つまり、自分よ。ちゃんと自分と会話。これが真髄.
書こうと思ってたことが、消えた。
どこから?
脳内から。
必要ないのか笑
果てしなく欠伸がでる。
昨日、結婚したての若い夫婦の奥さんが鬱になったと動画投稿されていたのを観ていた。
笑顔が消え、能面で、頭重感で這いつくばってトイレに行く様子がそこにあった。
これを観て、何を思うか。
わたしは、わたしなりに今「鬱症状」なんだなって感じた。
動けるよ。
自分の意思で何処にでも行ける。
だけど、能面だ。
彼女は今自分と戦っているのだろうか。
今ある状態をただ受け入れることがなによりだろうな。
人ごとに聞こえるだろうけど、いいんじゃない、何もしなくても。
頑張って復帰しなくてもいい、生きてるだけでいいじゃんって。
あなたがいつから夫氏がいる。
支え支えれれて存在してて、バランス取れてるって。
でも、そんな状況でなくてもそれは具現化できて、楽しく暮らせるはずだよ。
切り離して言葉にしてみた。
あらら、これ「わたし」に言えることだよね。
そっか、わたしはまだ戦ってるのか。
いいじゃん笑
生きてるだけで。
それだけで価値があるんだよ。
ほぼ、無条件で支えてくれる夫がいるじゃんか。
文句も言っていいよ。
なんにも我慢しなくていい。
わがままでもいい。
そこに居てくれたら、それでいい。
いや!それがいい!!!
違う立場で考えたら簡単に出てくるね。
こないだから怒ってることに対して夫は謝らない。放置。というかどうしていいか分からないのだろう。
散髪屋さんに話すと「甘えてるよね」って。
そう、甘えてるよね。わたしあんたのお母さんじゃないし。
このセリフあちこちで言うなー。
わたしがそうやって甲斐甲斐しく尽くしてるんだろうね。
辞めやめ。
そうやって、無性の愛で尽くすのが「母」だと思ってるのがわたしの根底にある思い込みだね。
だから求めるんだよ。
母ったって、ただの一人の「女」なんですからね。
「産む」行為のおかげで体の変化を大きく体験することで「母性」を発揮し、母になる。
そうでもない人もいるけども。。。
父親はそんな瞬間も体験もないからね。
こどものままある日突然「父」になる。
どうやっても準備したとしてもそんなのは全部ポーズ。
可愛いし、この子の為にってスイッチ入るのだろう。
こどもの写真を持たせるといいよね。
頑張れ!とケツを叩ける(笑)
わたしの「母」への幻想をウザいと求められて辛かったから「母親卒業します」とある日宣言した。
のに、わたし自身が自分にその「母幻想」を纏い続けてたみたいだ。
もうみんな独立したんだよ。
もう、いいよ。
よく頑張ったね、お疲れ様でした。
元服15歳。
ここに向けて自立を促すわたしの子育ては間違ってなかった。
だから、うちの子たちはしっかり「自分のことは自分」で賄っている。
つまり、本当にわたしの生きものとしての使命は終わっているのだ。
よし。
ここからは、大切なわたしを大切に丁寧にするために「使う道具」として自分を使おう。
今、わたしの望みは
「わたしと仲良くなりたい」
なのだ。
なぜか、わたしはケツを叩き条件を求めてきた。
存在するために必要な条件を。
こどもは生まれて喜ばれてたのに、ある日歩いたら、歩けることが条件に。
当たり前になっていくのも分かるし、それがどうのではない。
最近流行り?の「不適切。。。。」なんちゃらの阿部さだお氏のドラマ観てる。
そして、こないだから古い映画を観ている。
タバコを吸うシーンなんてザラに出てくる。
10年でこんなに受け取り方変わるんや?
と思うくらいに、自分の感覚の差に驚く。
こうやって10年を一気に比べられる映画ならくっきりと変化は分かるが、日々じわっと変わっていくのは分かりにくい。
じわじわっと
その価値観は塗り替えられるのだ。
自分が自分でいつづけられるのは大変難しいことなんだって。
歪められて
塗りこめられて
色々と「自分じゃなくなる」ことを積み重ねていくのが「学習」というのだ。
これは由々しき事態ですぞ!!(笑)
だから、自分を取り戻したくなるんだよ。
後ろ向いて過去に向かって歩いているわたしたち。
ブレーメンの笛吹きがいるんだよ。
アンデルセンすげ。
二日間連続で夫が朝のわんこの散歩に自ら出かけた。
ありがたいねー。
女王様は平日、朝も夕方も一人でやるんだよ。
土日祝ぐらいお前がやって当然だろ。
ありがとう。
体鈍りそうや。
何を愛と呼ぼうかね🙄
で、布団の中で天井むいて声を出して独り言。
これ面白い。
思ってもない言葉出てくる。
声を出して瞑想かもね笑
実際、体の中(頭の中)にぐるぐるさせてるのって「音」にしてないからかも。
書いてもいいけど、それ
音読やね。
体は他人やから、やっぱり対話は絶対に必要だわ。
頭の中は勝手に都合よくクソみたいなことぐるぐるさせよるもん笑
出してこそ、やわ。
それも、言いたい相手にね。
スタエフで「誰か」に向けて「カッコつけて」話してても埒があかん。
言いたい相手にってこと大事。
つまり、自分よ。
ちゃんと自分と会話。
これが真髄.