ドラマ全然観ないけど、これは普通に連ドラで観たい──真藤順丈『夜の淵をひと廻り』レビュー
真藤順丈『夜の淵をひと廻り』(角川文庫、2018年)の舞台となるのは、西東京の架空のまち「山王子」。どういうわけか小さな謎から超凶悪犯罪まで、事件という事件が日夜巻き起こるこの山王子の交番に勤めるのが、本書の主人公たるシド巡査である。このシド巡査のキャラクターがなんといっても濃い。日々パトロールに精を出し、住民たちの平和を守るべく奔走する正義感溢れる警察官──とでもいえば聞こえはいいが、実態は山王子住民の証明写真の切れ端から給与明細までをコレクションし、各戸の家族構成や年齢や勤め先、迷惑行為を繰り返す不審者ひとりひとりの属性まで完全に把握しなければ気が済まない、常軌を逸した詮索魔なのである。そのあまりの情報通(?)ぶりに後輩警官からは「全住民へのストーカー」と称され、交番にはクレームが殺到する始末。しかし当の本人は腰が低いかと思えばとんでもない自信家で、自分はまちの平和に大変に貢献し(結果としてはまあそう間違っていないのだけれど)、後輩や同業者からの信頼も厚いと信じて疑わない。シド巡査がこんな「詮索魔」になってしまった理由は、過去のある事件にあるのだが──。
そんな、交番勤務に人生を捧げるシド巡査を主人公に据えた連作短編集である本書は、本格的なミステリ小説でありながら、枠に嵌めて説明することのできない、ジャンルやセオリーを超越したおもしろさに満ちている。シド巡査の警察官人生に深く根を張る、幻想的ともSF的ともつかない背景もそうだし、突拍子がないようで最終的には納得させられてしまう犯人・事件の数々もそうである。特に本書のうちの一編「新生」などは、この設定だけで分厚い単行本、あるいはシリーズものが書けるくらいなのに、なんともまあ、いとも簡単に「短編」として物語を終わらせてしまうそのあまりの潔さに驚かされる。渾沌としながらもどこかリアリティを持つその独特な世界観は、「山王子」という得体の知れないまちの魔力はもちろんだが、なにより著者・真藤順丈の技術と能力によるものなのだろうと感ずる。
登場するキャラクターたちはみな個性的で魅力的だが、シド巡査はじめそのすべてが、過去や未来、周囲の人々との軋轢に苦しみ、藻掻きながら生きている。そうした人々によって引き起こされ、あるいは解決される(否、「決着を迎える」といったほうが正しいのかもしれない)事件の数々は、ときどき背筋が寒くなるくらい残酷で残虐、恐ろしいほど無味乾燥な筆致で描出される。その「生」と「死」の熱量の落差に、どうにも惹きつけられてしまうのだ。「決着」を迎えたとしても、大団円とはとうてい言い切れない話も多く(「スターテイル」を読んで、久しぶりに小説で打ちのめされてしまった。つらいです)、どうにも割り切れないことでも、人生をかけて「それ」と向き合っていかなければならないという無言のメッセージに、「警察官」という職務の重さを感じざるを得なかった。
──まあとにかく、簡単にいうとめちゃくちゃおもしろかったのだ。上質なエンターテインメントとして、ひたすらページを捲ることに没頭できた読書体験であり、圧倒されながらもどこか爽快感もある読後感だった。私自身はあまり小説や漫画の実写化を素直に喜べないタイプの人間なのだけれど、純粋に「こんなにおもしろいのに、なんでテレビドラマ化してないんだろう?」というなんともミーハーな感想を持ってしまうくらいにはおもしろかったのだ。深夜枠とか、ちょっとダークで過激な刑事ドラマ枠(水曜22時くらいか?)ならワンチャンいけるんじゃないか。そういう硬派で、けれどエンタメ性も失わないような世界観が得意な監督に、玄人受けするしっかりした脚本で映像化してもらえたなら、日本のテレビに残るミステリ・ドラマができあがるんじゃなかろうか。きっと主演は、あんまり冴えないかんじの中年男性バイプレイヤーがいい。普段まったくドラマを観ないから素人考えも甚だしいのだけれど、文字を目で追いながらどうしても、自転車でまちを巡回する、質量を持ったシド巡査を思い浮かべてしまった。底の見えない魔力をもつ山王子という土地、そしてそこで警察官としての人生を生きるシド巡査たちの活躍に、より多くのひとが毒されていくさまを、妄想せずにはいられないのだ。