【109日目】蚤と爆弾
ご隠居からのメール:【蚤と爆弾】
うーん、息子のぼんくら頭はすり抜けたが、孫の鋭い内部監査は危険な香りをかぎつけたか。あのマンガしか読まない若者がよくぞここまでの分析力を身につけたものだと感嘆する。
吉村昭の小説『蚤と爆弾』を読んだことはあるが、まさか蒙疆防疫處と結びつくとは思わなかった。いや、結びつく可能性があるだけで、まだ匂いがするだけ、確たる証拠は出ていないよね。蒙疆防疫處が獣医の秘密部隊の100部隊の可能性はあるが、100パーセント確実とはまだ言い切れない。
大豆の論文が国会図書館に保存してあるとはすごいね。httpはクリックしたが、ひらけなかったが、読んでもわからないだろう。存在することが確認できてよかった。
731部隊については、松本清張『小説帝銀事件』の真犯人と目されていたと思う。731部隊の関係者は石井四郎をはじめとして誰も戦犯として処刑されず、むしろGHQによって手厚く保護されたそうだ。彼らのノウハウ朝鮮戦争を遂行する上で利用価値があったからだ。
そのように考えると、歴史の暗部というか黒い霧が存在すること、それは令和の現在も続いていると認識せざるをえない。與一さんは、蒙疆防疫處や関東軍で天皇の赤子としてマネージメントを学び、戦後は民主主義体制のもと村長選挙に立候補し、青年村長として村に新風をもたらせた。
返信:【Re_蚤と爆弾】
お父さんが書いた「方谷入門塾」に、自分のことが書いてあったから驚いたよ。8歳頃に論語を読むよう勧められたこと、はっきりと覚えてる。しかし、あの頃は、継続して論語を学ぶまでの根性は、なかったな。努力するということは今の会社に入社して初めて学んだことだからね。
100部隊に所属していたという確固たる証拠はないよね。あくまで可能性がある程度。100部隊があったとされる所在地は新京だし、支部は、大連・ハイラル・克山・チャムス・拉古・東安・鶏寧・東寧・四平と書いてある記事をみたことがあるが、綏遠省や張家口に支部があるという情報は今のところ入手していない。
これは、想像だが、輿一さんが貴美子さん、文孝さんと満州に住んでいた頃は国務院の実業部で農業の研究をしていて、昭和15年8月ごろ、召集令状、もしくは志願して関東軍軍馬防疫廠(100部隊)の入隊が決まったのではないだろうか。貴美子さんが京都に帰る予定だったのにもかかわらず、ドタキャンをしなければならなかった原因は関東軍への入隊が原因かもしれないと想像する。
「大陸情報」の記事を書いた市川収氏は、優秀な獣医さんだったようだ。様々な本を出版している形跡がある。ただ、戦後の1948(昭和 23)年1月 26 日に発生した帝銀事件の話。事件に使用された毒薬が、特殊な青酸化合物であるとみなされ、その有力候補として登戸研究所や731部隊などを重点的に捜査したらしい。
その後、満州第 100 部隊の医師より毒ガス中和剤の研究は登戸研究所でやったという情報があり、警察は登戸研究所の関係者を調べ始め、登戸研究所が人体実験を行った事、そして毒物研究の中心人物に辿り着いたそうだ。その中心人物に市川収氏の名前があがり事情聴取されていた。
仮説として輿一さんが100部隊に所属していたとすると色々辻褄があうなと思っている。敗戦後いち早く帰国したということ。戦時中の話を一切しなかったこと。お父さんに「お前は戦争のことを知らない」と言ったこと。。。
「蚤と爆弾」は、いつか読んでみようと思う。
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