回る揺れは初めてだった。桑の木に捕まるおかん。畏怖の念を。
元旦の地震なんて記憶ない。
家族が揃ってる状態での緊急事態。
我が家は揺れる。
突貫工事で建てたのだろう、後から積み上げただろう箇所は重いのだろう。
揺れた分だけ歪みが修正されるといいのだが。
不謹慎にも思ってしまう。
北海道のブラックアウトの時は次女が松葉杖で、まだ午前中だったかな?
長男はバイトに行く前で3人で家に居た時、揺れた。
揺れが治ってお隣に向かうと「へ?」だったくらい、家屋の差が出た。
だから、築55年のうちが揺れてもそんなに大変な事態ではなかろう?と希望的観測でいたが、外に出たら余計に怖くなるくらいの揺れだった。
ブランデーグラスを手のひらで揺らしているような「回る」感じ。
庭で家を見上げても何もかもが回っていた。
あまりの怖さにほぼ棒になった桑の木に助けを求めた。
夫は犬を外に出そうとしていたが、茶色の方は怖がる人間達の普通でない状況が怖くておろおろ。
白い方はやはり人間達の動きに対応しかねるのか、じっと座っておやつちょうだいスタイルをキープしていた。
長女はみんなの様子をただ見ていて「大丈夫」と冷静だった。
次女はわたしと同じで「揺れてる揺れてる」と怖がって飛び出していた。
わたしは買い物に出かける前のトイレにいた。
この状態で天井が落ちて来たとしたら、救助の際にパンツくらい履いていたい、、、という緊急時でも羞恥心を考え必死に揺れながら衣類で体をつつんでいた。
ついこないだ、阪神淡路大震災の時のことを書いたところだった。
このところ寝る前になんとなくそんなことが頭に浮かんで来ていたのは事実だ。
地震は本当に怖いよ。
昨日の地震のあと、原発が気になった。
津波は過去の経験が功を奏してか?ちゃんと怖がって大丈夫なっているのだろうか。
人の動きが「これから夕飯作り」の時間帯よりも「おやつ後」の時間帯のおかげで火災は少なかったのだろうか。
阪神淡路大震災の時は「今から調理」の時間帯だったから。。。
命運を分ける出来事がいっぱいあった。
胸を掴まれて、ぎゅーと上に縛り上げられてどうにもならない苦しさを感じる。
何があっても、地球は周り朝が来る。
ただ、ただ、日常が繰り返される。
小さな自分に何が出来るか。
大袈裟にでもなく
ただ、地球は周り宇宙的な営みは平常と繰り返されることに畏怖の念を持ち、ただ生きる。
自分が昨日の朝書いた記事とリンクする。
ちょっと慄いて修正しちゃったけど、実際「踊らされてる」のだからして、そのループを俯瞰して抜ける。
目の前の人参にまやかされてる。
誰がなんと言おうと
どんなに嫌われようが
わたしはわたしのやることをやる。
寒い時期の出来事は未来を見づらくさせるよね。
どうか、日常が困難になられた方々、踏ん張ってください。
この事態から何を気付けば良いのだろう。
本当の優しさってなんだろうね。
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20年もののパズル🧩完成。
わたしは参加してないけどね笑