「なんで、介護がリハビリやらなきゃいけないの?」という言葉を今でも聞くのは何かがっかりする。「介護とリハビリが、リハビリをするのであり、介護をする」のである。
ここは病院じゃない。生活の場に、より利用者と長くいて色んな情報を持っている介護福祉士と運動機能の専門家から日常生活動作の専門家に変身した理学療法士がタッグを組んで、その人に最適な生活リハビリ(生活の中で活かすリハビリ)と介護方法を提供する。介護福祉士はADLの情報を豊富に持っている。その情報の中で介助の仕方や拘縮変形の予防、進行防止の知識を理学療法士が提供する。
介護福祉士も理学療法士も頭をすこし柔軟に考えて両者の線引をするのは連携を遮るものであり好ましくないと思う。
僕は、障害者支援施設に勤務する理学療法士だから、介護施設のように在宅復帰を積極的に目指す施設ではない。ここで一生暮らす人がほとんどだ。つまり施設が自分の家なのである。
最初は僕も、リハビリのゴールセッティングがわからなくて、機能向上を一生懸命目指した先になにがあるのか、よく見えないので、なんかモヤモヤしながらリハビリをしていた。
そんな時に、サビ管2人から、この施設のリハビリの方針を聞くことができた。「遷延性意識障害の方の処遇」「重症者(活動殿より低い)ほど時間をかける」「自分から声が発せられない方の処遇を最優先にする」「拘縮や変形の予防」などが出てきた。
僕も、すこし頭を切り替えなきゃいけないと思った。重症者がリハ最優先。これは、病院と全く反対の考えである。病院は治療、日常生活復帰の場。障害者支援施設は自分の家。僕が自分の家に住んでいるとして、リハビリが筆頭に出てくるわけがないと思う。食事や催し物、職員さんの接遇などが上位に出てくる。リラックスして生活を楽しみたい、その一部分にリハビリの時間があれば身体も動かせるな。そのくらいの認識ではないかと思う。今まで散々リハビリをして機能向上に頑張ってきて、この施設でも、機能向上なんて言われたら、それこそ辛すぎる。
ゆっくりと流れる時間の中でそれぞれの生活を楽しんでいただければそれが一番ではないだろうか?