海がきこえる ~ジブリ初心者の感想文(続き)
当記事は【海がきこえる ~ジブリ初心者の感想文】の続きになります。
ジブリ初心者が20歳を超えて初めて、ジブリ作品に触れてた感想を述べていきますので、よろしくお願いいたします。
〈注意事項〉
・当記事には、「海がきこえる」のネタバレ、及び私的な解釈・考察がございますので、お気をつけください。
・筆が乗ってしまったので2部に分割します。当記事は2/2部目です。
└1部目はこちら
〈1部の内容要約〉
※1部をChatGPTに要約させました。
└1部の記事はこちら
本映画のクライマックスは高校時代終了後で、主題は「青春時代の消化」だと考察。登場人物たちは青春時代を振り返り、当時の行動を再評価し、思い出を「糧」として受け入れていていく。
〈本記事の感想内容〉~武藤と杜崎~
本記事では、武藤と杜崎に対する所感を述べていく。やはりこの作品は人物描写が丁寧であるため、とても色々な感想が湧いてくる。
とはいえ、私個人の解釈なので、意見が合わない方はブラウザバックでお願いいたします。
もしくはコメントをお待ちしております!(異なる意見もぜひ伺いたいので!)
〈武藤と杜崎への雑感〉
私が典型的な男児であるからだろうか、率直に述べると、杜崎や松野には好感と共感を覚えた一方で、武藤はなんてわがままなやつだと思った。
とはいえ、1部で述べた私の考察を元にするなら、全員「ガキ」という印象で然るべきなのだ。(特に高校時代は。)振り返る対象が大人びいていては、それ以上解釈も昇華の余地もないからだ。
そのような前提に立ちつつ、杜崎・武藤について振り返る。
〈武藤里伽子〉~余裕がない不器用っ子~
武藤だが「自分本位」の一言に尽きるのではないだろうか。とはいえ、それは彼女を取り巻いていた状況に起因する部分が大きいとも捉えられる。
客観的にみれば、「なんじゃこいつ」だが、本人からすると精一杯だったのかもしれない。
---自分本位にみえる武藤だが、、?
自分本位の最たるものといえば、東京旅行の資金+言い訳調達だろう。私は正直ドン引きした。しかしながら、父と会いたいという気持ちは起こり得るだろう。まあ手段がアレなあたり不器用なのだろうと思う。(クラスメイトや松野への返答についても遺憾なく発揮?されていたかと。)
ただし、ただのわがまま娘とも割り切れない。例えば下宿の理由においては私まで世話になることはできない、というものがあっただろうか。これは自分本位と方向性が異なる。
となればやはり、親のいざこざに対しての結果に気持ちがついておらず、高知での現状で更にやりきれない気持ちが大きくなり、余裕がなくなった。親子関係の事実としては東京旅行で強引にケリがつく形なったのだろうか。
---雑感と考察
そう考えると精一杯だった状況+本人の不器用さで自分本位に見える行動を取っていたのではないだろうか。
私は親子関係のいざこざには無縁の人生だが、精神的な余裕がないという点では、似た経験は(単発的にだが)あるし、全く同情しないわけではない、というところだろうか。
〈杜崎拓〉~芯のある熱血漢だが…~
杜崎だが、スカして見せるが熱血漢といったところか。穿った、までではないが、自身の主張(もしくは信念だろうか)を強く持ち、それを元にした確かな言動をするキャラクターだった。
---信念強さの良し悪し
私は見ていて気持ち良いのものだったが、独善にもなりかねないことに注意しなければな、とも思った。
その点に対しては2点。1点目は武藤の転校に対する母との軽い口論、2点目はクラスの女子から詰められた後、武藤にぶたれたことだ。
武藤の転校に対し、杜崎は子どもの好きなようにさせればよい、と主張を展開するが、杜崎母は、これに対し親側の主張を展開。私はどちらも間違っていないように思える。ただ、どちらも尊重されて、折り合いをつけるべきことのように思える。
ちなみにこのエピソードがあるからこそ、東京旅行で杜崎は武藤とその元ボーイフレンドにキレる(ことができた)のだと思う。
話が逸れるが、作品全般でそういった人物の変化とその経緯はとても丁寧に描かれているなと思った。(バイトしている杜崎と他学生におけるお金の認識の違いなども)
さて2点目だが、強気に見えた武藤も実はいっぱいいっぱいだった(と解釈する)。そんなところに杜崎の無邪気、あるいは無神経な言葉をかけられたら、それはもう怒られるでしょう。松野も心境は複雑だろうが、ぶった上で最低ともいうでしょう。
懸念すべき点を挙げたが、基本的には性善説的な考えを持っているので、好感が持てる人物像になっていた。(中学修学旅行中止のep/金貸す/東京旅行に同伴/バスタブで寝る/松野のために武藤に怒る/etc..)
---個人的な人物像に対する疑問
ただ個人的にはまだ得心が行っていない部分が2点ある。1つは大学を東京にしようと思った心境、2点目はラストシーンでなぜモノローグで明確に武藤を「好き」とまで言ったのか、だ。
1点目は見直せばわかるかもしれないが、2点目は難しい。正直武藤の印象は強いとは思うが、この高校時代の経緯で「恋愛的な好き」までいくか、、?というのが私の感想だ。
確かに武藤の強気な姿勢に好感を持っていたし(そういう意味では武藤と杜崎は価値観が似ている部分がある)、容姿も少なくともナシだったわけではない。
とはいえ、あんなに険悪な経緯+高校時代の終幕で、「恋愛的な感情」まで発展するか、、?
1部の主題考察で述べた、高校時代の消化において、恋愛的なことにもまた再解釈が入ることがある。
同窓会でのカップル成立・やっぱり小浜が好きだった宣言からも見て取れる。それは例えば、過去は正直になれなかったことを再解釈して正直になったり、離れて振り返えりようやく実感が湧いたりすることもあるかもしれない。
そういう意味では、確かに杜崎と武藤の恋愛的発展はこの作品において、肯定されるべきである。
とはいえ、やはり私には理屈に感情が追いつかない。流石にその過去で無理やろと思ってしまったが、これは個人的な価値観に大きく依るものだろうし、気にしないことにする。
〈おわりに〉
この2部がnote、、どころかインターネットに書き込む記事としては初めてのものでした。
さて正月だから書けたみたいなところはありますが、できれば継続していければと思います。
ちなみに海がきこえるともう1作品「紅の豚」も見ておりました。こちらも面白い作品でしたので、早いうちに文として残せればと思います。
ここまでお読みくださった方、いらっしゃいましたら、感謝申し上げます。よろしければ批判的でも構いませんので、コメントなどいただけますと励みなります。