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単語が先か、文章が先か・・・


私たち人間が、外国語を学習するときは、基本的に「単語」や「文法」など文を構成するそれぞれの要素から勉強するというのが定石。

しかし、なぜ母語はそうした過程を経ずにスラスラと使いこなすことが可能なのか。

丁寧に「単語」「文法」「文構造」を学んでいるわけでもない。

レアリアをいちいち勉強しているわけでもない。

しかしながら、赤ん坊はスルスルと言葉を学んでいくのである。


歌から始まる

「言葉はなぜ生まれたのか」岡ノ谷一夫著

を読んでいる時に、こんな記述があって非常に興味深いと感じた。

「なんらかの意味をもっていた歌。その中で偶然、共通している比較的短い音の部分が 単語 へと変わっていった。」

という趣旨のものだ。


逆転

このことを知った時にまず思ったことは、言葉(特に外国語)を学ぶ時のプロセスとは異なるということだ。

さきほども書いた通り、

外国語を学習するときは、基本的に「単語」や「文法」など文を構成するそれぞれの要素から勉強するというのが定石。

しかし、(あくまで岡ノ谷一夫さんの仮説だが)歌から言葉へと変化するプロセスは、

歌(文)から、単語ができていくというものだ。


赤ん坊の言語学習

このことを考慮すると、

赤ん坊が言語を習得するプロセスが少しわかったような気がする。

🔵私が考えた仮説は、こんな感じ。🔵


まず赤ん坊は、親の話す言葉を「歌」のように延々と聞き続ける。これは大量の「インプット」にあたると私は思う。

そして人間は発生学習が可能であるから、赤ん坊は親の話す言葉をまねて、つたないが発声をする。

(喃語というやつですね)

そうして、親が発した言葉を切り貼りして、一語文や二語文を話し始める。

この間に親が文法的な間違いを修正してくれたりする。

このようにして、長い時間をかけて子供は母語を習得していく・・・。


まぁ。こんな感じではないでしょうか。

今までは、言語を学習するという感覚を覚えたのは「英語」つまり外国語を学習する時だったので、

言葉は小さなパーツから学んでいくものでしょって感じに思っていたのですが、

が!

この「歌➡言葉」という仮説を参考にしてみると、納得のいく考えができました・・・!


こんな風に、本を読んでからその考えを吸収するだけでなく、曲がりなりにも自分の考えを発展させていく為に使えると、本を読んだ甲斐があるなと思いました・・・。

では!

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