見出し画像

愛するサッカーがくれたもの。「しがないライター」の半生【2】

今回は僕自身のお話。内容は一切盛らず、赤裸々に書いております。

幼少期から就職直後までの話を記した【1】はこちら。


社会人としての難しさ

介護士はシフト制で、夜勤も当たり前です。
特に訪問介護は24時間365日対応のため、夜間に何件か回りながら、真冬に車の中で毛布を被って寝ることも当たり前にありました。

介護士として計約7年間働き介護福祉士という国家資格も取得したものの、最後は体力の限界に達してしまいました。

ある日、幹線道路を約50km/hで運転中。
強烈な睡魔に襲われ、気が付くとタイヤが縁石に接触していました。
大事には至らなかったものの、大事故の危険を感じ退職を決意しました。

その後、1度はスーツを着る仕事もしてみたいという思いから、一般企業に営業職として就職。しかし、完全に合いませんでした。

ただでさえ人見知りなうえに、一般企業で働いてみて分かったのですがマルチタスクが極めて苦手でした。
多くの人が社会人としてできることが僕にはできなかったんです。

親友からのひと言でスイッチが入る

ただ、同時期に1つの転機が訪れます。
ある日、インスタグラムを見てくれていた親友のT君に言われた「そんなにやっているなら、noteに書いてTwitterで拡散してみたら?」という言葉。
僕の中のスイッチが押された瞬間でした。

彼からすれば何気ないひと言だったようですが、僕はこの言葉で大きく人生が変わることになります。

noteとTwitterを始め、仕事から帰ってくるとアビスパに関する文章を書き、noteに載せてTwitterで拡散。
もちろん初めは無反応に近い状況でしたが、数か月続けると少しずつフォローが増えていきました。

当時アビスパで、現在は横浜F・マリノスでプレーする、とある選手が拡散してくださるなど嬉しい出来事もありました。

そして、初めて仕事につながります。
アビスパサポーターの仲間が福岡で季刊のサッカー雑誌を作ることになり、そのライターを務めることとなったのです。

しかし、取材自体が初めての経験なうえ、取材できるのは本業が終わったあと。
退社すると走って会社近くの公園に行き、周りにたくさんの人がいるなかZoomで取材したこともありました。

たくさんの苦労も迷惑もかけましたが、創刊からしばらく毎号ほぼすべてのページを担当させていただき、計50名以上のサッカー関係者を取材できたことは今につながる大きな経験となっています。

また、Webメディアでサッカー関連の記事を書く機会もいただき、少しずつ兼業ライターとして経験を積んでいきました。

思い切って専業のライターへ

他方で本業の会社員としては全く役に立てず、過去の経験で自分の精神状態は分かるようになっていたため、妻に正直に伝えました。
まだまだライターとしての収入は不安定で子供も小さいなか、その時専業ライターへの転職をさほど反対しなかった妻に、本当に感謝しています。

そこからは専業のライターとして、サッカーに加えSEO記事やスポーツと関係のないインタビュー記事なども書き、徐々に経験を積んでいきました。

もちろん、もっとも書きたいのはサッカー関係の記事です。
しかし、ライターとしてろくにキャリアのない、ぽっと出の僕が大きな媒体に関わることは本当に困難でした。
たまに大きな仕事に巡り合えたものの、収入としては不安定な時期が続きました。

2023年・ルヴァン杯決勝を現地観戦

そして昨年。2023年のルヴァン杯で、応援を続けてきたアビスパは準決勝で名古屋グランパスを破り、決勝進出を決めました。
1995年から応援してきてついに訪れた、初タイトルが懸かる舞台。

この試合だけは何がなんでも行きたいと妻にお願いし、前泊する1泊2日のスケジュールで国立競技場へ向かいました。
新幹線だったので5時間以上かかったはずですが、体感はあっという間。

試合前日は待機列の場所取りをしたのち、Xを通して出会った初対面のサポーターの方々と、決起集会と称して普段は飲まないお酒を飲み気分を高めました。

そして翌日。朝5時には勝手に目が覚め、朝早くから国立競技場へ向かいました。

5割のドキドキと、3割のワクワク。2割は「初めての決勝」と「初めての国立競技場」へのふわふわした気持ちでした。
そのふわふわした気持ちは一気に吹っ飛ぶことになります。
浦和レッズサポーターの1発目の「We are Reds!!」
ベスト電器スタジアムで何度か聞いていたそれとはあまりに違う圧倒的なボリュームに、衝撃を受けました。

ただこれで、子供の頃から決して強くないクラブを応援し続けるなかで養われてきた、逆境好きの心に火が付きました。絶対勝つ、と。

そこからは運動不足の体に鞭を打ち、全力で飛び跳ね声を出し続けました。
2-1で試合終了の笛を聞いた瞬間、僕は立てなくなって座り込み、30代半ばにして人生最大の号泣をしていました。

ライターを辞めようと考えるなかのラストチャンス

その後の12月、僕はライターを辞めようかなと考えるようになっていました。
フリーライターは非常に不安定な仕事です。

元々独学でキャリアも実績もなかった僕は、波はありつつも思うようには仕事を得られず、家族もいる身として決断を迫られていました。

悩むなか2024年を迎え、1月のある日。たまたまXでエル・ゴラッソの記者募集のツイートを見つけました。
「これがラストチャンスだな」
即座にそう思いました。

誰にも言わないまま、昨年身をもって体感したルヴァン杯決勝・浦和戦について書いた、渾身の文章とともに応募しました。

そこから待つこと数日。
面談へと進めることとなり、ありがたいことにV・ファーレン長崎担当としてのお話をいただきました。

福岡県から長崎県へと、日々通うことになる。
その大変さはなんとなく分かっており、また家族に相談する必要もあったため即答は避けましたが、僕の心の中では回答は決まっていました。

「V・ファーレンのために全力を尽くす」という決意

V・ファーレン長崎との関係は自主的なスタートではありませんでしたが、引き受けようと思ったそのタイミングで、心の中で決めていたことがもう1つありました。

「引き受けるからには、V・ファーレン長崎のために全力を尽くす」

ライターとしてだけではありません。
関わる人間として、V・ファーレンのファン・サポーターの1人として。
それは縁を感じ、直接ではないにせよラストチャンスをくれたクラブだから。

アビスパ福岡に対しては、ひと区切り付いた感覚

V・ファーレンの記者として活動するようになった今改めて、昨年のルヴァン杯決勝を生で観て、アビスパの初タイトルに立ち会えて本当に良かったと思っています。
それは30年近く応援し、タイトル獲得まで見届けられたことでちょうどひと区切り付いた感覚だから。

今季もベスト電器スタジアムにて家族で3試合を観ていますが、昨季までとは少し違う距離感で楽しんでいます。

人生とは本当に不思議。何がきっかけになるか分からない

現在はエル・ゴラッソのV・ファーレン長崎担当を中心に、クラブが試合時に配布するマッチデープログラムやファンクラブ(V-Lovers)の会報誌、Jリーグ公式サイトの見どころや戦評、FOOTBALL CHANNELのコラム記事などの執筆をおもな仕事として、日々を送っています。

人生とは、本当に不思議なものです。

高校生の頃からの親友・T君からの言葉でスイッチが入り、気が付くと彼と何度か来た長崎で、人生の一部であるサッカーに深く携われているのだから。

だからこそ僕は今、小さな「縁」「きっかけ」をとても大事にするようにしています。
人生はどこでどう変わるか分からないと、身を持って知っているから。

福岡から長崎への移動に多少の疲れを感じることもありますが、介護士として夜勤をしていた時期を思い出すと「なんてことないな」と思えます。

ライターになって以降、好きな仕事ができない時期を思うと「本当に幸せだな」と思います。

何より、思い悩んで大学にも行けなかった時期のことを考えると今の状況は嘘のようです。

今になってみると、難しい時期の経験も一つひとつが糧になっているなと感じています。

心底大好きになった長崎とV・ファーレン

エル・ゴラッソからのお話をいただいた時に決めた思いだけでなく、実際に長崎を訪れる度に、長崎、そしてV・ファーレン長崎が本気で好きになっていきました。

それは何よりも人の良さを強く感じたから。

クラブ内外の長崎県で直接接した人々、SNSなどでつながったファン・サポーターの人々が本当に素敵な方ばかりだったことで、V・ファーレンへの思いはどんどん強くなっています。

スタジアムで観ていて得点が決まるとついガッツポーズをしてしまい、最近は自宅でも無意識にV・ファーレンのカンターレやチャント、V-ROADを口ずさんでいます。 

子どもたちも自然とチャントを覚え、親子で歌うようになっています笑
V・ファーレンの覚えやすいチャントもすごく好きです。

V・マガジンをスタートした理由

V・ファーレンには、Jリーグには、サッカーにはもっともっと大きな可能性がある。僕は本気でそう信じています。

それをほんの少しでも現実に近づけるために
「気軽に無料で読める、ファン・サポーターへのきっかけとなり得る媒体を作りたい」

そう思ってチームのことを伝えるだけでなく、あまり触れられていない周囲の方を取り上げる「V・マガジン」をスタートさせました。

まだまだですが、楽しんでいただけるようなことを少しずつ増やしていけるよう動いています。

タイトルにも書いたように、僕は自分自身を本気で「しがないライター」だと思っています。

それはこれまでの不器用な人生があったからで、同時に現状に満足せずもっともっと向上していきたいから。

今後の人生がどうなるかは僕自身にも分かりませんが、関わらせてもらえる限りV・ファーレンのために全力を尽くすことをお約束します。
今後とも応援していただけると嬉しいです。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集