休憩室読書中座記『ソルニット〜カルヴィーノ』2024/03
イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』を読み終えたのでここ最近の読書をさらりとまとめてみました。
一冊目『迷うことについて』レベッカ・ソルニット 東辻賢治郎訳 左右社
ソルニットの縦横無尽に飛び回る筆致は今回も健在。出だしは子供時代に飲んでしまったユダヤ教の過越の祭りのワインから始まり、かつて時を共にした男と砂漠ガメの生息地へ、あるいは十九世紀のアメリカ砂金堀りへ。さらにはThe Clashの『LONDON CALLING』が呼び出され、ピーター・フジャーの写真に光をあて、二十代で亡くなった著者の友人が横に立つ。
こうして書くと曲芸師のようにさまざまな題材へ軽やかに飛び移るように感じるが、ソルニットの著作は違う。彼女はそうしておきながら、なお深くそれらは繋がり、あるいは別れながらも、歩き続け思索の深海を見せていく。先住民や弱者やパンクスや野生の声を拾い上げ、現代世界のあり方に疑問を投げる。
*本書とは直接関係ないが、父親からユダヤの血を受け継いだソルニットが現在のパレスチで起こっている惨状に対しTwitter(x)上で勇敢に発言する姿勢も信頼できる。
https://x.com/RebeccaSolnit?s=20
二冊目『マレー蘭印紀行』金子光晴著 中公文庫
「夫人森美千代とともに流浪する詩人の旅は、いつ果てるともなくつづく。」と裏表紙に説明のあるマレーシアからの紀行文。まだ三分の一しか読了していないので、よくわからないが、一向に夫人のことは登場しない旅行記でもある。この先で触れられるのだろうかとも思うが、今のところ、同行している彼女の姿はない。
街や河の名前が旅心を誘う。濃霧の水面に顔をギリギリまで近づけながら遡上する小舟に同乗しつつ、異国の響きに未踏の地への憧れが呼び起こされる。現地でゴム産業を行う昭和初期の日本の姿が垣間見える。
三冊目『幻獣の話』池内紀著 講談社学術文庫
マルコ・ポーロが人を介して獄中から現代へ書き伝えた東方見聞録の一角獣や、象ほどもあるという野牛の伝説。マルコはホラ吹きだろうか、という出だしから一気に著者である池内紀節に引き込まれる。
続く「神は幻獣を認めない」「目に見えない水路」など興味をそそられる項目に読書は止まらなくなり、気がついた頃には『あらゆる不思議な人間の新しい宇宙誌』や「蟻男」「ヤマタノオロチ」などを通し、世界のあらゆる伝説や幻獣が紹介されている。
*『あらゆる不思議な人間の新しい宇宙誌』については別記事<読書中座記:翻訳という想像 『幻獣の話』>の中に色々書きましたのでよろしければ。
池内さんの圧倒的な知識と調査能力、文章力に打ちのめされながらも、あっという間に読み終え、我に返ると楽しかった世界幻獣旅行が帰路についたことを知ることになる一冊。
四冊目『マルコ・ポーロの見えない都市』イタロ・カルヴィーノ著 米川良夫訳 河出書房新社
訳者が後書きで断っているように、この本の原書には「マルコ・ポーロの」という言葉はついていないらしい。しかし内容はマルコ・ポーロがフビライ汗にあらゆる都市について語って聞かせるもの。
実際にはマルコ・ポーロは獄中で自らの旅を語った書物を残したとされているけれど、この本ではマルコ自身が王様に世界の街について話す。空に並んだ丸屋根や市場、雨樋、山羊の群れ。ところが、読み進むにつれてこれは東方見聞録の再録というわけではなく、イタロ・カルヴィーノによる寓話なのだとわかる。ソフローニアという都ではジェットコースターやオートバイが走り、コンクリートもトラックもある。
カルヴィーノはそういった寓話の街々をマルコ・ポーロに語らせることで、現代に潜む都市の危うさや脆さ、人間の虚構を彫刻して見せる。
”レオニーアの都市は日々自分を造り変えている”という。そこでは包み紙を破ったばかりの石鹸で体を洗い、最新のおしゃべりに花が開く。また一方で、ひしゃげた歯磨のチューブやピアノや茶器セットまでがポリ袋に包まれ毎日捨てられているそうだ。
”物語を支配するものは声ではございません、耳でございます”とマルコに言わしめるカルヴィーノの寓話。それをどう読むのか、書物をめくるとき、試されているのは言葉ではなく我々の目なのだ。
fine
2024/03/03 休憩室N