なんか好きくらいがちょうど良い
冗談みたいにさらっと告白した日からもう一年が経ったらしい。
彼とは専門学生の時に知り合った。
同じクラスではなかったのだけれど、彼の親友と同じクラスで前後の席順というなんとも運命的なところから、彼の存在も知ることになる。
(思い返すと入学する前のオープンキャンパスで私の前のエリアで団子みたいに固まって騒いでいた男子グループも彼らだ。お前らはいつでも前にいるんか。)
それから、私に彼と同じクラスの友達ができ、入学してから1ヶ月も経たないうちに彼とも顔見知りになった。早。
最初の印象は「なんか好き」だった。
最初っから「なんか好き」だった。
まともに話さないうちから仲良くなれるだろうなとふんわり思ってて
話してみたら合いすぎて困った。
私にとって彼は興味の対象。
好きなものから嫌いなもの、どんなドラマやアニメを面白いと言うのか、どんな時にどんなことを楽しいと思うのか。
彼の前での私は、色んなことを聞いてはキャッキャと面白がるガキんちょと化していた。
彼という人間全部が「なんか好き」だった。
そしてそれは後々、恋になる。
それを認める前に私はひとつ壁をつくった。
彼に対しての恋愛感情を一切無くして、サイコーの友達として一生付き合うんだ、と本気で思っていた。
友達になら別れがないから。
18歳の私はまだ子供で、好きなものはたくさん自慢したいし、満足するまで隣に置いておきたいし。
でも、大切だと思えば思うほどどうやって大切にすれば良いのかが分からなくなって空回ってたくさん傷つけて。
自分のせいで傷つけて離れていくことが怖いと一丁前に思っていた。
私にとって彼は失いたくないものだったのか。
彼を大切にしたかったから。
傷つけたくなかったから。
彼と過ごした時間を空気を何年経っても忘れたくなくて
時が経って思い出した時に「そんなこともあったなぁ」て笑っていたくて
彼への好きは誰にも言わずに誰にも気付かれずに閉じ込めた。
まぁそんな彼は、友達としてもやっぱり最高だったわけで。
お互い音楽が好きで、誘い誘われライブに行っては、その流れで朝までカラオケで歌い明かしたり、マイナー曲を発掘し合って一緒にハマっていたり、水族館で無感情な彼が見たいからという理由で連れて行った事もあった。魚を見て楽しむ場で人を見てはしゃいだのは後にも先にも無い。
こんな人間には会ったことが無かった。
(物言いが珍獣)
でも、どれだけ趣味が合おうが、どれだけ長い時間一緒に過ごそうが、私は必要以上に彼に踏み込まないようにした。
というか踏み込むのを躊躇していた。
彼もそうだったのか?
お互いが踏み込まなかったから友達でいられたのか?
お互いのことをなんでも知っている
自分のことをなんでも話せる
世間ではそれが友達だと言われているし私もそうだとも思うけれど
自分のことを話すことが心底苦手な私にとっては、たとえ知らないことが多いとしても一緒にいることが居心地がいいと感じれられる関係も友達だと思っていた。
それも側から見たら一種の逃げなのだけれど。
この頃の私は自分が大嫌いで、自分で自分を苦しめ、悩んで、立ち止まり、逃げることで自分の世界のバランスを保っていた。まるでこの世で1番不幸なのは自分かのように、そんな自分を理解して助けて欲しくて周りに甘えた。
周りから肯定してもらうことで生きる意味を見つけて。
それが正常な人との付き合い方だと思っていたから、それはもうめちゃくちゃだった。
今考えれば彼とそんな付き合いをしていなかったのが奇跡なんだけれど、彼の性格がそうさせたのかと納得もできる。
今なら痛いほどわかるが私は自分に心底甘いらしい。
だけど他人に心底厳しい。勝手に期待して勝手に幻滅する。
本人は多分覚えていないだろうけれど、それを見透かした彼には何度か怒られたことがある。
怒られることでもちろん傷つくし落ち込む。
ましてや大切な人。
あぁ嫌われたんだと思った。
その日は夜の海で滝のように泣いた。
けれど怒られることで、ようやく気づくことわかることが多すぎた。
自分のことは自分が1番わからない。
そう思ってしまうほど自分と向き合うことからも逃げていたのか。
彼は嫌いになったわけではなくて、自分自身に向き合えなかった私とも、しっかりと向き合おうとしてくれていたのか。
他人にどう思われてるのか気にするなと言われた時は私が何も言わずとも彼には見透かされているのかとさすがに参った。
戦う前から完敗。
白旗あげて即降参。
彼は相当手強い。
そしていつでも冷静なブレない男。
ありふれた言葉だけれど、彼と出会えて本当によかった。彼のおかげで私は今ようやく自分をちょっとずつ好きになれていると思う。
彼と出会ってもうすぐ5年が経つ。
今年もどうか彼が幸せだと思う瞬間がたくさん訪れますように。