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ぜんぜん普通に神になりたい

 神になりたいですか?

 私はほとんど無宗教だし、クリスマスは楽しみだし、お彼岸にはおはぎを食べる人間です.本当に神様がいるのだとしたら、この現実をそんな悠長に眺めるような存在を崇拝するなんて嫌だなあとすら思う日もよくある人間です.

 私にとっての「神になりたい」とは、大切な人たちが健やかに生活してほしかったり、食べたいと思ったものがちゃんと美味しかったりするような、そんな願いを叶えられる存在になりたい、ということ.天災や事故を防ぐような力は持てないとしても、今日も明日もこの数年が笑顔で彩られてほしいと願った時に、私は神になりたい.神様じゃなくて、神.人間が毎日地道に努力する様もとっても美しいけれど。努力を一歩超えた世界を操れたらいいと思ってしまう.そんな時はいつだって、少し強くなりたいタイミング.

 仕事に暇をもらい、好き勝手に過ごす自由を期限付きで手に入れた今、日本で時間を潰すにはお金が欠かせないことに気づく.人の眼が刺さるような気分になっても、今の私には可処分空間は存在しないから、なんとかやり過ごす.図書館の本を読み、モールの洋服を眺め、街路樹の変わりゆく葉の色を見つめる.吠える犬のエネルギーに圧倒されて、陽の光の暖かさと風の冷たさを知る.地球に立ってるだけなんだなって改めて感じた先に、生きる道が見つからない焦りを持て余す.焦っているのか、焦っているふりをしなければと思い込んでいるだけなのかすら分からなくなっている.
 周りの人が笑顔で生きていてくれればよかったはずなのに、私が幸せになることを求めてくる.「ひとのことなんて考えずに」って今更言われましても.一人っ子長女を舐めないで欲しい.純粋にやりたいことがあった頃なんて保育園時代からなかったのに.応援する人がいないと成り立たない世界を見せつけられ続け、機嫌を損ねたら家が揺れていたのに.軌道を描く日が来るなんて思ってなかったから、道具だって気持ちだって全部押し殺した後なのに.

 確かに他責すぎるのかもしれない.それでも今くらい感傷に浸らせてほしい.
 他所から見ればずっとずっと自由だったんだと思う.でもその自由を行使できるなんて思ってもみなかった.本当に.動物園のゾウが、子どもの頃につけられた鎖を外せないと思い込むように.「大人になったら」って思っていたのにいつの間にか大人になってしまっていて困る.もっとなんでもできると思っていたのに、羽を折っていたのは自分だなんて.薄々知っていたけども.

 キャリアも名誉もいらないから、大切な人たちが健やかでいてほしい.欲を言えば自分が「おかえり」って言える場所が欲しい.そこに帰りたいと思える家族が欲しい.それだけなんだけど、それを叶えたらほかの大切な誰かを傷つける.それだけ.誰かを犠牲にしなければ成り立たない幸せを願った時にはどうしたら良いのですか.そんな時に思うんです、ぜんぜん普通に神になりたいって.

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