見出し画像

母が亡くなって分かった、大事なこと。【きもち編】

少しご無沙汰しておりました。

日々いろいろでしたが、やっと少し落ち着きそうです。

今回は、人生で一度の「母の死」によって気付かされた沢山のことをシェアします!

良かったら、読んでやってくだせぇ。

突然ですが、「リメンバーミー」をご存知ですか?


私はこの映画、以前旦那のお母さんに教えていただいたのですが

このディズニーピクサー映画、秀逸です。

(2月には地上波放送もあったようなので観られた方も多いかな?)

舞台はメキシコ。年に一度、死んだ先祖と再会する「死者の日」。

“骸骨となった死者たちが陽気に暮らす死者の国”に少年ミゲルが迷い込み、音楽と家族の絆をテーマに冒険を繰り広げる物語

なのですが

カラフルで美しい映像や、マリアッチの素晴らしいラテン音楽もさることながら

この映画の最大のテーマである「家族の絆」

エンディングに向かうにつれて、その深いつながりと、とてつもなく強くて優しい愛を胸の中心に感じられる内容になっています。

もし観ていない方は是非!オススメです。

陽気な音楽と共にテンポ良くストーリーが進むので、うちの3歳息子も最初から最後まで飽きることなく集中して観ていました♪

次女が、この映画のテーマソングである「♪リメンバーミー」を口ずさんでいたので「久しぶりに観ようか!」と、アマゾンプライムで購入していた本作品をこどもたちと一緒に観ました。

結果、母を亡くしたばかりの小娘(私)は、感動のラストに向けて涙バーバーの鼻水垂れ流し状態でスーパーツラタンでしたが

『こんな風に死後の世界があるのなら、母ともまた逢えるのかな~』

と少しほっこりしたり

逆に『不仲だったり、お互い嫌いながら亡くなったりすると、死後の世界でも結局また会うことになってそれこそハイパーツラたんやない。。』と思ったり...

※以前書いた、鬼のようにきびしい教育ママだった祖母と、母はまたあちらで再会しているのだろうか。大丈夫かな?と変な心配をしたりもしておりました。(そのくらい、死後の世界をリアルに想像できる素敵な映画でございます)

親子、兄弟、夫婦、友達。

今世で深く関わる、だれのことも

「好きだなぁ♡」と思えてる状態で生きていきたいね~と、子供たちにも伝えてみました。

うんうん、と強く頷く8歳6歳女児。

観終わると同時に、見えない敵と戦い始める3歳男児。笑

ずーっと今みたいに、兄弟仲良く生きてくれたら母は嬉しいなぁ。

ちなみに腰を痛めてベッドで寝ていて、結局ラストしか観れなかったパパでも追っかけて泣けちゃうくらい、秀逸ですよ!リメンバーミー♪

画像1

家族(親子)の絆とは


さてさてそんなリメンバーミーを観ながら、亡くなって一か月が経った母に想いを馳せる。

母が倒れた4/30。亡くなった5/20。そしてそれから今日までに、娘の私が感じたこと。

(あまりにも辛い日々の中で)悟りに近い心境に至ったことなどをまとめていきたいと思います。

親はいくつになっても親


世の中、絶縁状態だったりかなり疎遠な親子も多いと聞きます。

私と母は、比較的うまく付き合ってきたと思いますが、これまでのnoteにも綴ったように

「マジョリティが右、マイノリティが左」の表があったとすれば、限りなく左端に指一本でギリギリぶら下がっているような母親だったので(色んな意味で左寄りでした笑)

自分が物心のついた時には、少し騙されていたようなショックがあった事を覚えています。

子どもの頃って、自分が育ってきた環境が全てだから、それが普通だと信じて疑わないんですよね。

でもうちの場合は、家中とんでもなく物が多かったり(結構レベル高めで)

賞味期限が5年過ぎた素麺が普通にあったり(その他にも変色した焼き海苔が大量に、とか色々)

母が人付き合いが下手で、交友関係がほとんどゼロだったり(恥ずかしがり屋をこじらせて愛想が悪い)

小さいとき着せてもらってた服が「今どき何処でゲットしたの?!」みたいな物だったり。。(まぁこれはセンスの問題ですが。。)

皆さまも少なからず、普通だと思っていた親の、そうでなかった(子供から見た)部分とのギャップにショックを受けたことがあるのではないかと思います。※いやうちだけか?

これが結構、親と子の(大人になってからの)関係の亀裂のきっかけになってたりするんじゃないかなー?!とまで思ったりもします。※いや、うちだけなのか??

子供は子供で、”自分の中の普通や常識”ができてくる。

でも親が、その領域からとんでもなく離れていると初めて感じた時には、やっぱりショックなんですよね。

これは親となった自分も気をつけようと思っています。(同時に、子供が凝り固まった常識論を持たないようになるべく導くのも大事なことかな、とも思います)

何事も、柔軟(ほどほど、適当)な方が自分は楽だったり、大怪我しなくてすむ事ってありますよね!(それぞれ生まれ持った性格もあるから、なかなか難しいけど。。)

私から見たらすごく恵まれている家庭の子供でも、別の意味で何かのタイミングでショックを受けるかもしれないし

子供には色んなショックが少なからず待ち受けるものだと思います。

私も例外なくそんなショックを引きずり、母とは深い部分での繋がりは出来ていたと思いますが、日頃、細かい事ではぶつかったりもしていました。(私がイライラすることが多かった)

でもいざ、母が倒れて死ぬかもしれない。

となった時

そんな事は、どーーーーーーーーーでもいい。

母の許せない部分も、そうなって初めて、別の見方が出来たりするものです。

今まではこう思っていたけど、でもこんな考え方もあるしな、母はきっとこんな気持ちだったんだろうな。。とか

挙げ句、母がやっていた事で毛嫌いしていたことも、なんとなくやりだしたり。。(ひどい。本当、ひどい。笑)

今思い出しましたが、私が小さい頃、母がよくカレー風味に味付けされたおかずを作ってくれました。特に何も気にせず食べていましたが、ある時母が

「傷んだものはカレー味にすれば食べられる」

と独り言のように言い放った時も、中々の衝撃でした。

これは。。軽度であればいつか私も真似し始めるかもしれませんが。。。(あくまで自分用に...)

おかげさまでちょっとやそっとのものでは腹を下さない、強靭な胃腸をゲットできた気がします。(お母さんありがとう、カレー粉にも感謝)

親が倒れて初めて考え直すなんて、本当にご都合主義というか、都合がよすぎるとは思いますが

その辺り、全部ひっくるめても

親はやっぱり、子供に大切なことを教えてくれる存在なのだと思います。

(自分がこんなに自分勝手なんだという事も、最期に教えてくれたお母さんマジ感謝。RIP。)

この感覚は、きっと親がこの世にいるうちは得られなかったものだと思っています。

これから私は「誰かのこども」から「ひとりの大人」へ、少しずつなっていくような気がしているのです。


全ては最善


これは、もう一言で言いましょう。

全ては最善です。

逆にいうと、最善であろうとそうでなかろうと、自分次第でしかないです。

誰かのせいや何かのせいにしているうちは、絶対に最善ではありません。

とは言え、なかなか日頃から全てを最善だと感じながら生活するのは難しい。私も日々葛藤しています。

でも、それを分かった上で生きていくのと、分からないで生きていくのでは、大違いだと思います。

よく言われることですが、まさに

自分の中心(軸)へ戻るということの大切さ

”戻れることの大切さ“を、身をもって理解、体感できたと思っています。

ひとつ、例えるならば

母が一命を取り止め、色んな困難やリスクを乗り越え、生きてくれていたとします。

そのあとに来る人生や生活、状況を幸せと感じるか不幸せと感じるかは、全て自分次第です。

母も私も、お隣さんも、バスの運転手も、郵便屋さんも、みんな同じく。

では、なんとか生還してくれた母と一緒に住むことになった。

そこに伴う生活全般に、幸せを見いだせるか、不満を感じるかは全て自分次第です。

旦那も子供も、役所の職員さんも、居酒屋の店員さんも、みんな同じく。

実際、今の世の中、みんな忙しく、忙しなく

せかせかと動かないと生きていけない社会ですよね。

この世界で、ゆっくりとした幸せを見出す事は、なかなか難しいのかもしれません。

でも、この全ては最善ということを、常に自分の心がわかっているかいないかで、世界は変わると思います。

そんな、『基本であり、一番大事なこと』も、母が身をもって教えてくれたと思っています。

出来事には良い意味がある


母が倒れてからというもの、すべてのことに対して

これはどんな意味があるんだろう?

と自分に問い掛けるようになりました。

それも『(私にとって)どんな”良い”意味があるんだろう?』と。

元気だった母が急に倒れ、旦那と幼い子供3人を石垣島に残して、生死をさまよう母に付き添い、沖縄本島で一人、24時間、心まで寄り添った一か月。

こんなに辛くて、心配で、寂しくて、ガッデムな状況は中々ありません。

精神状態でいうと、ちょっとしたLINEのやり取りでも『無くなる』という漢字が使えないような状態です。

無くなるって、なんか、こわいんですよ!!!知ってました?みなさん。

この精神状態の間に、結構いろんな場面で「なくなる」って打つことがあったけど、絶対に変換できなかった~ 最近やっと、打てるようになりました。笑

そんな状況、なにか良い意味がなければ、嫌じゃないですか。

こんなつらいのに、つらいだけ。って『は?』です。

そんなわけなかろうもん〜!!!!!と、ひとり、毎日、夜な夜な、ぐすぐすと涙を流しながら考えたのです。

私にとってどんな良い意味がある?と。

それが他でもない「全ての事には良い意味がある」と気づくきっかけになりました。

これが、何よりも私にとっての大収穫。

どんなに最低最悪ムーチョスベリーバッドな状況でも、

絶対に自分にとって良い意味があります。あきらめないで!by miki maya

私はこれを、出来事(できごと)からの『出来good(出来ゴッド)』と呼んでいます。

例を一つ


出来グッドの例をひとつあげます。※言いやすいのでグッドにします。笑

これはつい昨日の、出来グッドです。

母が契約していたアパートの部屋の片づけを終わらせたので、ガス屋さんに連絡をして、立会いのもと最後の清算をしました。

連日の片づけ中、キッチンでお皿やカップなどの素敵な焼き物を見つけたので

小皿を何枚かと、陶器のマグカップを二つうちに持ち帰り、それからというもの形見代わりに愛用していました。

そして昨日もそのうちのひとつ、熱い番茶を飲むのにちょうど良い陶器のマグカップを持参して、ガスの清算後、がらんとした母の部屋でひとり一息ついていました。

そしてそのカップをタッパーの上に乗せ、部屋を出て鍵をしめようとしたその時

カップがするっと滑ってコンクリートの上に落ち、割れてしまったのです。

よりにもよって、亡くなったばかりの母の、形見代わりに大事に使っていたカップ(の割には、ずさんな凡ミスで割りましたが)

これは結構ショックな出来事です。

一瞬「金継ぎできないかな?」と思いましたが、よりによって一部が粉々に(涙)

ですが2秒後には、あっ、これはもしや...出来グッドだな(真顔)と思いました。

そして生前、母が数少ないお友達としてお世話になっていた陶房さんへ、その足で向かいました。

その陶房の奥さまは、私がやっていたこどもおにぎりプロジェクトに賛同してくださり、母経由でご寄付を戴いたこともあったり

母のお別れ会にも弔問に来ていただいていたので、落ち着いたら一度ご挨拶に伺いたいと思っていたのです。

きっとこの出来事には、こういう意味があったんだと思い

陶房が開いているか、工房にいらっしゃるかも分かりませんでしたが、とにかく車を走らせました。

陶房に着くと、やっぱり奥様がいらして、素敵な作品も沢山見せて頂けました。

その中で、とっても気に入ったカップとお皿を1つ選ぶと

その方は素敵な大皿をプレゼントしてくださいました。

綺麗な青色の、波の形の大皿。

帰りにお刺身を買って、盛り付けてみたらもう~バッチリ!一気にお店の高級刺身盛りになりました。

昨日の我が家の夕飯を、素敵に幸せに、彩ってくれたのです。

お刺身大好きな我が家。これから大活躍してくれそうです♪

生前、母がこちらの陶房ですみれのついたカップと、すみれが描かれたお皿を「すみれにあげるわ」と購入していったという話も聞かせていただいたりもして

また少し、生前の母と触れ合えた気がして、嬉しくもありました。

カップは割れてしまったけど、新たな縁に恵まれました。

こんな昨日の出来グッドです。

(是非みなさまの出来グッドも教えてくださいね)

画像3

そんなわけで一番の悟りは絶対これ


今まで書いた色々なことに全て繋がるのですが

人生で一番大事な、大切にするべきは

人とのご縁

これに尽きると思います。

母の闘病中、私はお友達の皆さんに甘えました。

母が倒れたその日から、FBで病状や状況を全て発信し

時には自律神経の乱れからか、私が体調を崩したとき、助けてください~!と恥ずかしげもなく、皆様に助言やアドバイスを求めました。

そして願いむなしく、母が逝ってしまった日も

すぐに皆様にお伝えしました。

そのすべての期間中、本当にたくさんの方からあたたかい励ましの言葉や、心に寄り添った言葉をいただき

時には遠隔でヒーリングを行ってくださったり(しかも、何名も)

お茶や焼き菓子やコーヒーなど、心の籠った差し入れを送ってくださったり

母の入院当日の朝、わざわざ病院まで来てくださり、目に涙を溜めながら私の手に一万円札を握らせてくれた方もいました。

同じ日、私の着替えや、差し入れを持って、すぐに駆け付けてくれた友人もいました。

本島にいる親戚にお願いしてまで、私にセルフケアグッズを届けてくださった方もいました。

毎晩私のために夕ご飯を作って届けてくれ、その度に入口のベンチで何時間も話し相手になってくださった先輩も

気晴らしに、と車で少し離れた素敵なおにぎり屋さんのランチに連れ出してくれたお友達もいました。

そして離れた石垣島の家族にも、たくさんのお友達が晩御飯のおかずや、焼き立てのパン、手作りのおやつなどを差し入れてくれているのを旦那からの写真で知りました。

石垣島の家にも、お友達から手作りの石鹸や野菜の種や苗、手紙とともに昔の思い出が詰まったDVDまでもが続々と届き

旦那の実家からも、私の実家に住む兄家族からも、シングルファザー状態の我が家に、沢山の嬉しい援助物資が届きました。

ありがたくてありがたくて、何度も何度も涙が出ました。

そして私はこの一か月間、これだけは絶対に!と、母のことを書く。と決めて始めたnote。

こちらにもあたたかいメッセージと共に、沢山のサポートをいただきました。

書くという事。私の中では、生きる上ですごく大切な事になっています。

伝えることで、皆様とのつながりを感じられる。

すごく嬉しいことです。

母が亡くなってしばらくは、何も書けませんでしたが

今後はバージョンアップして、もりもり書いていきます!!

だって大好きなの!(皆さまのことが)


感謝はしてもしても、し切れませんが

みんなが健康に

地球が健康に

社会が健康に

世界が健康で平和に。

少しでもそうなるように、私は頑張って影響を与えられる人間になります。

何卒、応援してください!

母も、たぶん、喜んでくれるでしょう。(愛想は、無さ目に。。笑)

突然ですが蚊がね、今は夜中なんですがパソコンの周りを一匹飛んでいたので

菊花線香をつけようと、母の仏前のロウソク用に置いているライターを借りました。

ついでに(って失礼)ロウソクもつけて、お線香あげて

ロウソクはつけたまま、母と一緒に居る気持ちで、今これを書いています。

さすがに、優しい顔で笑う母の遺影を見てたら

また泣けてきました。

みなさま本当にありがとう!

みなさまの優しい気持ちが、何よりも私が得られた一番の財産です。

だからありがとう。

お母さん、ありがとう。

画像2





この記事が参加している募集

言葉を綴ることを生業に出来るまで、がんばります!記事を早く書けるように努力します!それまで何卒みなさまの力で、わたしをサポートしてくださいませんか〜?!