わたしはいつも新しい🌟
このタイトルはこないだコーティングを受けていて、自分がADHDだと気づいたんだよ!って告げている時に出た言葉だ。
相手の反応が素晴らしかったなー。
えぇ!いつも新しいって素敵な表現!!って、感動してた(笑)
いゃ、感動させたいわけではなくてね、事実なのよー。
よーくよーく考えた。
15年前にあまりの記憶消失に自分でも、やばいと思って行動した。
自転車で行ける距離にあったクリニック。
まず、受付で「え?自転車?ご本人?」の対応に、わたしが「え?何かおかしい?」だった。
まーね、そうだわね。
認知症か?と疑われての検索だとしたら、患者本人が自転車でってのは妙なのかもね。
その辺のエピソードはまたいずれ書くとしてー。
記憶ってなんなんだ?ってくらいに消えるものと、忘れるものと、覚えているものと(都合よく書き換わってたりするのも含め)ある。
わたしの場合、忘れると言うものでなくて「消える」のだ。
初めからなかったものなのだ。
これには行動が伴うのだからして、やばいものだと思っていただきたいかも。
空気を読むものだから、この人おかしくない?と震盪してきて「どうやらやらかした?」と小さくなる。
書き始めると、自分の駄目さを思い出しては、落ちていく。
ね、そんなことは忘れてない。
どんなことを消しているかと言うと、、、。
自分が話したこと
これが主にだと最近気づいたというか、反面したのだ。
あ!
もしかして認知症かも!
認知症の方はレコードの針が飛ぶかのように、真っ新になってまた同じ話しをするよね。
これに似てるかも。
うーん。
早死に希望で
どちらかといえば
忘れてしまいたいとか
全てを投げて変えてしまいたいとか奥底に願望してるのかも。
ならば、着々と希望を叶える方向に歩いているのかもね。
で、それは本心か?
本題からずれとる。
確かに、そこはしっかりとまた向き合う事柄だな。
取り急ぎタイトルに戻るとー。
つまり、いつもわたしは新しい感覚で、自分に起きた「感情・感覚」を話しているのだ。
その人にとって新しいのではなくて、わたしの中でその感覚や感じたことが「新しい」。
なので、いつもわたしは「こんな気づきをしたのよ!素晴らしいわ、わたし!」ってなる。
なかなかに
素敵でしょ(笑)
スッキリ消え失せる前に書き残しておこうかな。
わたしの軌跡。