I feel pretty を観て。まずは、呪う努力を止めることだね(笑)
昨日の夜、晩御飯が終わった後、夫氏が録画していた映画を観た。
内容は知らん。
適当に、良さそうかなーと思ってとりあえず録画した。
そんな感じ。
結構こうやっt晩御飯後の映画鑑賞ように録画する夫氏。
で、どんな映画かも分からず見始めて、なんだろうか、不細工だった人が夢を求めて綺麗になっていくサクセスストーリーか?😣と、数分は感じたけれど、え???な展開。
詳しくはprimeでも観てくださいいませね🎞️
初めは痛くて指の間から観てる感笑
でもね、なんだか途中から応援感に変わる。
で、いつしか応援ではなく、それが当たり前の世界で自分自身だと思えちゃうのだ。
女優さんがこれを演じきる姿がまたすごかった。
まさに、人々が隠してそれを「恥部」だと思い込んでいる部分に切り込んだ!って感じかな。
それをコミカルにと言うか、全く神妙にしない。
ここがいいよね〜
なんかね、精神的な分野になってしまってる「生き方哲学」のだが、そうじゃなくて、常に目の前にあってそれを問い続けるのが人生なんじゃないかなーって思うのさ。
自分の生き方は自分で決めて生きてるのに、人や環境のせいでいつまでもぐじぐじしてるのって、自分でその世界作って浸ってて(笑)
妙に神妙にして、特別なものにしようとするのよね(笑)
深刻ぶって、可哀想なわたしを演じる(笑)
これ、ほんま、今なら、笑える😆
で、この映画にはそこがない。
国民性もあるのだろうな。
その辺の描写はあるのはある。
周りの綺麗な女性達から漏れ出るのは「外的要因から自分を決めている」状態が見て取れる。
ここは必須ですな。
映画の進み方には突然感があって、展開が飛んでいるようにも見えた。
でも、テレビ的にカットされてるとか、日本語訳がそう感じるのかなので、見る側の感性の問題だろうな。
総じて。
自分の思い込みがどれだけ自分の人生を歪めているか。
自信に満ち溢れている時がどんなにもパワーがあるのか。
その自信すら思い込みから発信されて、勝手に周りを巻き込む。
大体ほとんどの人が「自身のなさをもっている」状態で、誰もが不安の中生きている。
人と比べて自分を見つめては卑屈になるなんて、どれだけ馬鹿らしいことか。
大きな勘違いの中で生きるなら、素敵な勘違いで生きる方が綺麗なんだよ。
そんな人を魅力的って言うんだよ。
字幕ではなくて本当の脚本で読み取りたい!!!
ま、多分この映画が伝えたいことは受け取れたような気がするから、いいとするか🤭
人は「自分の言葉に支配される」。
頭の中の言葉達を実在のノートに「書き写す」ことで、ノートにその続きを思考してもらう、この方法はなかなかよろしー。
実在のノートでなくても
最近は「それ」と「これ」と分けられるようになったから、脳内で瞬時に切り分けられるようになった。
自分を呪っているのが自分で、常に吐き続けてることを自覚する。
まずは、呪う努力を止めることだね(笑)
爆笑🤣
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