noteの世界は自由だよ。
もし、現実で体の自由がきかないのだとしても、
noteの世界で自由になればいい。
現実という苦しさの中にもし、いるのなら、そうでない世界を好きに描いていい。
誰の許可も要らない。
自分の許可があれば、いい。
出来ない自分がいるならば
できる自分を存分に描けばいい。
嘘をつく人が気になって仕方がない人は
思いっっきり!嘘を描けばいい。
血が見たければ、この仮想の世界で存分に滅多刺しにすればいい。
不自由だと思っている自分がいるのならば
制限のない世界を繰り広げればいい。
でも、何故だか、人は「リアル」から離れられない。
それは、リアルの自分が好きだから、じゃないかな。
そもそも、自分のこと一番に大切にしているから生きてるのであって、大好きでしかないのだ。
だから、わざわざ自分を愛そうとしなくてもいいのだ。自覚するだけ。
名前から入ればいいな。
大嫌いだった自分の名前だったのに、いろんな人が似顔絵描いてくれたり、名前を書いてくれたりとデスク周りに溢れた。
そんなある日、名前に囲まれて笑顔の似顔絵がこっちを見ている。
あー、これは受け入れのタイミングなんだと思ったわけだ。
大嫌いな名前に囲まれても嫌じゃなかったし、心地よかった。
なんだ、シチュエーションが嫌な感情を乗っけてただけなんだ。
名前は自分で持って生まれてきたんだった。
名前を描いてはぐるぐると真ん中を開けて壁に貼り付けて「お名前ワーク」っての開発してやったときもあった。
新聞に描くのだけれど、その記事がまた気づきになっていくのが面白かった。
共通することを見つけるって、俯瞰の訓練みたいになるのかな。
殴られながら分離する術を得た時からの得意技だぜ。
恐るべし3歳。
3歳の末の老いた年の娘を殴らなくてはならなかった親父の心境を思うと、切なくなるわ。
どうにもならない「想い」をぶつける先がない。
もし、このnoteみたいな「誰かに読まれる日記帳」があったら少しは気が紛れたのではなかろうか。
だからこそ
日常から離れた世界に住むことが出来るならば、ここに自分にとって自由な世界を繰り広げればいいと思う。
ここは自由なnoteの世界🌍
実は、リアルも自由な世界なんだけどね笑
制限だらけで縛り上げた不自由な現実から出るためには、noteの世界で自由になれれば、制限を取っ払う訓練にもなるかも知れないね。
因みに、リアルも仮想も区別してるのも「自分」なんだけどね笑
どっちやねーん🤭
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