スクール長ダイアログ <ヴィトゲンシュタインの価値②>
10月12日 神戸大学V.School長 國部克彦
ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」から検討を始めていきましょう。なお,このコラムの目的は,価値創造に関するものなので,ヴィトゲンシュタインの検討も,価値を考えるために必要なところに焦点を当てることになりますが,そのためにはある程度全体を理解しておかないといけません。ヴィトゲンシュタインの議論は部分ではなく全体にこそ価値のあるものだからです。
「論理哲学論考」は,とても奇妙な構造で,7つの命題から構成されていて,命題7以外には,それぞれ番号を付された多くの注が付けられています。たとえば,命題1.1は,命題1の注であり,命題1.11は命題1.1の注というように,注が続いていきます。7つの命題を書き出せば以下のようになります。なお,命題7には注はありません。
命題1 世界は成立していることがらの総体である
命題2 成立していることがら,すなわち事実とは,諸事態の成立である
命題3 事実の論理像が思考である
命題4 思考とは有意味な命題である
命題5 命題は要素命題の真理関数である
命題6 真理関数の一般形式はこうである[ p, ξ, N(ξ)]
これは命題の一般的な形式である
命題7 語りえぬものには,沈黙せねばならない
これだけ見ても何のことかさっぱりわからないと思いますが,ヴィトゲンシュタインが「世界」とは何かを説明しようとしていることは分かると思います。では,彼がどのように説明しているのかについて,思いっきり要約してみましょう。「世界」とは,命題1にあるように「成立していることがらの総体」なのですが,この「ことがら」は命題2で「事実」として言い換えられます。しかし,人間は世界を構成する事実をそのまま理解するのではなく,命題3で指摘されるように,それを写し取った論理像(命題)を思考するのです。その命題が世界を構成しているかどうかについては,その真偽を判定する必要があり,それは命題を要素に分割して真理関数によって決定されるというのが命題6までの主張です。
なお,実際のヴィトゲンシュタインの議論は,成立している事実だけで進んでいくのではなく,成立する可能性のあった事態も含んで議論が展開されるため,その真偽を判定する方法が,論理実証主義的には非常に重要なのですが,私たちの主題の価値の話とは現時点ではあまり関係ないので,ここでは省略します。詳しくは,「論理哲学論考」およびその解説書をお読みください。
つまり,ヴィトゲンシュタインの議論のポイントは,「成立していることがらの総体」である「世界」は,何らかの像(命題)を通してしか認識できないことを述べているのです。その像を構成する手段が言語になります。このような話だけであれば,当然のことを言っているだけと思われるかもしれませんが,ヴィトゲンシュタインのすごいところは,言語を使って像を結ぶのですが,その像と対象の関係は語りえないというのです。それが「言語のなかに写っているものを,言語は描くことができない」という命題4.122です。
像は命題として語りうるのですが,像の対象と像の関係は語りえないということは一体どういうことなのでしょうか。これを価値におきなおすと,「像としての価値」と,その像の対象である「価値」の関係は語りえないということです。「像としての価値」は「価格」として理解してよいでしょう。そうすると,「価格と価値の関係は語りえない」ということになります。これは何を意味しているのでしょうか。いきなり「論理哲学論考」のクライマックスに入っていきます。
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