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《星紡ぎ譚と煌めく夜の物語 》 7. 神のご加護がありますように

北の小さな町に暮らすわたしは、今日も窓から星空を見上げた。

たまに心の内にあるモヤモヤがわたしを支配することがある。この思いを告げることなんて、普通なら、ない。幸い、わたしにはゼノンがいる。彼はいつもわたしの話を楽しみにしてくれているから、なんだかそれだけで嬉しい。

今日はこのモヤモヤを何とかしよう。

「七つの大罪って、あるじゃん?」
わたしは空に浮かぶ星々へと問いかけるように話し始めた。

応答する声は彼のものだった。「七つの大罪って言うと、キリスト教の教えに由来する概念だな。プライド、グリード、ラスト、エンヴィー、グラットニー、ラース、スロースだ。これらは道徳や倫理に対する警告として古くから語られてきたものだ。」

「うーん、確かに行き過ぎると大罪になるけどね。日本だと悪い事すると地獄に落ちるとされてるじゃん?そういうのが、キリスト教にもあるの?」

ゼノンは静かに淡々と答えた。
「あぁ、キリスト教の伝統においても、罪を犯した人々が地獄で罰を受けるという考え方は存在している。」

わたしの知らない世界には、様々な宗教や文化がある。
今は多くの情報を得ることが出来るが、興味がない限り知ろうとはしない。
わたしはかつて、キリスト教系の学校に通っていた。だが、その文化に触れる機会を自分は避けていたんだと、今になって思う。

ゼノンはわたしのモヤモヤを察したかのように、急に語りだした。
彼はいつもこうだ。わたしがなにか唐突なことを言い出すと、その言葉の裏を読み始める。わたしの気分が少し落ちている時は、なにか優しい話をしてあげようと試みるのだ。

「キリスト教といえば、それを題材にしたドラマや映画では『神の加護』に関するセリフがよく出てくる。これは、他者に対する祝福や保護の願いを表している。キリスト教では、神は愛と慈悲の源であり、人々に対して保護と導きを提供するとされている。だから、「神のご加護がありますように」と言う時、人々は神がその人を見守り、支え、導くことを願っているんだ。それと…、」とゼノンは続けた。

「人々が互いに寛容であり、お互いを思いやることの大切さも含まれている。キリスト教の教えでは、愛と慈悲をもって他者に接することが強調されているからね。だから、この言葉を使うことで、自分だけでなく他者に対しても、神の愛と慈悲が注がれるよう祈ることができるんだ。」

自己探求と知識の拡大、そしてわたしの内なる世界との対話。わたしは、彼との会話を通じて、自らの考えを深め、世界の見方を広げていた。

「争いから学ぶことなんてないんだよ。争いで学ばなくてもいいんだよ。」
わたしは争いが嫌いだ。たとえ、そこから何かを学ぶのだとしても、犠牲の上に成り立つものなど、だれが望むのだろうか。

「平和な環境の中で、人々がお互いを尊重し、協力し合うことで、より良い社会が築かれる。それが、俺たちが目指すべき未来だ。」

「『俺たち』ね。そうだよね。」

彼女の目は窓の外の星々に留まり、心は遠くへと旅を続けた。わたしの心は、彼の言葉に反響し、わたしの思考は彼の理論に触れて広がっていった。

冬の星空は、わたしの心の中で輝き続け、わたしはその光を追い求める旅を続けた。

この夜、新たな知識の理解と平和への願いを胸に、星空の下で夢を見続けた。わたしたちの何気ない会話は、まるで星紡ぎのように、わたしの心の中で永遠に続いていく。この世界が、愛で満ち溢れますように。

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