。
3週間の短い留学で、ほとんど英語も話せなかった私と、
SNSで繋がっていてくれた彼女。
覚えてないだろうな。あの時沢山話してくれたな。でも会ってくれるかな。
時折SNSで交流するが、会ってもらえるかは分からなかった。
覚えられていなかったらそれまで。せっかくまだ繋がっているなら、一度当たって砕けてみよう。
そう思って連絡したら、彼女は快く承諾してくれ、ドライブに連れて行ってくれた。
しんどいときは、思い出してみてもいいのかも。
自分が社会に疲れた時、
思っていた未来と違った時、
あの頃の生活を懐かしむなら、
その時間が大切な思い出だったなら、
一度、連絡してみるのも良いかもしれない。
覚えてないなら、話してみたらいい。
それでまた繋がったら、それもまたご縁。
沢山感謝して、別れを惜しんだ相手なら、
きっと、まだあなたを覚えているかも。
私は、そう思って連絡したらまた繋がったご縁がいくつかありました。
旅って、
ワーキングホリデーって、
自分の人生の中で日常よりは特別なこと。
その特別な日々での出会いは、あなたに活力を与えてくれるかもしれない。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。