スクール長コラム「世界と価値について考える」①
9月5日 神戸大学V.School長 國部克彦
<世界と価値の関係>
これまでのコラムの議論について,Aさんから下記のような質問が寄せられました。
「これまでのご説明の世界の捉えかたのアプローチについて理解できましたが,このアプローチでは,どちらも自分の世界(価値観)を超えることができない気がいたしました。世界(価値観)超えるための何か方法や考え方はあるのでしょうか。」
Aさんは,「世界」と価値の関係について,大変本質的な問いを提起されています。今日から4日間,じっくり考えていきましょう。このnoteでは,これまで世界を「認識されるものの総体」として定義してきました。これは,ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で示した「世界」の定義「世界は成立していることがらの総体である」という定義を少しだけ変更したものです。ヴィトゲンシュタインは,さらに「世界は事実の総体であり,ものの総体ではない」と言っていますので,人間に認識されない「もの」は存在しているかもしれませんが(というよりも必ず存在していますが),世界の構成要素ではないということです。つまり,ヴィトゲンシュタインは,人間であれば誰でも同じ認識プロセスをたどれば同じ理解に到達できる事実の総体を「世界」と呼び,その原理のすべてを『論理哲学論考』で示そうとしました。一方,「価値」とは個人の解釈に依存するので,「認識されるものの総体」としての「世界」とは異なるものです。ヴィトゲンシュタインは価値についても議論していて,同書で「世界の中には価値は存在しない。もし世界に価値が存在しているのなら,その価値には価値がない」と述べています。その意味するところは,世界の中でもしすべての人が共通に認識できる価値があるとすれば,それは定義としての価値で,その中身はないということです。定義は形式ですから。これは価値がどこにも存在しないということではなく,価値は人間の数だけ存在しているわけです。しかし,それは全員が同じ理解にたどり着けないという意味で,「世界」の外部にあるというだけです。これまで「世界」という用語を使用してきたので,それが全てであるように理解されたかもしれませんが,それは人間が共通に理解できることのすべてという意味でしかなく,個々の人間だけが理解している部分は含まれていません。それが「世界」の外部に存在していて,「世界」を成立させる条件にもなっています。ちなみに,このようなヴィトゲンシュタインの「世界」の考え方は,その後ヴィトゲンシュタイン自身によって批判され,彼はその限界の克服に自分の後半生をかけることになります。さて,最初の質問に戻すと,「世界の中に価値はない」というのが回答になりますが,実はAさんの方は,「価値」ではなく,「価値観」と言っておられます。「価値観」になると話は少し変わってきます。この話は次に持ち越したいと思います。
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