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同じく自販機
最寄りの駅の電車に乗ろうと、駅構内入った矢先、見慣れないもの、いや見慣れたものが目に入って来る。「acure」の自販機が、ドンと居座っている。おいおいここまで来ちまったのかいと、ちょっとだけ驚嘆しそうになる。同じような自販機が、最寄りの駅にやってきた。自販機は、東京ともなればどこにでも、同じようなものがあるもので、どこにいっても同じような飲み物を買うことが出来る。以前、日本という国は、どこに行っても同じような生活が出来る国ではないかと思ったことがあるが、案外間違いではないかもしれない。
自販機に留まらず、最寄り駅の電車に乗る場所に、大きな扉が設置されるらしい噂を聞いた。東京のどこかで見たことのある、あのでっかい自動扉。どうやら、駅から線路の方へ飛び出すのを防ぐためだとかなんだとか。その意味では、自殺を防ぐためであるとか。もしその自動扉が、日本全国に設置されるとなると、ワタシはなんとなく嫌な感がした。わざわざそのような類のものを設置しなければいけない状況というか、環境が気持ち悪く思えたのだ。駅に、飛び込みを防ぐ扉を設置することは、大いに構わないことだろう(何様って感じだけれど)。自殺を防ぐためだけではないことも分っているが、そのような扉を設置しなければならない自体そのものや社会を変えなければいけないのではと、大それた(?)ことを言ってみる。
電車で自殺をするひとがいる。「ここで死ぬなよ」「ほかで死ね」「遺族にどんだけ迷惑かかるかわかってんのか?」「賠償金いくらだろ・・・」「考えている余裕なんてなかったんだろうね」。そういう文言が、「死」という身体から引きはがされた情報に対してやってくる。ええそうだ。駅構内にあるあのごつい自動扉があるからといって、自殺が指数関数的に増加しているわけではない。しかしまた、それを設置したところで、自殺が必然的に減るわけでもない。物質的に、以前のどの時代よりも豊かになっている(はず?)なのに、精神の方がやたらズタボロだという意見をおもいだす。
自販機や自動扉を増やしたとて、と、どうしようもないことを思う。どこまでも一緒になってしまいそうなのを、どこかで止めなければいけないのだと思う。同じような携帯。同じような店。同じような道。同じような音楽。同じような生活。同じような行動。同じような熱狂。同じような展開。同じような日々。同じような消費。同じような意想。同じであることに慣れきってしまって、「違う」ことに過剰に拒否反応を示してしまうのではないかと、ちょっと怖い。同じ。同じ。人間ばかり。自然を排除した、人間ばかり。行き詰ったとおもったら、自然に逃げ出そうと思うが、ついぞ自然が見当たらない。どこまでも人間だらけ。ネットも人間だらけ。同一化、画一化という暴力。それは子どもの教育にも及んでいる。従順な、人間。創造性や好奇心のない点取りマシーン。
『君すこし変わってるね』なんて言われちゃってる チグハグなメッセージ どこが違うのかって? 違わない人なんて どこにもいないでしょ?
はなかっぱのopの「カラフル」にある、こんな歌詞を思いだす。
駅でカルピスを買った。あ~やっぱり、”同じ”味でございます。まぁ違かったら、驚いちゃうんだけどね。”同じ”に安住している自分と、瀰漫する没個性に怖くなる今日日だね。
と
今日も大学生は惟っている
「カラフル」歌詞 https://www.uta-net.com/movie/108201/
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