【往復書簡】そもそも目的が間違っている(働く大人の自己肯定感⑥)
こちらの記事は、現在得津さんと行っている「働く大人の自己肯定感」というテーマの往復書簡の6本目です(上野側としては3本目)。
往復書簡の連載はこちらで遡って読むことができますので、まだの方はぜひご覧になってください。
ご無沙汰しております
往復書簡も2往復し、互いにペースができてなれてきた頃、ヒデさんからはこんなお言葉を頂いていました。
上野くんと同じように、ぼくも週末が近づくとお返事を書かなきゃとソワソワするようになってきました(笑)。
この頃は毎週のように互いのお手紙を意識していましたが、気づけばそれから3ヶ月。笑
二週間くらい待たせてしまってごめんなさい
なんて言わせてしまった頃が懐かしくすら感じますが、いかがお過ごしでしょうか。笑
この3ヶ月間、僕の方はというと圧倒的な質量の仕事に忙殺されながらもいろいろな成果が見え始め、更には大学院での新たな学びもスタートさせることができ、人生で非常に大きな転機を迎えていました。
それについてはまたおいおいお話できればと思いますが、この往復書簡に限らず、自分の中にあるものを発信する作業自体がこの数カ月間ストップしてしまっていたので、このお手紙を機に、また少しずつ勘を取り戻していきたいと思っています。
ここまでの振り返り
3ヶ月もあいてしまうと話の流れもおぼろげになってきます。
自分のためにも今一度、ここまでの積み重ねをざっくりと振り返っていくと…
■ 1通目(ヒデさん)
働く大人にとっても大事な自己肯定感、「職場ガチャ」になりがちでは?
■ 2通目(上野)
扱いたい論点を3つ整理。
【論点①】「自己肯定感」とは何か?
【論点②】「自己肯定感を高めよう」とみんなが言うのはなぜなのか?
【論点③】「働く大人」にとって自己肯定感が大切なのはなぜなのか?
■ 3通目(ヒデさん)
・自己肯定感とは「いろんな自分たちを全部ハグすること」
・高垣先生が鳴らす警鐘「自己肯定感は自分という存在を支える根っこのようなものなのに、今ではスキルや能力の1つとして捉えている人が多い」
■ 4通目(上野)
自己肯定感を2つの軸から定義。
縦:分人軸 ー 自分にはどんな分人がいて、それぞれどういう状態か
横:時間軸 ー 過去・現在・未来における自己認識(=自尊心・自己効力感)
■ 5通目(ヒデさん)
・自己複雑性に対する「エージェントセルフ(統括する自己)」があり、『のだめカンタービレ』の千秋さまはその成功例
・働く自分のパフォーマンス向上を狙って自己肯定感を高めようとすると、結果的に自己肯定感が下がってしまう可能性があるのでは?
10分くらいで読み返して要点を拾いましたが…なかなか読み応えのある面白い話をしている人たちだなあと思いました(笑)。
ここまでの流れ、特に5通目の話題を受けて今回は自分の思うことを書いていきたいと思います。
相対評価の生きづらさ ー 見た目にはわからない自己肯定感の低さ
前回問いかけてくださった最後の問い、「働く自分のパフォーマンス向上を狙って自己肯定感を高めようとすると、結果的に自己肯定感が下がってしまう可能性があるのでは?」ということについて考えていきたいと思います。
この問いに触れて直感的に思い立ったのは、「パフォーマンス向上のために」という目的意識自体が、本質的な意味で「肯定する」という認知と矛盾するということです。
この直感の内容は非常にシンプルで、少し長くなりますが以下の①②の理解に基づく考えです。
①「パフォーマンス向上のために」という目的を持っているということは、自分にとって「パフォーマンス」という指標は重要性が高いということ
これはあまり異論が無いと思いますが、そもそも人間が生きている中で明確な目的意識を持つのはその人の中でも相当重要性が高いことだと思っています。
普通に暮らしていたら死の危機からは縁遠い現代の日本人は、明確な目的意識など持たなくても安心安全に暮らせますし、そのとき99%は無意識的な意思決定になっているはず。
そんな中でもはっきりと「もっと自分のパフォーマンスを高めたい」と意識するということは、その人にとってパフォーマンスという指標が非常に重要なのでしょう(余談ですが、20代の頃の僕は非常に強くそう思っていましたが、30代になってからは全く思わなくなりました笑)。
②「パフォーマンス向上のために」という目的の裏には、「現状のパフォーマンスは不十分である」という隠れた前提がある
現状が全くダメダメで、明確な自己嫌悪に日々陥っている人を想定すればこれは言うまでもありませんが、多くの一般的な人を想定すると、この②をどう言い切るかはきちんと話を整理しなければならないと思います。
例えば、「向上心に溢れ、非常に前向きで意欲的な、25歳大手メーカー勤務の意識高い系サラリーマン」的な人を想定してみるとどうでしょうか。
傍から見るにイケイケドンドン系で、学習意欲・勤労意欲にも満ち溢れた雰囲気で次々と新たなチャレンジをしており、一見すると自己肯定感は一般よりも高いように感じられるかもしれません。
しかし、僕はこういうケースであっても「パフォーマンス向上のために」という目的意識がある人ならば自己肯定感は低いと捉えています。
その理由は単純で、そうした目的を持っているということ自体、「自分は本当はもっと高いパフォーマンスが発揮できるはずだ」という認識が前提にあるからです。
話をわかりやすくするため、極端にうがった見方をするならば、こうした人の頭の中の認識は…
◆自分は同世代の人間に比べれば優秀で、高いパフォーマンスを発揮している(=他者比較による相対評価)
◆しかし、本当の自分はもっと大きな力を秘めており、制限が外れればもっと素晴らしいパフォーマンスが発揮できる(=潜在的な自己との比較による相対評価)
という感じのはず。
つまり、相対評価が重要な判断の根拠になっていて、地に足のついた絶対的な自己評価がないことによる生きづらさを抱えているのは、という理解です。
この人は、目に見える他者や潜在的な自己との比較に疲弊しており、大地に根を張るような安心・安全の基盤としての自己肯定感とは真逆の世界にいる人です。
いくら外見からしてエネルギーにあふれていて、行動的で快活で挑戦的で野心家だったとしても、その心の中は不安で一杯なのではないでしょうか。
そして、その不安がふとした時の自分の心の闇になっていて、頑張りきれない、踏ん張りが効かない。
だから、もっと自分を肯定しよう。高い自己肯定感さえあれば、自分はもっと高いパフォーマンスを出し、もっと多くの人に認められるはず…。
そういう生きづらさを抱えた心の声が聞こえてくるようです。
ありうる人物像を記述してみましたが、これはあくまでも話をわかりやすくするための極端な例だと思ってください。
ただ一方で、こうした人の心の声には共感を覚える人も少なくないとも思っています(こういう心の声が多くの日本人に共有されているものだとするならば、それが日本社会の何からきているのかを考えることは非常に面白いと思いますが、一旦このケースの話はここまでにしておきます)。
「パフォーマンスを上げたい」と思った時点で負け
少し紙幅を割いて、前提認識を揃える記述を加えましたが、
①「パフォーマンス向上のために」という目的を持っているということは、自分にとって「パフォーマンス」という指標は重要性が高いということ
②「パフォーマンス向上のために」という目的の裏には、「現状のパフォーマンスは不十分である」という隠れた前提がある
この2つの事象の掛け算から見えてくるのは、
● 自分は自分にとって重要な事柄について不十分な人間だ
という自己認識です。
つまり、もともとの課題意識に沿って言い換えれば、
「パフォーマンス向上のために自己肯定感を高めたい」と思った時点で詰んでいる
さらに言えば
「自己肯定感の高まり→自制心の向上→パフォーマンスの向上」というロジックを自分に適用しようとした時点で負け
ということではないでしょうか(笑)。
確かに、心理学の知見により自己肯定感の高さがさまざまな面でパフォーマンスを上げることはわかっていますが、基本的には、それはあくまで「自己肯定感が高い人」と「自己肯定感が低い人」の対照分析から言えることです。
これについて僕は、「『自己肯定感を高めることでパフォーマンスが上がる』ということまでは言っていない(その因果関係を完全には証明しきれていない)」と捉えてます。
例えるならば、「水難事故の多い日はアイスクリームの売上が高い」という相関関係と同様に、本質的には別の因果が存在するのではないかと考えています。
思うに、自己肯定感が高い人の心理状態は
・他者比較などの外的基準ではなく、自分の興味関心などの内的基準に基づいている
・「自分がどう見られるか」ではなく「取り組んでいる課題がどうであるか」に関心がある
といったものではないでしょうか(いわゆる「フロー」の状態に重なるものだと思います)。
相対評価の生きづらさの渦中にある人にとっては非常に魅力的な心理状態に思えるはずで、だからこそ「自己肯定感を高めることが重要だ!」と口を揃えて言うのだと思います。
が、前述の通り、「自分のパフォーマンスを向上させたい」という目的意識がある限り、そこには
● 自分は自分にとって重要な事柄について不十分な人間だ
という強烈な自己否定があり、矛盾した自己評価の狭間で揺れ続けることになります。
ではどうすれば良いのかというところで、それについても思うことはたくさんあるのですが、そこまで踏み込んでしまうとまた止まらなくなってしまうので、今日はこのあたりで切り上げようと思います(笑)。
おわりに
「働く自分のパフォーマンス向上を狙って自己肯定感を高めようとすると、結果的に自己肯定感が下がってしまう可能性があるのでは?」というヒデさんの問いについて、思ったことを書き出してきました。
結論としては一言、「僕もそう思います」ということでしかないのですが、自分の頭の整理も兼ねて長々とお付き合いいただきました。
いよいよ往復書簡も終わりが見えてきたということで、最後に「働く大人の自己肯定感はどうあるべきか」みたいなことを考えてみれば、きれいに締まるのかなと思ったりもしています。
終わり方も含め、一緒に考えていければ嬉しいです。
気づけば本格的に暑い日々が続いていますが、この往復書簡も雪が降るまでにはきっと終わっていることでしょう。笑