同じ言葉を返すんじゃなくて、、、、好きを伝えれば良かった。。
#自分と向き合うシリーズ 続編です。
感謝と言うありきたりだけど、他に表現のしようのない言葉、この「感謝」が溢れてくる境地に達したのね。
すると、昨日書いた「食事」は自分の未来のを創ってくれるもので、なんとも言えない思いがまた溢れてきた訳。
で、更にその先に進むと、今度はどうやら恨みに思っていたけどどうにもならないんだからと封印していたことを「表出」させて見つめてみたのね。
そしたら出てきた。
父や母や歳の離れた兄弟達からの言葉をただ鵜呑みにしてただ思い込んでたその言葉の違う側面が見えたのさ。
あーだこーだ
自分とそこ向き合ったのね。
そしたら、さっき!!
あ、カットに来る車の中で気づいて、降りるタイミングだったので、途中まで😆
で、終わって今、続きちぅです。
以下がカット前の文章ね。
どんなに酷い言葉をかけられたとしても、同じレベルで同じような感情をこめてこっちからも発しなくていいんだよ。
なんてこった!
あんなことこんなことを言われたからって思ってたことがひっくり返ってさー
おとーちゃん
おかーちゃん
大好きだよって言ってあげればよかったよ。
のち、加筆します。スマヌ😆
ここまで。
水平線以上の文章は追加分。
水平線で挟まれてるのが書き始めの分ね。
ここからは追加分です。
何が言いたいか?なんだけどね。
この3日分くらいの記事を遡って、まるで【うずまき】になったつもりで読んでくれてらわかるかも?
感覚、今までのじっと信じてたことが全部ひっくり返ってるのよ。
全て、守られて、愛され,応援されて、望まれて「今」があると言う根底からの理解腹落ちしたのね。
そしたら、なんとわたしはバカだった!!
自分が欲しい言葉を言わない相手にこそ、自分が言われて嬉しいことを言ってあげたら良かったのだ!
同じように因果応報だ!と投げ返してるから、そんな言葉しか返ってこないのだよ!
相手はどんなにも「愛が欲しい」のだ、だからこそ逆の言葉を言っちまって「注目を欲しがった」んだよ。
その行為の向こう側にほんとにほんとに欲しいものが隠れてたのだ。
なんてこった!
もう、この世にいないよ!
とーちゃん
かーちゃんに
酷い言葉言われたとしても
同じ土俵でそのまま打ち返してしまったよ。
もう2度と、大好きだなんて言えないのに。
こんなことを頭の中で展開したらね、
わたし、両親のこと好きだったってことを思い出したのよ。
まさかのまさか!
楽しかったあんなこと
こんなことを思い出したのだ!
あるんだよ
ちっちゃくて、忘れてしまったような楽しかった嬉しかったこと。
でも、ちゃんと絶対あるんだよ。
どうしても、嫌なことばっかり出てくるけど!それは教育の賜物!
贈り物!
お返ししよーう!
もー要らない!!!
わたしは、ちゃんと事実を思い出したんだもの!
もーね、上辺の感謝をしっかりと通り越したよ。
もう、居ないけど。
わたしはあなた達の娘に生まれてよかった。
苦労して育ててくれて本当ありがと。
それから、わたし!
わたし、ちゃんとこの両親を選んで、この人生を選んで、生まれて来て良かったよ!おめでとう!ほんとによく育った!
全てが自分の全て。
なんとまぁ
思い込みとちゃんと向き合ってここまできたわ(笑)
伝わるといいけど😆
なんかも!
すんげ!
山上で叫びたいぞ!!!
サンボマスターの曲の中の言葉。
書いてみた。