【190日目】金森通倫
ご隠居からのメール:【金森通倫】
仙台への日帰り出張、お疲れさま。戦国時代から幕末まで勝ち組を続けてきた伊達藩の藩士に大陸浪人が多いとは、明治維政府での出世競争に立ち遅れた分を、大陸に雄飛してチャンスをつかもうとしたところが、尼子の落人に通じるものがある。前にも書いたが、満州事変の裏には、「大学は出たけれど」就職できない当時の若者たちに満州という受け皿が出来たという側面がある。
金森通倫は、2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、柄本時生が演じていた。新島襄は小田切ジョー。同志社大学で学んだ頃、金森通倫は山室軍平と親しくなったはずだが、ドラマでは救世軍山室軍平の出番はなかったと記憶している。
早稲田第一期生の岡村素さんは山室軍平や金森通倫とどこかで交わったと思う。今となっては検証のしようがないが、お気に入りの娘と長谷部與一との結婚を認めた大きな要因の一つは山室軍平や金森通倫の存在だと思う。金森は同志社卒業後は岡山で伝道していたから、岡村素さんは長谷部與一の身元調査で金森通倫や山室軍平に相談したのではなかろうか。岡村家があった中溝町は、同支社大学のキャンパスに近い。
そんなことまで考えると、DNA的には石破茂にも縁があり、自民党総裁になってもらいたいところだが、法律的にはまったくの赤の他人だなあ。
しかし、満州事変の一つの結果として、長谷部與一と岡村貴美子が結婚しなければ、われわれはこの世に生まれてこないはずだから、ある意味では救世軍が誕生に一役買っている。日清戦争後に日本で布教をはじめた救世軍は日英同盟の締結にも間接的に大きな役割を果たした。石破茂候補の健闘を祈る。
返信: 【Re_金森通倫】
次の大河ドラマは、「八重の桜」をみることにするよ。「龍馬伝」や「晴天を衝け」に関連している時期だからそれぞれの視点でみてみることにする。
岡村素さんは、早稲田第一期生(1882年)で、夏目漱石や大隈重信の教壇に学んだ。ある日、それまで出逢ったこともない「はる」さんが突然、自分の家にやって来て、住みついた。親同士の決めた婚姻は、筋書き通りに進み、妻が嫁いでくるわけだ。白鷺城主、池田輝政の家臣だった岡村家は由緒正しい家柄だっただろう。
岡村素さんは、岡村家の生業ともいうべき医者にはならなかったが、2男4女の子宝に恵まれて、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)を経験したのが30代、40代頃だろうか。山室軍平さんが救世軍の日本軍国司令官になったのが、1904年。與一さんと貴美子さんのお見合いが実現したのは、山室軍平さんが備中阿哲郡出身で、長谷部氏の名を知っていたからだろうね。
與一さんは、戦国期以降の長谷部家の歴史で、はじめて日野出身(尼子の子孫)以外の女性と結婚した。江戸260年の歳月の長さを考えると、岡村家と長谷部家では、かなり身分が違うが、鎌倉時代から続く長谷部の名がふたりを結ばせることになった。これも、山室軍平が農村出身だからかな。
このように考えると、輿一さんと貴美子さんは、本当に運命的な結婚となる。おかげで自分も命を授かることができた。
素さんは、救世軍に入隊するほどだから、人権を大切にする優しい人で、福沢諭吉のすすめどおり、勉学に励んだのだろう。一方、長谷部氏は、先祖代々の土地を守り、武士の誇りを受け継いできた一族だ。
伝統を守ってきた22本の染色体が、いままでとは異なる22本の染色体と交じわり、あらたな22本の染色体が生まれた。
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