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:0143 #凪組アンソロジー を20名ずつすべて読む ④ yellow さん 〜 リウノタマシイ さん 編

本気で100名の詩を読みます
「うたもも」として活動して2年ほどになります。そんな私からすると新鮮でない詩のほうが珍しいわけです。まだまだ詩世界を色鮮やかに捉えられる新人として、100名のすべての詩から楽しむ・学ぶことにしました。

読む計画

100名はこのように分割して紹介いたします。知識がないゆえに、ゲストとして寄稿してくださった渡辺めぐみさんと和田まさ子を除いて、どなたがどなたより詩人としての暦が長いなんて事情は詳細には把握しておりません。すべての方が人生の大先輩方(大雑把)です。失礼な表現がありましたら、申し訳ございません。

①渡辺めぐみ さん 〜 高平九 さん 編 (前前々回)

②妻咲邦香 さん 〜 オリエンタル納言 さん 編 (前々回)

③池田竜男 さん 〜 瑠璃 さん 編 (前回)

④ yellow さん 〜 リウノタマシイ さん 編 (今回)

61.yellow 62.中星詩生 63. 由乃 64.風花 65.タテハシヨシト(縦走好人) 66.吟遊詩人K. 67.蒼樹ほのお 68.加澄ひろし 69.村乃枯草 70.月兎桜香 71.高瀬二音 72.湯村りす 73.ステッセル寅太郎 74.浅香由美子 75.まつりぺきん 76.こい瀬伊音 77.森 実弥子 78.古川智教 79.関根健人  80.リウノタマシイ

⑤うたもも 〜 石川敬大さん 編 (次回)



※プロフィールは常体にし、各名称の書き方を他の方と統一するために変更している箇所があります。


61.yellow 『ガングリオン』『あいうぉんと とぅ ビー あ』『それだけの事なのに』『東京』

『ガングリオン』
ガングリオンとは、関節付近にゼリー状の物質が詰まった袋状の腫瘤ができる疾患。そのように身体の完璧でないところも、趣味嗜好も並べただけの詩ではあるが、冒頭に奇妙な見た目になるガングリオンがあることで広く受け入れられる見た目ではないと印象付けられる。美しい「ブーケンビリア」には好きに生きていていいじゃないかとなるが、こうして他人に美しい・醜いと評価されることが不必要。あるものをすべて並べることで、今ある価値観の愚かさも浮かび上がってくる。

『あいうぉんと とぅ ビー あ』
「それは、全ての人があの人やこの人が好きだからです。」がかなり視野搾取で恐ろしい。自他境界が曖昧で、好きですと言われたら好きですと返さないといけないとでも考えているのだろうか。この場合の「優しい」は強さや自分に好都合に物事を進める演技のうまさも含まれていると思う。『あいうぉんと とぅ ビー あ』はI want to be a よりも拙い。ビー だけカタカナなのも歪で、あ の先がない。「どうすればいいのか分かりません。」と自分ならではの目標がない。ある程度の損得勘定があるひとが「優しい」ひとになれる。

『それだけの事なのに』
「ママ」は自分の子どもに虐待しておきながら、こんな可愛い子どもに虐待する親はバカねと呟いてそうだ。戦争・災害についてニュース番組で情報を仕入れて悲しみ、ドキュメンタリー番組で豊かな自然を観てリラックスしていたのだろうか。そんな映像よりも、まずは「ママ」と「私」の関わりで情が揺れ動かし合いたかったのだろう。子どもを産んだのなら、それまでと同じような楽しみ方はもったいない。子どもには存在価値を過剰なほどに与えなければならない。大人からすると過剰な子どもの驚きに同調してみよう。

『東京』
環境でなく己の怠慢のせいだったと、『東京』で気づく。「田舎で血豆を作り」を実際に社会にあるもので言えば、地方大会優勝・地方国公立大学卒業など東京に行かずとも生み出せる実績の象徴ではないか。その地方独自の食材のブランドを確立させて、『東京』のアンテナショップに売り込むことも含まれる。ただの「人参」とバカにせず、これは素晴らしいものだと信じてみる。齧ってみる。その素直な時間は、歳を取れば取るほど得難い。「場面なのです!今だ!」と空白はなく時間を無駄にしない。

yellow さんのプロフィール
主にX(旧Twitter)で試作・投稿。

62.中星詩生 『ぽたんとぽつんと』『わたしのバウンダリー』

『ぽたんとぽつんと』
「ぽ」がたくさんある。しずくが梅雨のように多く心地よい。「地面を鳴らして」で地殻変動が起こって「海」のようなものが現れる。「ぽ」の頻出によって、「海」も宇宙食のようなゼリー状に感じる。スライムで遊んでいた幼少期を思い出す。楽しいことに注意が向くことで「孤独だけが しずんでいくよ」とあるように、「さびしく」なくなる。しかし「二人して 空を見上げる」とあることから「孤独」はいなくなったわけでもない。さびしさはない。孤独も楽しめれば、さびしくはない。

『わたしのバウンダリー』
「伸ばした足の爪先で描いた 世界とわたしとの境界線」は、わたしもしたことがある。股関節の可動域を調べるように、もっと脚が長かったら広く行動できるのにと思いながらぐるぐる脚の付け根から回していた。この動作は歩幅の計測にもなるから「助走」の目安にもなる。「性別はもう化石のスラング」と、化石と違って「わたし」は性別をどうでもいいと考えている。いわゆるクィア。「オオハルシャギク(=コスモス)」が「ぐちゃぐちゃ」なのは、「わたしのバウンダリー」のついでに誰かが踏んだのだろうか。

中星詩生 さんのプロフィール
SNSで詩を書いている。

63. 由乃 『ハルジオン』『ユーカリ』

『ハルジオン』
ファイザー株式会社の「ハルシオン」もちらつく詩。『ハルジオン』は花。「あなた」はこの違いを同じだと言う。「私」は後からこの違いに気づく。この名称違いの他にも認識違いがありそうだ。例えば、パスワードを1桁間違って覚えていただけでもありつけない答えがあるのかもしれない。「あなた」はただひたすら優しくて、「私」は睡眠薬を飲んだかのように眠らされて。感性が子どもで鈍感だったから、もう耐性がついてしまったから「ただ、揺れるだけ」の花から目を離せないのではないか。

『ユーカリ』
ユーカリ」、もしかして ゆかりさん ではないか。「こんな私の考え事も あの人は笑ってくれるでしょうか」とあるので、本当に ゆかりさん であれば「あの人」は笑ってくれると思った。「ユーカリ」はオーストラリアの印象があるが、世界各地に900種近くの種類がある。その世界中のユーカリに呼びかけている方が順当だ。植栽されたばかりのユーカリにも、コアラ御用達のユーカリにも「私」は遺言を残す。この世界には「私」「あの人」「ユーカリ」しか見当たらないがとんでもなく広い。

由乃 さんのプロフィール
X(旧Twitter)やnoteで活動中。詩を書いたり、小説を書いたり、イラストや曲を書いたり。自由気ままにやっている。


64.風花 『サヨナラホームラン』『午前二時』

『サヨナラホームラン』
野球のルールはよくわからないが、ツーアウト満塁(二死満塁)がとても熱い展開であるということは 夏宝 洛 さんの『さよならホームラン』からも学んだ。こちらでは「自分」はプレイヤーではない。ただのファンであり、戦略を考えるのが好きなひとだ。何においても勝てる打線を考えていそうなほどのファンだ。「何を待つ 何を選ぶ 何を選ばない」はその思考を表すだけでなく、本当に人生のプレイヤーとしても大切。誰かのファンになって自分ならどうするか考える「自分」も「いつかいつか」人生を変えられる。

『午前二時』
夜中のアイスクリームへのきもち。「せめて雪なら温かい」のように、冷たさを極めたものに触れると自身の体温を自覚できる。二文字の空白で「雨」で少し認めたくなさそう。外が「雨」だと、どこかに流れてしまって温かくないから。「アイスクリーム」だけが温かい『午前二時』。「記憶」が「アイスクリーム」によって「キオク」に変換される。「きみ」は午前二時のアイスクリームには勝てない。「きみ」は「罵られて蔑まれ試されても」はしていないだろうが。今夜、わたしもあずきバーを食べたい。

風花 さんのプロフィール
北海道札幌市在住。銀色夏生に憧れて詩作開始。主に短詩、写真誌、ショートストーリーをX(旧Twitter)に投稿。

65.タテハシヨシト(縦走好人) 『百の頂に百の喜びあり※』『朝露』

『百の頂に百の喜びあり※』
タイトルの「※」は「※深田久弥氏の言葉」と後の文で明言している。彼は、文筆家であり登山家でもあるためこの言葉を生んだようだ。タテハシヨシト(縦走好人)さんも登山が好きだからこそ書ける詩。「飲みくだす水の甘きかな」など、家族で高尾山ぐらいにしか登ったことのないわたしはしたことがない。自販機で買いなさいと怒られてしまう。「野天に宿なす一会の宴」がとても楽しそう。「美酒を片手に打ち上げす」と下山後も楽しそう。「ひ〜に」は主に自然と向き合い、「ひ〜り」は人と向き合っているのか。

『朝露』
神野美紀
さんの『ゲシュタルトの行方』のように詩が書かれた紙自体にも注目している。印字に使われるインクを「朝露」に例えている。『ゲシュタルトの行方』は固体が少しずつバラバラになっていたが、『朝露』は液体として捉えられている。「高山の一株の花」=「チシマギキョウ」=「紫の花弁」と詩で描かれているモチーフは一貫している。詩の世界もはっきりはしていたが「日が高く昇りつつある」と正午ぐらいまで時間が進んでいる。「想い出の露消をおそれ」と詩集を閉じるところがとことん内向的でいい。

タテハシヨシト(縦走好人) さんのプロフィール
山梨県出身。東京都小金井市在住の詩人。東京外語大卒。内モンゴル留学後に詩作開始。現在はX(旧Twitter)にて詩を投稿中。趣味は登山と折り句。第一詩集『翠道に湧く足跡』発売中、ほか蝶尾出版社から刊行予定。


66.吟遊詩人K.  グレートソング『「生命の風」』『「道」』

『「生命の風」』
南風だけでなく、膨らんだ母のおなかでぬくぬくしていた「おもき子」の「息」が「生命の風」になる。「息合って」は母子の 産みたい 生まれたい のタイミングがちょうど合って縁が結ばれたということか。この世のすべてが南の島のようで、温かい。凪組Anthologyに合わせて「凪ぐ」を入れたのだろうか。「息を始めぬ」では、息をまだ始めていない。「いのちは来」で止まっているのは、そこで産声を上げたから。産声の音声は書かずに「広い世界に」で、赤子からの景色がまばゆい。

『「道」』
季節がテーマの詩は、滝本政博さんの『春』『冬の言葉』.kom さんの『めぐる季節』がこれまでもあった。この詩は、それらと比べれば言葉数は少ない季節の詩だ。短歌ぐらい季節を表現する言葉が少ない。「荒ぶる道も 独り行き過ぎて」のように夏は異常に活動し過ぎてしまう。日は長いが暇ではない。「数ある声を 背に受けつつ」は夏の音、蝉の鳴き声だろうか。「遥かな声」は春のことだろうか。秋冬になると寒くなって静かになってしまうから。「心なら おおらかに 笑えるだろう」で、 心から ではなく「心なら」なのは 心があるなら を略しているのではないか。

吟遊詩人K. さんのプロフィール
旅をする詩人。10代の頃から哲学や文学に親しむ。俳句は10年以上は結社に所属して詠んでいた。noteで1000以上の詩やエッセイの記事を掲載。

67.蒼樹ほのお 『箱をください』『もし、やり直せるのなら』

『箱をください』
季節を箱庭のように収納したい願い。何回も反芻してその時々の現象を保有し続けるために「箱をください」。「畳む」「包む」「収める」「獲り入れる」と季節によって変わる動詞。個人的な感覚だが、動詞の持つ力強さは、獲り入れる(秋)>畳む(冬)>収める(夏)>包む(春)の順。暖かい季節は力強くない動詞の方がよりその季節らしさが出る。「夜半の思案」「収穫を喜ぶ私達の 安堵」が美しくて好き。

『もし、やり直せるのなら』
グループホームで働いていた介護士の詩。「もし、やり直せるのならーー」はどこにかかっているのだろうか。介護士になったときか。「安心して眠ってください」と利用者に伝えたときか。病気の原因自体に対処できなかったからか。介護士を辞めたからか。「頭に白髪を置く年となり」とあるから、何が「安心して眠ってください」だと過去の自分の言動に苛立っているのかもしれない。「せめて一人だけでも心から 人にやさしくありたかったのだ」と同僚は利用者に厳しかったのだろうか。優し過ぎて辞めてしまったのか。

蒼樹ほのお さんのプロフィール
2009年旭川六条教会にて受洗。第四十三、四十六回「沼津市芸術祭 詩部門 文化協会賞」受賞。

68.加澄ひろし 『渚にて』『出航』

『渚にて』
渚の海亀の子たちの視点。人間からすると、渚は「岸を襲う、波涛の牙」「満ち干の拳」という程ではない。「甲羅」で亀だと確定する。「海に生まれて〜海を焦がれる」は陸を一度は選んだもののやっぱり海が好きと種族として回帰し渚が地球になる。輝き・音・波の動きについて少しずつ言葉を変えて有機的にうねる。輝きなら、「照りつける」「陽射し」「灼」「焼けつく」「煌めき」「目を眩ませる」がある。何ひとつ同じ波はないように。「引き潮の背に、身をゆらすだけ」と亀ならではの浮力の楽しみ方が好き。

『出航』
夜の埠頭を実際に見たことがあるのだろうか。「真新しい船底が、赤く照らされている」を読んで、世界と貿易するということは埠頭は夜も働いていると気づいた。港町が遠いから忘れていた。輝きは終わらない。「東に向かう夜行船は、波に漂う水蜘蛛」と心細い景色を何度も繰り返してわたしたちの暮らしは成り立っている。「約束された夜明けを信じて」プロフェッショナルでも、人間も貨物も無事に目的地に辿り着けますようにと願うしかない時間がある。「神々しい、日の出の炎を浴びるだろう」の「炎」を浴びてみたい。

加澄ひろし さんのプロフィール
東京都出身。宮崎県在住。「走る詩人」自然派、ときに社会派。自然を愛し、自然を歌います。「詩人会議」「宮崎県誌の会」に所属。

69.村乃枯草 『海は凪』『一頭』『花の音』『明日会おうね』

『海は凪』
凪、津波、凪。波が押し寄せる前は波は引いていく。「波は低く」は予兆としか思えない。「壁と呼べば〜去った」の勢い。「海の底〜土地に変え」とあると、海の底は常に津波で大変だなぁと思う。この陸地は海の後に生まれたのであり、たまたま表面に出たところに住まわせてもらっているだけだった。また「海は凪」。「往った者の声は探しにいくもの」には流されてしまったひとたちの遺体を探しにいく覚悟がある。ここが凪なだけで、ざわざわとしているひとたちの声をなかったことにはしない。

『一頭』
デスノートか。誰かを殺すノートではなく、誰かに忘れ去られているから何者かに殺されても認識されない者だけ書かれるノート。「背中に羽ではなくむき出しの骨を生やす」の恐ろしさ。骨が生えていても飛べない。『一頭』を捕らえる牢獄として機能するのかもしれない。マントがあるわけでもなさそう。「意思も性も去勢され子もいない」は、現代社会ではいわゆる弱者男性と呼ばれるような存在。そういえば、弱者女性は性への執着が男性ほどではない。だからこの『一頭』はオスに見える。

『花の音』
雑草の定義を揺るがす。雑草で5〜6月には小さな白い花が咲いていてで柔らかい音を出すらしい。ヒメジョオン・アレチノギク・ナズナ・ハコベ・シロツメクサあたりか。どれが一番雨雲を呼べるいい音を出すのだろうか。悩む。アレチノギクは蕾のときから打楽器として良さそうなので、わたしはアレチノギクを推す。最近は田んぼを見ていないので実際に生えるかは知らない。何一つ不必要なものはない協力関係。老父への尊敬の念。老父とこの詩の主人公は話したことがあってもなくてもどちらもあり得る。

『明日会おうね』
明日も会える奇跡。すぐに立ち直れる事故から強大な時代の渦まで、何が邪魔をしてくるのかわからない。「明日会おうね」で挟まれるふたりにとって邪魔なもの。オセロのように、ひっくり返ってくれたら明日も会える。杞憂で終わらせるための「明日会おうね」。「心身健康でも 互いの心が離れないように思い合って」と、癌などの病気になってからでは遅いようだ。平時からお互いを大切にできるなら大切にした方がいい。

村乃枯草 さんのプロフィール
趣味は詩と青少年向けライトノベル制作。主に小説投稿サイト「カクヨム」で活動。

70.月兎桜香 『騎士』『月に願いを』『呼吸』『駆け引き』

『騎士』
擬態だ。「側面」「底面」「上辺」「斜向かい」と余念がない。搬入前に梱包された彫刻のようだ。「私」は人間だから、その彫刻と同じように振る舞っていたら身動きが取れない。キツくしたりゆるめたりして改善はできているようだ。それでも「本当の私」とは遠い。鎧ではなく『騎士』でだから、臆病さよりも勇敢さの方がある。

『月に願いを』
「臥待月(ふしまちづき)」は 陰暦19日の夜の月の異称であり、寝て待たなければ見れない月。「新月」「望月」に「臥待月」を並べる面白さ。初めの見えない月、十五夜の満月、十九夜の少し欠けはじめた月。月の異名一覧はこちら。「兎たち」は妖怪か何かか。「浄化を躊躇う」のはこの月や気分のサイクルを、女性の生理の低容量ピルのように周期を操りたいのだろうか。

『呼吸』
「雨音」「低気圧」に隠されているのは何か。外が乱れていると自身の心の乱れを直視しなくて楽になる。「雨音」は耳を塞いでくれるし、呼吸音の震えも微かになる。「また手を繋いで隣にいて」でやっと自身の心の乱れを直視できている。外のせいにするのではなくて、自分は「温もり」を求めていると表明できている。文字数の割に日々の生活の反省が早い。

『駆け引き』
わたしは『駆け引き』ができないので、どうしても『息を吸うたび浮かぶ言葉』がわからない。「他力本願」なひとだから、今度こそは強くいってやろうとでも思っているのかもしれない。馬鹿にする言葉や反抗する言葉だろうか。「貴方」は「私」を馬鹿にしているから「北叟笑む」馬鹿にした言葉も「空耳だ」と誤魔化す。パートナーに対して抑圧することが当たり前になっていて、精神的なDVを「私」は受けているのではないか。

月兎桜香 さんのプロフィール
中学時代に詩作開始。主にX(旧Twitter)で恋愛誌を発表。「ココア共和国」で佳作5回。詩集『innocent world』また、桜の葉の音として『写真詩集 碧に游いで』がある。

71.高瀬二音 『津の春』『丸椅子』『いのちの朝』

『津の春』
3つの「花弁」。どれも船着場に花弁が辿りついた場所の描写が細かい。浜辺に打ち上げられた「花弁」・岸壁で小さく震えている「花弁」・玄関の扉から舞い込んだ「花弁」。この詩の世界中に水や風が流れている。ここでGoogleマップで調べてみる。「高梁川(たかはしがわ)」の河口は倉敷市。「東からのゆるやかな潮流」は山陽自動車道と交わったあたりだろうか。「内湾」は瀬戸内。「西側の、人もまばらな海岸」は浅口市の海岸だろうか。ミクロなモチーフからマクロな地形にまで想像するようになる詩。

『丸椅子』
店外で待つお客様用の丸椅子だろうか。「提灯屋、古道具屋、床屋、風呂屋が居並び」と、人間関係が濃密でないと成立しない商売の通り。「朝がひとり〜おとして」は、地平線を阻む町の凸凹を伝って「かげ」が再ローディングを繰り返して終わらないあの様子。「この頃〜片付けるなよなあ」は、真面目ぶんなよもっとだらけなよと優位に立とうとする床屋の爺さん。「青路地」は朝日が昇る前、「茜色の路地」は朝日が昇った後の路地。同じ場所でも光の色が変わればこんなにも印象が違う。

『いのちの朝』
「今日の恵みに地上の全てを連れ去る」と朝が「いのち」を奪って再分配しようとする。体操してその動きに反抗することで「いのちを身体になすりつける」表現に意外性がある。病棟にいるひとは近いうちに亡くなる可能性が高い。朝日が昇って時が進むだけでも「いのち」はどこかに帰っている。寝間着のしわまで感情になっている。

高瀬二音 さんのプロフィール
「さみしい夜の句会」第Ⅰ集、第Ⅱ集掲載。

72.湯村りす 『桃のパルフェ』『フルーツパーティー』

『桃のパルフェ』
「チープな承認欲求を背景に笑う彼女」はあの壁に描かれたレインボーの羽だろうか。「額縁に飾られた生活の話」はInstagramの色枠ある投稿画像だろうか。「仕方なくシャッターを押した後」とインスタ映えの手伝いを任され、カメラの脚立にされる地味さ。「彼女」は「私」の地味さを確認すればするほど、贅沢な暮らしをできている。「私」はなぜ挫折してしまったのだろう。地味でも、地味な頑張りはできない性分。どちらにも振り切れないから、甘い「彼女」に流されてみる。

『フルーツパーティー』
「フルーツ」の集いは不参加者からは瑞々しくて楽しそうに見えても、瑞々しいどころか余所余所しい「私」はその「フルーツ」たちになれなかった。子ども時代のあの面倒臭い「フルーツバスケット」と、夢で見た新鮮でわくわくする「フルーツパーティ」。「防腐剤」は軽々しくその場を良さげに繋げる話術だと思う。「防腐剤」があるひとは椅子に座れなくても、まあいっか とあっけらかんと次のお題を出せる。当てはまるひとが多すぎるお題にしたら「座る椅子」は見つかるのではないかと戦略を真面目に考えた。

湯村りす さんのプロフィール
幼少期より細々と詩作を続け、2023年3月よりnoteや詩誌への投稿を開始。「ココア共和国」傑作・佳作。このアンソロジーの発行人でもある石川敬大さん主宰の「Wonder」に参加。

73.ステッセル寅太郎 『新幹線ホーム』『朝ぼらけ』『言葉について』

『新幹線ホーム』
わたしは大分県に親戚がいるので、飛行機の方をよく使う。新幹線のホームは発車するギリギリまで手を振りあえるところがいい。飛行機は長い手続きが粘る別れを阻む。「僕」は「涙に濡れた」と、織姫と彦星のようになかなか会えない二人。1年に1回で泣くだろうか。5年に1回なら泣くかもしれないと自分の尺度とも向き合える詩。

『朝ぼらけ』
「眠い目は」と を ではなく「は」と表現されると、動いた本人ではなく風景として見えてくる。朝の「風の音〜隠れ行く」は、まだ起きていない同居人のために足音を立てずに朝ごはんを済ませる礼儀を感じる。「青空」もそうだった。元旦のご来光のようなはっきり自己主張するような朝は少ない。「そんなものよと 朝ぼらけ」はそんなはっきりしない朝を教えてくれる呼びかけだ。

『言葉について』
詩の書き方でも、ただ使いたい言葉を使うだけではダメだと言われることがある。言葉は飾りではなく、実感であると。並び順でも伝わりかたは変わってしまう。「一筋の輝く 村となる」と村が一筋になるのが面白い。塊ではない。「その人の 喜びや絶望が 深海となり」が光ファイバーだとしたら、一筋に輝く実体験に基づいた言葉の伝達になる。村のようにその情報は絡まり支え合うことになる。

ステッセル寅太郎 さんのプロフィール
主にX(旧Twitter)で詩を投稿。自分の心とお話ししながら、心地良いと思う言葉を紡いでいる。

74.浅香由美子 『慟哭』『すべての赤い鳥たちへ』

『慟哭』
「私」は荒馬か。駿馬への嫉妬・長い距離・愛しさが走り続ける。「臨月の私の恋には慟哭の封印を」の「臨月」は、「胸に孕んだ」複雑なきもちの臨界点にみえる。走り続ければ疲れ果ててそんなきもちは抱けなくなる。「その妬ましい筋肉」はスポーツ馬としてのライバル意識も感じる。「恋」と限定しなくても、敵わないがライバルとして認められたいひとなら好きになってしまう詩だと思う。「ひっそりと呼吸する事を覚えた」がより恐ろしい。「胸よりももっと深い所」で呼吸したら、経路が長くなって口や鼻まで吐く息が届かなくなるから。

『すべての赤い鳥たちへ』
「赤い鳥」は死の間際に愛された過去に感謝し、転生して「愛を知り強く優しい女」になった。今世で悲惨な目にあっているひとを励ますように、繊細に観る心をそのままに来世で詩を詠む。「赤い鳥」があっさり「夜の海」に落ちて即死してしまえば、最期を感じることなく心を持て余していただろう。仏教の習気(じっけ)に通じている。わたしは、詩人は前世は動物だったのかもしれないと考える。人間社会に生きづらさを感じるけれど、この世界の美しさは分かるのは、動物としていきた経験に因るのではないか。

浅香由美子 さんのプロフィール
北海道在住。主に詩や短歌を書いている。浅香由美子は本名。1994年に北海道新聞にて城美貞介先生に「慟哭」が選ばれ掲載される。地元新聞雑誌等、詩や短歌の掲載入選歴少々。歌人集団「かばん」所属。

75.まつりぺきん 『思い出せない』

『思い出せない』
「ザマアミロ」で、思い出さないと決めたのだろうか。どちらかの社会的な階級が上がると残された側は妬むようになる。空白行によって静かな喜びが対立に変わりゆく。「その子のお母さん」はどこかでキャリアを諦めたのかもしれない。そこに辿り着く前に大学進学も諦めたのかもしれない。この「その子」は「がんばれよ」「そうか」だけなので敵対心は見当たらない。子どもの人間関係は親の意向も反映される。あの子の親はまともじゃないからと終わった友だち関係。親の自尊心も気にしないとならないなんて。

まつりぺきん さんのプロフィール
2022年より詩作開始。「ココア共和国」傑作・佳作。「びーぐる」選外佳作など。

76.こい瀬伊音 『もうなかぬ』『オープン・チケット』『あたらしいひには』

『もうなかぬ』
ダブルバインド(二重拘束)に苦しめられる「とり」。「象牙の船」は象牙を削って作られた船型の置物。「とり」は柔軟に動けるが、「象牙の船」は動かず固い。自由に見せかけた不自由な「とり」からすれば、はじめから不自由でも美しく他人に左右されない「象牙の船」は心地よいのかもしれない。意図的にひらがなが多い前半は発育不良を感じる。

『オープン・チケット』
オープンチケットとは、搭乗区間のみ指定し、フライトの予約をしないで購入する航空券のこと。鳥に置き換えて考えれば、どこに向かって飛ぶかは決めてはいないけれど、とにかく親鳥から離れて広い巣をつくりたいと飛ぶこと になる。これは人間も同じ。「ホバリング、止まり木はたった一本」の「ホバリング」とは 空中停止 のこと。もしかしたらこの鳥自体が止まり木で、この鳥が足をついて止まれる木ではないのではないか。ただ飛ぶしかないなら、ぜひ実家にも飛んで帰ってきてほしい。

『あたらしいひには』
「すべて捨てなくては自由になれないの 誰の持ち物でもないのに」に当てはまるとしたら、ホテルのアメニティ・シロツメグサの冠・あの世にいこうと分離しはじめた身体あたりか。「あなたをかたどった〜置いて」は、モチーフは「あなた」だけだけれど、ふたりで「かたどった」時間ごと置いていくことになったようだ。そんなにもあたらしいひとには引き継げない秘密なのか。「手荷物検査〜背中を向ける」は空港らしい。「さようなら〜許されてほしい」は、この手荷物検査に逆行したいのだろうか。

こい瀬伊音 さんのプロフィール
詩人を名乗る小説書き。第二回「ブンゲイファイトクラブ(BFC2)」本戦出場ファイター。オンラインSF誌「KaguyaPlaner」にて医療SF「DNAR」掲載配信。第二回RANGAI文庫賞『うみせん、やません』を含む短編集『こい瀬すーぶ』をRANGAI出版から発売中。「貝楼諸島より」に巻頭詩『波間の羽根』掲載。

77.森 実弥子 『景色』『蜥蜴』

『景色』
指輪はそんな簡単に割れないものだが「真ん中で切れた指輪に似ている」という言葉が面白い。「少し視線を下げたそこに」とワンカメで「病院」に移る。「一人で何でもできるから」と「母」と距離をとっている。でも、遅れて痛みを感じることはできる。「指輪」「スパンコール」「鉛筆の芯」と比喩を使いながら冷静に、客観的に書く。「ねぇわかる?」で「母」と話が成立したら『景色』からは逸脱する。ずっと自己完結だからいい。「遠い景色」に「掌」が吸収されていく。

『蜥蜴』
四季を尊ばない人間は「蜥蜴」のような姿に変わっていくだろう。何のために人間として生まれたのか考えさせられる。五感を退化させるような生活をして、触覚が人間より退化した蜥蜴になってしまえばいいと。「報いという名の酒が回り」は、一見人間に好まれる姿をしたものが人間の遺伝子に影響を与えてしまうということだろうか。恐竜の系譜が爬虫類に繋がっていたと仮定したら、「変化を受け入れた爬虫類」は恐竜であり、「ひっそりと張り付く蜥蜴」は恐竜の実体験の伴う警告かもしれません。

森 実弥子 さんのプロフィール
X(旧Twitter)に創作詩・五行歌を掲載。綺羅星の如し皆様の間に立ち混じり、このような場に加えていただきました事、望外の喜び。

78.古川智教 『邪な木』『砂漠はふたつを許容する』『飛翔の痕跡のような冷たさ』『彼女の死後は僕だけのもの』

『邪な木』
エデンの園の知恵の実が生っていた木のことだろうか。花粉症患者からすれば、杉の木かもしれない。「内的な旱魃」は、感受性の衰えだろうか。「五重塔〜混合物のように」は遺体が多すぎて五重塔の近くにも埋めるほど埋葬に困っているのか。「ある不死の事実」はそんな恐ろしいことから逃れられるファクターXが見つかって、ファクターXが「邪な木の青い実」だろうか。「此の世〜閉じよう」は生死なんてものが曖昧にして、詩だけは不安定な此世で彼の世に取られないように守っているのだろうか。

『砂漠はふたつを許容する』
ふたつ?頻出する「塵」と「灰」のことだろうか。また違うものを指していそうだが。「塵はひとつの窓しか受け入れない」はなぞなぞのようだ。「灰」は窓のサッシをふたつに割る。「灰が零になった世界」「砂漠」と読んだときに、砂漠には燃やせるものもないから火事も起こらず灰も生まれないと気づいた。「真っ赤にほぐれていく」は火事だろうか。ならば、「青くほぐれていく」は魚が自由に泳げないほどの激しい潮流か。「物語がほぐれていく」も面白い。「数のざわめきを知る」は他人事にできない何かだとは思う。

『飛翔の痕跡のような冷たさ』
「運命はただ差し伸べているだけで」「運命の手は握り返さない」と、自発的に動くかどうかを問いながら、蜜蜂に襲われてどうしようもない人類。冷たさで「運命の手」を離してしまったのだから「うねる蜜蜂〜熱さだとも知らずに」を回避する手段はない。例え冷たい態度でも、離そうとしなければ「蜜蜂」に刺されなかったのだろうか。「虚空」の反対にあるのは栄光か。「弄ぶための手」の側に向かったところで、自分も「虚空」から向かってくる人類を弄ぶだけの特権階級になってしまうのではないか。

『彼女の死後は僕だけのもの』
思い込みが息継ぎなく垂れ流される。「朝日を浴びる〜得なくなる」「彼女は僕を選ばなかったのだから」「彼女に選ばれる〜思い込んでいたのだ」など、数え切れないほど思い込みを思い込みだと気づく瞬間はある。それでも「彼女の死後は僕だけのもの」はブレない。「恋い焦がれる思いさえ消尽させ」とあるから、ただの執着心だろうか。もはや彼女ではない「霧の身体」を愛する。実在モデルがいるラブドール状態。「丘」は彼女がいる安全地帯で、「孤島」は戦地だろうが、その見分けが「僕」にはつかないのが怖い。

古川智教 さんのプロフィール
さいあいのひとへ。

79.関根健人 『jus』『Lumière』

『jus』
『jus』は英語では権利・法の意味があるが、リトアニア語の「あなた」かもしれない。「耳朶のした」で「はしを架ける」のはセクシー。「はしを架ける」「黒髪には牡丹雪」ともあり、日本庭園と化した女性の首あたりが好き。何かがどさっと落ちてきたとも想像できる。パートナーの手だろうか。黒髪も押されて乱れる。「雁木づくり」など庭っぽさのある言葉、「腋窩」など人体の言葉が入り混じり、「遮断機」の指し示すものをぼかしていく。直接的な情緒の描写はないからこそ「古い銅貨」の冷たさや匂いまで想像してみる。

『Lumière』
『Lumière』はフランス語で光。「はく紙〜眠り」は抽象的。わたしなりに解釈すると、子どもたちがアスファルトにチョークでおままごとの家の間取り図やバトミントンのスコア表やランウェイのステージでも書いているのかと思った。「ふたりの少女がみやる」と「見てる」よりも首がスッとある方向へと向く地面の上にある空間。「static」に「揺れている」を掛け合わす面白さ。あの楽しい時代を詳細にセピアで思い出せる。

関根健人 さんのプロフィール
平成5年生まれ。令和4年夏頃から詩作開始。「現代詩手帖」入選・佳作。「望星」佳作。「インカレポエトリ」寄稿。

80.リウノタマシイ 『今日は、晴れるので』『風に消えた子ども』『あなたそのものの花』『ホネ祈祷』

『今日は、晴れるので』
デジタルデトックスの休日だ。「あなたがあなたを、ゆるしましょう」は、向上せねばならぬと最新情報を追うような休日にはない。わたしは休日にnoteを書き溜め、デザインの自主制作に取り組んでいるため、自分をゆるせていない感覚がある。わたしは晴れていない。「どうしたって」は人間としての最低限をゆるやかに護る。「今日は、いちにち晴れるので」が「今日いちにちは、晴れるので」になると、明日は晴れではないかもしれないと考えるようになる。悲しみも含むようになる。

『風に消えた子ども』
『風に消えた子ども』は潔癖で何もかもお見通しで、公園で遊んでいるような子どもではない。「にんげん」よりも倫理観のある宇宙人のように見える。わたしはNetflixで 三体 を見ているのだが、劇中に登場する三体星人のような挙動の「子ども」だと思った。「消えた」だけでなく「乗った」もある。新幹線に乗ったひとを新幹線を見かけたひとが認識できないように、「乗った子ども」を乗っていないひとは認識できない。ただ「消えた」のではなく、上位存在だから「しずかな宇宙の果てに降り」れるのだろう。

『あなたそのものの花』
まだ見つからぬ知性・感情の表現方法を希う詩。「花」は意志かもしれないし、経験かもしれない。「ぬくとい」は名古屋弁で 温かい の意味。温かい よりも、語感から 温かい+尊い ようにより感じる。「花をあなたの花だと」と「あなたを花のあなただと」の違い。まず花があって所有者が現れる方と、まず人がいて実は花でしたと打ち明ける方。表現するといっても、作品を作って表現するとも違う。「あいたまなこすれすれに」死んでしまってもわからせてほしいから、既存の表現方法じゃ足りない。

『ホネ祈祷』
「ホネ」は遺骨か。「ばあちゃん」がいなくなってから「おじさん」もいなくなった。「ビルケナウ」はユダヤ人強制収容所がつくられた場所。そこのうたを「姉」にきかせる。ここで「黒焦げの死相」と出てくるのでまた人が亡くなったのかとびっくりした。「ケラ箱」は箱ずしの箱。「人間は人間をあと幾たりまで供え祀るというのか」で墓参りや曾祖母の三十三回忌を思い出した。子どもが途絶えれば供え祀るひとがいなくなってしまう。「不孝の回帰」は独り身のまま死ぬことだろうか。供え祀るひとがいなくなり、遺骨も天に居場所が移る。

リウノタマシイ さんのプロフィール
X(旧Twitter)から現代詩に触れ、詩誌への投稿も試みた。「今日は晴れるので」「詩と思想」佳作。希少難病に罹患し、大量化学療法にて、治療後、就労に復帰。おかげさまで軽快。病気が詩に近づけてくれた。





お知らせ

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