絹巻観音
配役
鈴
おふみ(鈴の母)
権六(鈴の父)
三郎(権六の近所の人)
お銀(継母)
観音の使い1
観音の使い2
甚太(語り部)
夕方、田んぼ。上手より権六、おふみ、三郎が現れる。権六とふみは仲睦まじそうに二人で農作業をしている。甚太、前に出て、
甚太 今日は、昔むかしのものがたり、私たちの村に今でも語り継がれているお話を、皆様にお聞かせします。私の名前は甚太、と申します。こちらにおりますのは、権六と、おふみ。近所に住む私たちから見ても、大変仲の良い夫婦なのでございます。しかし、このあたりに住む人々は皆貧しく、こうして日の出から日暮れまで働かないと、食べるのにも困るのでございます。それでも、権六とおふみは、二人で一所懸命に力を合わせて、暮らしておりました。
三郎、権六とふみに向き直り、
三郎 おーい、もうこんなに日も暮れておる。今日はここまでにしよう。
権六 そうだなあ。おふみ、帰るとしようか。
ふみ ええ、権六さん。
三郎 どうじゃ、お二人さん。わしの家で、一休みしていったらどうじゃ。
権六 三郎さん。お気持ちはありがたいのですが、これから、私は藁打ちを、おふみは機(はた)織りの仕事をしなければなりません。
三郎 そうかい。あんまり無理しすぎないようにな。
三郎、上手に去る。
夜、二人の住まい。権六、おふみ、束の間の休息。
そばにある湯呑に口をつける。少しの間。
ふみ ねえ、権六さん。
権六 なんだい。
ふみ 私はあなたに嫁いでから、毎日がとても幸せです。しかし、たった一つだけ、子宝に恵まれないのが、口惜しいのでございます。
権六 そうだなあ。早く、こどもができるといいんだがなあ。
ふみ、うつむく。権六、励ますように、
権六 なあに、子宝は天からの授かり物、そのうちきっとできるさ。
権六、上手に去る。
甚太 子宝は天からの授かり物。おふみはその言葉が気になって、夜も眠れませんでした。そして思いついたのです。そうだ、観音様にお願いしてみよう、と。
おふみ、観音堂の観音に繰り返し願をかける。
甚太 こうして、おふみは、雨が降ろうと、風が吹こうと、一日も休まずに参拝を続けました。やがて、春になると、権六とおふみの間には、絹のように色白で可愛い女の子が生まれたのです。名前を、鈴、と名付けました。
(時間経過を表す効果音)
甚太 それから年月が過ぎ、小さかった娘、鈴も大きくなって、親子三人で仲良く農作業をしておりました。そんなある日のことでした。
権六、ふみ、鈴、三郎、農作業をしている。ふみ、辛そうな表情。
ふいにふみが倒れる。
権六 おふみ、どうした。
鈴 おっかさん!?
ふみ さ、寒気が…。
三郎、おふみの額に手を当てる。
三郎 こらあいかん。ひどい熱じゃ。早く寝かせよう。
権六、おふみを背負い家に行く。鈴と三郎がその後ろをついていく。
権六の家。おふみが寝ている。寒くてたまらないといった表情。
甚太 権六は、食べるのも、寝るのも忘れて、おふみの看病を続けました。しかし…。
ふみ 権六さん、あなたと過ごした日々は、とても幸せでした…。鈴のことをよろしくお願いします。鈴も、おっとうの言うことを、よく聞くのですよ…。
鈴 おっかさん…。
甚太 ふみは三日目の夜に息を引き取ったのです。
ふみ、息を引き取る。権六、鈴、泣く。甚太、去る。
田んぼ。元気なく農作業をする権六と鈴。三郎、権六に向き直り、
三郎 権六、あれからしばらく経つが、お前がおふみを失った気持ちは察するにあまりある。見ていて気の毒で仕方がない。しかし、お前の娘、鈴もまだまだ小さい。どうじゃろう、わしの知り合いの中から、後添い(のちぞい)の妻をもらうというのはどうかね。
権六 ふむ、おふみの三回忌が終わってからにしようとは思っていましたが…。今なら、鈴もまま母に懐いてくれるやもしれません。
三郎 よし、そうと決まればここに連れてこよう。おうい。お銀や。
上手からお銀が出てくる。
お銀 初めまして、権六様。お銀と申します。どうぞよろしくお願い致します…。
甚太が出てくる。権六の家。
甚太 こうして権六は、新しい妻としてお銀をむかえましたが、お銀は気性が激しく、まだ小さい鈴に罵声を浴びせるのです。
お銀 鈴! 洗濯ものはまだ終わってないのかい!
鈴 申し訳ございません!
お銀 それが終わったら山へ薪を取りに行くんだよ。夜は機織りもさせるからねえ。
権六 お銀や。鈴はまだ小さい。そんなにきつく当たらないでおくれ。
お銀、権六をきっとにらみつけて、
お銀 ふん、権六さんが優しすぎるんですよ。それより、これから町の方で用事があるんですよね。そろそろ行かないと日が暮れてしまいますよ。
権六 ……わかった。(鈴に)明日の朝には戻ってくるから、ちゃんとこのおっかさんの言うことを聞くんだよ。
鈴、うなずく。権六、上手に去る。
夜、権六の家。鈴が不慣れな手つきで機を織っている。
お銀が現れる。
お銀 まあ、この子は!
お銀、ものさしで鈴の手を叩く。
お銀 見てごらん。こんなに糸を無駄にしてしまって。機織りも満足にできないような子は家に置いとくわけにはいかないよ。出ておいき!
鈴、打たれた手をさすりながら泣く。
お銀 出て行けと言っているのがわからないのかね、この子は。
お銀、そばにあった糸巻きを鈴に投げつける。鈴、糸巻きを思わず拾い上げ、泣きながら家を出る。
家の外。鈴、糸巻きをじっと見つめて、
鈴 この糸巻き、何だか懐かしいにおいがする…。
鈴、糸巻きに顔を近づけ、
鈴 おっかさんだ。おっかさんのにおいがする。おっかさん、おっかさん、会いたいよう…。
鈴、泣く。
鈴 そうだ、わたしのおっかさんに会いにいこう。いつかおとっつぁんはこう言っていた。おっかさんは、向こうの遠いところへ行ってしまったって…。おてんとさんが帰っていく西の国へ行けば、おっかさんに会えるかもしれない。
鈴、たもとで涙を拭き、しばらく歩く。夜が更けていく。
鈴 ああ、暗くて道に迷ってしまった。ここはどこだろう。お腹も空いたよう。おっかさん、わたしのおっかさん、どうか助けてください…。
鈴、へたり込むようにして座る。女性二人が通りかかる。
女1 おやおや、こんなところで一人でかわいそうに…。
女2 まあ、ぼろぼろじゃないか。さあ、私たちの家(うち)におあがり…。
女二人、鈴の手を引き連れていく。
女性達の家。女1は鈴の足を布で洗っている。女2が湯呑を持って来る。
鈴 ありがとうございます…。
女2 ほら、少しは落ち着いたかしら。それより、どうしてこんな夜の道を一人で歩いていたのですか?
鈴 実は、本当のおっかさんの代わりにきた新しいおっかさんに、お前は機織りが下手だと、家を追い出されてしまったのです。わたしは、この糸巻きを頼りに、本当のおっかさんを探していたのです。
女1 そうだったの、かわいそうに…。こんな山の中ではなにもできないけれど、よかったらいつまでもいていいのよ。そうだわ、その間に私がゆっくり機織りを教えてあげましょう。
鈴 ほんとうですか?ありがとうございます。
甚太 次の日からこの女性たちは、分かりやすく丁寧に、鈴に機織りを教えました。そのうち鈴は、あれだけ辛かった機織りが、心から楽しいと感じるようになりました。そうして何日か経ち、鈴はついに、一人前に布を織ることができるようになったのです。
女1、機を織っている。その横で鈴が思い切ったように聞く。
鈴 もしかしたら、あなたたちはおっかさんではないでしょうか。
女1、優しい表情で鈴に向き直り、
女1 あなたのおっかさんは死んでしまったのよ。
鈴 だって…。 それならば、西の国へ行けば会えるのですか。
女1 いいえ、それは無理です。
鈴 どうして、どうしてなのですか。
女1 夜空に輝くお星様の国へ行きたくても、人は行くことができないでしょう。おっかさんが行った西の国は、お星様の国と同じように、わたしたちが行くことはできないのよ。
鈴 どんなことをしても、本当のおっかさんにはもう会えないのですね…。
鈴、ふいに権六のことを思い出して、
鈴 そうだ。おとっつぁん。早く帰らなきゃ…。
女1と2、顔を見合わせて、
女2 やっとおとっつぁんの心が分かるようになりましたね。本当のことを言うと、私たちはこの日が来るのを待っていたのです。あなたの本当のおっかさん、おふみさんは信心深い方で、いつも村の観音堂に熱心にお参りをされていました。なにを隠そう、わたしたちはその観音さまのお使いで、家を追い出されたあなたをしばらく預かるつもりでこの場所で待っていたのです。
女1 そう、わたしたちとお鈴さんの出会いは、おふみさんの信仰心に報いるための観音さまの御(み)心だったのです。あなたの気持ちも休まり、機織りも立派にできるようになった今、わたしたちの役目もここまでです。
鈴、驚いて聞いている。
女2 これからは新しいおっかさんを本当の母親と思い、父親ともども孝行を尽くすのですよ。
女1 あなたの真心が新しい母親、お銀さんにも通じるよう、私たちも陰ながら見守っています。
鈴 観音さまにお世話になっていたなんて、なんともったいない。ありがとうございます…。
鈴、手を合わせる。観音の使いたち、すっと消えていく。
鈴、目を開け、呆然とするが、
鈴 そうだ、早く帰らないと…。
鈴、家を出て走っていく。
権六の家。心配そうにする権六。その横にお銀。鈴が入ってくる。
鈴 おとっつぁん!
権六 鈴!
お銀 鈴!
権六、喜び鈴を抱きしめる。お銀、驚いた表情。
権六 無事で良かった…。どこに行っていたんだい。
鈴 私、家を出て、死んだおっかさんを探していたのですが、迷子になったのち、観音さまのお使いと仰る方々に助けられ、しばらくお世話になっていたのです。
権六、お銀に向き直り、
権六 出ていけ、今度はお前がこの家を出ていくんだ。
鈴 おとっつぁん、そんなに怒らないでください。こうして私が観音さまの御心に触れ、気持ちも休まり、機織りを学び、少しは大人になれたのも、すべては新しいおっかさんのおかげです。おっかさんが私に教えてくれたのです。それに、わたしは観音さまとお約束をしました。おとっつぁんにも、それから新しいおっかさんにも孝行をし、きっといい子になると…。
お銀 鈴、こんな私を許してくれるのかい? おお、お鈴や、今まで散々ひどいことをさせて本当にすまなかったねぇ。どうか許しておくれ…。
お銀、涙ぐむ。
鈴 ええ、おっかさん。
お銀 鈴…、鈴……。
お銀 泣く。
権六 そうだ、三人で観音さまのところにいこう。鈴に良くして下すった、せめてものお礼をお伝えしに行こう。
三人、うなずき家を出る。しばらく歩くが、家は見つからない。
鈴 このあたりにあの家(うち)があるはずなのですが…。
お銀 ね、お鈴! 見ておくれ! あれは、あれは…!
家のあった場所に、絹の反物が積まれている。その上には鈴が忘れた糸巻き。
鈴 私のおっかさんの糸巻き! ということは、これはあの方たちが、観音さまが私たちにくださったのだわ…。
甚太 こうして、鈴たちは観音さまの反物を頂きました。町の商人は、今までに見たことのない、この素晴らしい反物を、高い値で買っていきました。
甚太 それからまた、鈴が織る素晴らしい反物は、町の商人たちに大変な人気となり、織れば織るだけ買い取っていきました。こうして権六たちの暮らしは少しずつ楽になり、何不自由なく暮らすことができるようになりました。これもひとえに、母の、娘を思う心、観音さまのおかげなのでございます。
(了)
【原典】
仏教説話大系編集委員会,仏教説話大系 「絹巻観音」,すずき出版,1982
【簡易解説】
鳥羽院は絹巻の里と呼ばれており、現在は佐賀県の長瀬天満宮に絹巻観音(布巻観音)が祀られている。「お参りすると、親不孝もんが孝行もんに生まれ変わる」と伝えられ、親孝行や家内安全などを祈願し、お参りに来る人が多くいたとして有名であった。