【往復書簡】分人主義の自己肯定感ー自己肯定感は手段か目的か(働く大人の自己肯定感④)
こちらの記事は、現在得津さんと行っている「働く大人の自己肯定感」というテーマの往復書簡の4本目です。
往復書簡の連載はこちらで遡って読むことができますので、まだの方はぜひご覧になってください。
はじめに
気がつけばあっという間に週末です。
週末にお返事を出すと約束したわけではありませんが、なんとなくそんな感じになってきていて、木曜日の夜くらいになると「今回はどんな感じでお返事しようかな」と考える習慣ができてきました。笑
前回のお手紙にもあった『ふたりはともだち』ってどんなだったかな…と思って検索してみましたが、かたつむりくんがいい味出していましたね。笑
僕の頭の中のかたつむりくんも、一週間の時を経ていい仕事をしてくれるといのですが…今回はどうでしょうか。
「いろんな自分たち」がいるという前提
さて、前回僕がなんとなく整理した論点や「自己肯定感」の意味の整理は概ね共通の土台になったかなということで、嬉しく思っておりました。
せっかくの機会ですし、「この調子で話が進んでいったら面白いだろうな」と互いに思える見通しのようなものが出来上がったとしたらいい感じですね。
ヒデさんからは、早速論点②の前振りをいただいていたのですが、個人的に「おっ、これは面白いかも」と思った気づきが論点①の方にあったので、先に少しだけ触れさせてください。
簡単に振り返りますが、僕が提起した自己肯定感の理解は時系列的な考え方で
「これまでもおっけー」
「これからもずっとおっけー」
「だから私はおっけー」
みたいな感じです。
改めて眺めてみるとよくわかりますが
自己肯定感(self-affirmation)- 現在と未来の自分に対する包括的な安心感
├ 自尊心(self-esteem)- 自分自身の状態に対する肯定的な認識
└ 自己効力感(self-efficacy)- 自分が課題を遂行できることに対する肯定的な認識
→「自己肯定感=自尊心+自己効力感」
「今の自分はいい感じだし(自尊心)、これからもうまくやっていける(自己効力感)から安心(自己肯定感)」
あくまで対比の軸は時間的な様相だったんですよね。
一方、高垣先生のお話に触れながら展開していただいた自己肯定感像は視点が違い、「自分の中にある全ての自分を受け入れる」という考え方でした。
ヒデさんのお手紙で僕が印象に残ったのは以下の部分です。
ぼくが自己肯定感について、PTAや教育委員会の講演で説明するときは、いろんな自分たちを全部ハグすることだと言っています。
「頑張り屋の自分も、みっともない自分も、食いしん坊の自分も、自分の中にはいろんな自分がいるじゃないですか。その全ての自分たちをよしよしとハグする感覚です」って。
あるいは、いろんな自分たちを漏れなく自分を動かすフルメンバーとして扱うことですよとか、全ての自分たちは自分という船を動かすクルーだから一人もかけちゃいけないんですよ、って言うときもあります。
言い方はケースバイケースですけれど、共通しているのは自分の中にある全ての自分たちを肯定することです。
太字にしましたが「いろんな自分たち」「自分の中にある全ての自分たち」という表現が繰り返し使われていました。
これは僕が前回提起した自己肯定感の理解の中ではあまり想定していなかったことなのですが、とても大事な視点だなあと思いました。
ヒデさんの話の前提には「自分の中にはいろいろな自分がいる」という分人主義の考え方がありますよね。
分人主義とは、『私とは何か――「個人」から「分人」へ』 (平野 啓一郎 著)の中で取り上げられ、社会的にも大きな影響があった自我概念の理解です。
基本的な理解はこんな感じでしょうか。
✅ 私たちの自我は、相手との関係性によってその場その場で生まれるものであり、それを「個人」に対して「分人」と呼ぶ(「本当の自分」のようなたった一人の自分像で説明できるものではない)
✅ 複数の分人の共同体が自分であり、個々の分人の様子や自分が持つ分人の構成比率が生活に大きく影響する
わかりやすい例としては、「職場の自分と家庭の自分は違う」みたいなイメージですよね。
どのような場で誰と過ごしているかによって、表に引き出される自分が違って感じられる。
「認識している私」は変わらないのに「振る舞っている私」がその場に応じて違っているのは、多くの人にとって経験のあることだと思いますし、実際この本が多くの人に読まれて大きな反響を生んだのもそういうことでしょう。
分人主義の自己肯定感
ヒデさんのお手紙を読んで、「自己肯定感」というキーワードにおいてこの分人主義あるいは分人の考え方は忘れてはいけない重要な要素だと気づきました。
イメージとしてはこんな感じで…
縦:分人軸 ー 自分にはどんな分人がいて、それぞれどういう状態か
横:時間軸 ー 過去・現在・未来における自己認識(=自尊心・自己効力感)
すべての分人に対して自尊心と自己効力感が十分にある状態が自己肯定感が満たされている状態であるという考え方です。
この様に整理すると、自己肯定感が下がっている状態が的確に捉えられるような気がしており
●「今の仕事は楽しいけれど、なんとなく将来が不安…」
→「職場」×「未来」の自分への不安
●「夢もあって大学には行きたいけれど、今の高校はすごく行きづらい。友だちと遊ぶのは好き」
→「学校」×「現在」の自分への不安
こうやって解像度を上げて理解することで「ここは課題。でもここはOK」と切り分けることができますし、必要以上に自己否定をすることも回避しやすい気がします。
ヒデさんのお手紙を受けてこのような事を考えていました。
すでにそれなりの文字数になっていますが、ここまでが「【論点①】「自己肯定感」とは何か?」に対して考えて来たことのまとめであり、お手紙の前半です。笑
自己肯定感とパフォーマンス向上のロジック
お手紙の後半で書きたかったことは、主に「【論点②】「自己肯定感を高めよう」とみんなが言うのはなぜなのか?」に関することです。
ヒデさんは高垣先生のお話に触れながら
高垣先生は昨今の自己肯定感の使われ方を問題視しています。自己肯定感は自分という存在を支える根っこのようなものなのに、今ではスキルや能力の1つとして捉えている人が多いと。
なるほど。
確かに「社会人 自己肯定感」で検索すると、
・自己肯定感を高める7つの習慣
・自己肯定感が低い原因と、高めるための○つの方法
みたいな記事が結構あって、高垣先生が言わんとすることもなんとなくわかります。
(中略)
これまた勝手な予想なんですけど、ビジネスシーンに自己肯定感が輸入されるときに、どこかでスキルや能力の1つとして矮小化されてしまったんじゃないかなと思っています。
確かに、こういう見方はあるよなあと思って読んでおりました。
取り上げていただいたようなビジネス文脈の話は、「自己肯定感の高さがハイパフォーマンスにつながる」という相関関係の指摘が心理学的な実験結果から多数報告されていることが土台にあると見るのが普通でしょうか。
考えられる理屈はいろいろありますが、概ね合意されているであろう考え方は「自己肯定感の高まり→セルフコントロールの向上→パフォーマンスの向上」というロジックです。
自己肯定感が高い人は、他人の言動や環境の影響、身近な誘惑に振り回されることなく、自分の意思で物事を決定・遂行できる(=セルフコントロールの向上)。結果、自分にとって重要なことを成し遂げることができ、パフォーマンスが向上する。
僕はこんな感じで理解していますが、これは逆のロジック、つまり「自己肯定感の低さ→セルフコントロールの低下→パフォーマンスの低下」も同様に成り立つということもあり、それがまさに高垣先生がご活躍されてきたようなカウンセリングの現場で見てきた課題なのだと思います。
そう考えるとこの自己肯定感のロジックはかなり多くの人にとって魅力的に映るもので、社会生活に困難が生じている人から上昇志向が高い人まで、みんながみんな「自己肯定感を高めよう!」というのは理解可能な現象です。
自己肯定感は手段か目的か
ここまでは理解可能と捉えた上で、高垣先生の指摘は
自己肯定感は自分という存在を支える根っこのようなものなのに、今ではスキルや能力の1つとして捉えている人が多い
というもので、これは自己肯定感を何かの手段(=スキル・能力)として捉えることへの違和感と読むことができそうです。
そう考えると、高垣先生は高い自己肯定感を維持している状態をある種の大きな目的として捉えるべきだと主張しているのでしょうか。
「自分という存在を支える根っこのようなもの」という表現に含まれた高垣先生の意図を解きほぐして解釈することが、
【論点②】「自己肯定感を高めよう」とみんなが言うのはなぜなのか?
【論点③】「働く大人」にとって自己肯定感が大切なのはなぜなのか?
この2つの論点の橋渡しになる視点のような気がします。
このあたり、自分の考えもまだまとまっていないところですが、ヒデさんはどう考えるでしょうか。
いよいよ3月に入り、日差しも本格的に春を感じるものになってきました。
このお手紙を書き始めたときは土曜日、まだ2月の末だったのに、気付けばもう3月になってしまいました。笑
どれだけ時間をかけているんだという感じですが(笑)、この話が更に深まっていくことが更に楽しみになってきました。
お返事お待ちしています!
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