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【スト6】格ゲー初心者がCリュウでマスターになったよ

 今日はゲームのおはなし。今回は単なるふんわりした感想になるから、途中で飽きちゃったらごめんなさい。
 リュウがよく「この道を進むのみ!」とか「俺より強いやつに会いに行く」とか言ってるけど、ちょっとだけその意味がわかったような気がする。ほんとに?自信はないけど、そんな内容です。初心者なりの格ゲー論、といってもいいかもしれない。「まぁよくわかんないけどね。お~ん。」
 2023年6月2日に発売したストリートファイター6、ついに大好きなリュウでマスターになれました。忙しくてプレイできなかった時期もありこそすれ、少なめに見積もっても半年程度かかったことになる。

やった~~

 格闘ゲームというジャンルはずっと憧れつづけるばかりで、ほとんどプレイしたことがありませんでした。反射神経がよくてゲームうまい人向け、みたいなイメージだった。
 わたしはあんまりゲームが上手ではないし、人と勝負をする、というのもそこまで好きなことではない。いちばん好きなゲームは今でもどうぶつの森シリーズとか、Stardew Valleyだと思う。
 そんなスト6からの新規勢なわたしでも、マスターになれました。勝率は驚きの45%切り。計算上ギリギリ上がれるってレベルのようだ。いっぱい対戦しただけ。やっぱり才能はないよね。

泣けてくる

 だけど才能がなくても、スタートラインにおいて知識や経験がなくても、真面目にやっていれば"いちおう"マスターになれる。そして、実際自分は成長したなちょっとはうまくなったよな!と思える。ここがスト6のシステムのいいところなのかな、と思っています。
 これからMRがドンドン下がっていく未来だろうけど、この道を進むのみ!

 具体的にこんなことを練習して、こんなことを考えて試合をしていた、ということもそのうち書きたい。意外とそういう「初心者向けの"街灯"」みたいなのって、少ないよね。夜の暗さを解決してくれる太陽ってわけではないけど、なんだかちょっとだけ安心する、人の気配がする、みたいな、そういうもの。
「こうすれば楽に勝てるようになるよ!」とか「これできるようになると楽しいぞ!」みたいな、ポジティブなものもいいのだけど、心おれそうなとき、わたしが"読みたいな~"と思っていたのは「いまこんな感じでがんばってます」とか「①はできるけど、②はできない。だから①でどう戦ったらいいんだろう。」というような文章だった。おそらくそういう文章は存在しているのだろうけど、わたしの目にはあまり入らなかった。さみしいな、孤独だな、と思っていたので、だれか読んでくれたらいいな、という気持ちで、なにか書けたらいいよね。

 そのような意味で、初心者にとっての格闘ゲームというのは、「捨てる作業」だと思う。とはいえ、できないことを練習するのはもちろん大事だし、それが格闘ゲームの面白いところ。わたしも例にもれず、はじめて相手を昇竜拳で落とせたときは、すごくうれしかったし、忙しい操作のコンボのあとに真昇竜拳をつなげられたときは「うおーー!」だった。どうした、立て!

 だけどそのうち、すこしずつできることが増えていくにしたがって、いわば、努力の収穫逓減、ともいえる状況が必ず訪れる。トレモ時間逓増の法則、でもいいかな。なんでもそうだよね。はじめのうちはたくさん伸びるけど、だんだん、たくさん努力して、少しだけ上達する、そんな流れ。
地味~~なことをたくさん練習しなきゃいけないし、そのわりに、実際の試合でそれを出すのが難しかったり、機会があんまりなかったりもする。だけどやらなきゃ勝てない。練習するのが結局、いちばん効率いいんだから。わかってるけど、つらいよ~って状態になる。

 昨今とくに、プロシーンも盛り上がっているし、たくさんのストリーマーがプレイしている様子が楽しめる。プロ選手たちは「ほんとうにこの人たちは人間なのか?」というような高次元の能力だし、ストリーマーのひとたちは、ゲームがうまかったり、"もってる"モノがあったり、うまい人たちにコーチをしてもらったりと、勝負に勝ったり、楽しんだりすることにおいて、みんなみんな「効率的」に見える。
 「ストリーマーのひとたちはプロに正解教えてもらえていいよな~」とか「あのキャラのあの技犯罪よな~」とか、そんな声もときどき聞こえてくる。気持ちはとてもわかるのだけど、みんながみんな同じ道を進まなくてもいいのだ。
 「正解」に最短でいかなくてもいい。これはいい意味で「ゲームだから」って割り切れる部分じゃないかな。負けたって生活が終わるわけじゃない。誰かに迷惑をかけるわけでもない。ゆっくり自分と向き合える、とてもいい機会だと思う。実生活もそうありたいものです。

 わたしは練習がそんなに好きじゃないというのもあって、「いま自分ができる範囲もっとできることはないかな?」というようなことをずっと考えてたくさん試合をした。そのうえで、「どうしてもこれは練習しなきゃ手札が足りない」というものは、ちょっとずつ練習したつもり。
 リュウというキャラの特性もあいまって、相手をよく見て、癖を予想するようなちょっとずるい戦い方になっちゃったけど、個人的には満足している。全体的なゲームプランの立て方はいまだにとっても下手くそだと思う。ここはこれからがんばりたい。
 強い意志というか、波動を感じる元気な人たちと当たって体温が上がったり、めちゃくちゃ冷静な達人たちにボコボコにされたり、ほかの人たちの戦い方をたくさん肌で感じて、自分なりに考えたりもした。
 自分にできそうなことは真似してみて、できないことや、実戦でうまく使えない部分はいったん置いておく。ちょっとずつ練習すればいいのだ。
 新しく拾った情報をいったん捨てて、あとで拾いなおす。その間に、「波動拳、どこで打てばいいんだろう…そもそも打つ意味とは…」とか「このすごく短く感じる足、どこで振ればいいんだろう…」とか、「自分のできる範囲」であるはずの部分を常に考え直す、というのが役立った気がするし、とっても面白かった。

 ワールドツアーという、一人用のストーリーモードに出てくるリュウはいつも石の上に座って、瞑想しています。

ひさしぶりにワールドツアー起動して会いに行きました

 「特訓して強い技覚えてくれよ!!」「スマホで動画とか見て新しい技開発してよ!!」なんて思うこともあるけど、座って考えること、「できる範囲」を練習と意識のふたつの意味で広げること、格闘ゲームにおいても大事なんだな、って思いました。(己から)目をそらすな!
 格闘ゲームにかぎらず、お仕事や、日常生活でもそうだと思うのよね。周囲との調和としての情報処理やトレーニング、それから、「できる範囲」でどう価値を創造するか、という意味での"瞑想"、そのバランスにつきるということだね。
 各個人には向き不向きがあるから、バランスを保ちつつ、そのうえでどちらかに少し振れることは悪いことじゃないと思う。ひとをけなしたり、同じでないから不安に思いすぎたり、そういうことをしないようにしたい。

 そんな意味で、設定的にも、性能的にも、リュウは素敵で強いキャラクターだと思う。もちろん、勝てることが一番偉いし、わたしは全然偉くないから、断言はちょっとできないですけど。
 だけど少なくとも、わたしはわたしの中で、本気でこんな風に思っています、というお話でした。

 格闘ゲームって、もしかすると人生かもね。

 この道を進むのみ!!!!

(マスターに上がる道のりで、お世話になった話も載せておきます。こんなモチベーションもありました。)


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