私の搬送先はたかが知れていた。真四角な白い部屋の二箇所にある二寸ばかりになる窓には磨り硝子がはめ込まれてあり、色の次第では日差しに葉を輝かせる新緑にも見えたが、実情は底知れぬ深みのある藍を携え轟轟と唸る海がその外には広がっている様だった。部屋を隅々を目玉の奥を痛めながらぐるりと睨め回すと、真新しそうな鈍色の寝台が佇んでいるだけで、驚くことに埃すら一片も見ることが出来ないでいた。 ドアも無くして、如何様に私はこの箱の中に入り込んだのだと疑問を浮かばせることさえ許さぬ淀んだ空
中身はあるかと尋ねた私の頬をいやらしく舐る様に貴女の視線はゆっくりと動いていた。 四月をすぎた辺り、だったと記憶している。あの晴れた日、、昼過ぎには少し雨が降ったかもしれない。貴女は白いワンピースを優雅に着こなすイメージと和装で艶やかに振る舞うその健気さが交互に私の交感神経を刺激した。 半分、そう言って差し出したチェイコレイトは黒かった。誰か私をこれほどまでに臆病で陰鬱な獣に仕立て上げたか検討もつかないが、その事を憂う暇もなく私の海馬には次から次と電気が流れを作り素早
耄碌膜の再生実験 43回目 失敗 電位+6.5 液量33ml 通電速度13hh/f 追記 仕方無く舞い始めた。能楽に見定まむとする処、条条の視界を開いた。溶解に事なきを得るのは紅一腺に過ぎず歩行とする。四名、。
「ああ、なんという快晴の元に広がる夢にまで見た焼け野原。千と四十六秒前まではあれ程に栄え茂っていた人類の根城の数々も物の見事に散り果て、北西の方角に流れ消え去っていくのであった。」 さて諸君は上記の文章を読んで、情景をその脳裏に描かずにはいられなかったであろう。更にいえばその妄想に憧れさえも覚えた愚か者もいるであろう。そんな売国奴と呼ぶべき、反愛国主義者、民族という枠に収まらぬ誇り高く気高き戦士たちは皆、往々にして一度は自我、すなわち精神と肉体の乖離を経験する。そんな中で
助けて欲しいとは他人に任せすぎた言葉なのか。心からそう叫ぶことの出来る場所が無くなった今、手詰まり、早々に身支度をしてこの八十数年余す旅路に幕を下ろす他あるまい。何処で息を吸えど、何時吐き出そうとも自己嫌悪が私を埋め尽くす。生きていたくない、死にたい、未練を纏ったまま悔いに苛まれて死ぬのであろう。
どこで息をすれば私は救われるのでしょうか。
書いたっておさまるわけじゃないよな
どうしても死にたい訳じゃない、けど生きていたくない 友達はいるのか、恋人はいるのか、愛されているのか何も分からないまま休日をドブに捨てた この気持ちも、打ち明ける先がないのかそれとも、打ち明けるべきでは無いと思い込んでいるだけなのか 助けてって叫びたい救われたい 左側が痛い、比喩的な痛みではなくて、痛覚として痛い 気が付けば死に方、死ぬ準備ばかり脳内をループしている 後遺症がどうとか死に方が辛いとか知らない もういいでしょ 早くゴールが欲しい、余命宣告ほど幸せなことがあるか
彼の言うことには 「自信もなければ扉など開きゃせんのや、まぁ坊の言う通りや。」 誰もその言葉に耳を傾ける様子はなく、ただただ掠れた声が人々の身体に衝突し吸収されて、消え去ることを見守るだけであった。雀の声などの方がよっぽど響き渡り心地の良い風はその気まずい空気を清々しく洗っていくのである。そこに口を出したのは思いも寄らない人であった。 「みんぎゃあのもんも、そりゃあ、くりゅんせんよなぁ」 酷く訛ったその一言は余りにも滑らかに私の舌の上を滑りこぼれ落ちたのである。キョトンと目
今まさに白眉の情に憂し、滑車の先には嬢の雫に過ぎず。 明希、郎流、吟遊、名のある者悉く帰りせしむ。 恥ずべきは大道に沿いし不屈の覚悟とそれを取り巻く欲にあり。銘々に呼び込む。
心做し、一回目。一九〇六年八月。 日常を憂し屈せざる子生まれたり。頂点に感ずる所、みな揃いて行灯の暖かみと心得る。 芍薬尊し、二回目。一九〇七年三月。 躍起、鼓舞足らずして血湧きたる所以に事欠かず。明瞭死水の並ぶる所、波仰々しく揺れ動く所、叡智として画廊を渡る。 断頭危うく狼狽せし、三回目。一九〇九年五月。 轟に歌いたる美姿、
さて諸君には再三話してきた事であるが、やはり肉体には若干の解れがあるというものである。なかなかに興味深いとある業界からは目をつけられ、追いかけ回される日々を過ごしているのだが、彼等には到底理解に至る代物では無いため相手にするのにはまだ早いと断りの文を送るのである。 そんなことはどうでもよろしい。さて肉体の解れ、と聞いた諸君は何を想像するかと言うとまず一つに筋肉を構成する一本一本の筋であろう。一の字の羅列から思い出させるようにこちらは筋原繊維蛋白質という物質からなる組織であ
大正十年の睦月の走り、私は五里霧中の錯乱状態に陥り精神状態での危篤を迎えた。焦燥のうち得たものと言えば打出て損得勘定に左右される浪人の背中を眺る姿勢に他ならなかった。 稚拙な推敲の果てにあるのは意識の範疇を超越した自我に畳み掛ける甘酒の香りだけであり、二三度その場で翻せば心の猶予を取り戻すのみである。
そんな私を躍らせたのは九つ下の彼女からの一報であった。「キカ、トンカンセシム。サヨウニ」読んだ時の私は鳩に豆鉄砲ようであったが、それも束の間の事であり三度読み返す頃には両膝を揃えて起立し、溢れんばかりの拍手を打ち鳴らし、「好!好!」と大粒の涙を垂れながら拍子よく連呼していた。 そんな様子を日暮れまで続けていた私は漸く腰を下ろし机に横たわる画用紙を三つ折りにした。喉を焼き、強烈な唾飛沫と共に赤黒い血液までも周囲に散らかしていることに気がついてからの事であった。唾飛沫に濡れ湿け、
灰汁色の体液を啜った。何も潤うことはなかったが、確かな戸惑いと少しばかりの愛おしさを感じることが出来た。残りを七面鳥の革で誂えた袋にいかにも大事そうに移し替えて御心に携えた。 巷ではつみれ汁という吸い物が流行っているらしく是非一度味の程を嗜みたいと願うばかりであったが、それも何時しか執拗なまでとなり、今に至るのである。 韮崎に住む叔母の話によれば、これがまた人の心を無情にも奪ってゆくものなのだと、頬を膨らませた私にはどうにも戯言のように思われると同時に一粒僅かばかりの高
頑なな感情には着いていけない。この前の懇談会で彼が言ったのには意味があった。少しも動揺を見せずにするすると語るその姿はトカゲの尻尾切りのように見え、私にとっては近ごろの楽しみのひとつでもあった。見様見真似で彼の振りをしてみるもよし、録画し見返しながら浸るもよし、首ったけという言葉は私のこの状態を見て作られたのだと思うほどであった。 路上で座り込んだ奥方を安物の傘達がお笑いになるがそれもそのはず。煙が立ちこめる中で沐浴を始めた志願者を取り囲むのは砂粒である。