見出し画像

うつ病になるのは自己責任?

どうも、しま子です。

数年前、車椅子ユーザーであるの伊是名夏子さんが4月4日に投稿した「JRで車いすは乗車拒否されました」とのブログ記事が炎上したのをご存じでしょうか?

簡単にまとめるとこんな感じ

無人駅の来宮(きのみや)駅で降りたいため現地での車椅子対応を小田原駅でお願いすると、無人駅だからと断られ有人の熱海駅での下車を提案された。
熱海駅で下車すると、小田原駅で対応できないと言われた対応を駅長含めた4人が対応してくれた。
帰りは、事前連絡を入れたら無人駅の来宮(きのみや)駅での対応もしてくれた。

詳しくはブログを見て欲しいのですが、この一連のやり取りで炎上し「わがまま」とか「クレーマー」とか、はたまた「自己責任」などといったコメントで炎上しました。

また、駅員の対応が酷いという賛否両論の意見も飛び交い、合理的配慮とはなんなのか?という疑問を社会に投てきしました。

この一連の炎上で私は「自己責任」という言葉が引っかかりました。確かに車椅子で駅を利用する上で介助をお願いするには、直前ではなく事前に連絡するというのが理想です。しかし、伊是名さんはどこに連絡したらいいのかわからなかった可能性もあります。

全てが「自己責任」という言葉で片付けてしまって良いのでしょうか?

「自己責任」という便利な思想

自己責任論は、人間の歴史の中で便利な考え方として使われてきました。

例えば、ドイツナチスのヒトラーは自己責任論の心理をうまく利用して一部の障害者から熱烈な支持を得ました。

一方で、ヒトラーは「障害者は生きる価値なし」として、社会の役に立たないと認定した障害者を大量虐殺しています。

ヒトラーは、同じ障害者でも働ける者、社会に役立っている者を「優」そうでないものには「劣」をつけて、弱者の中で自己責任論を浸透させていきました。そうすれば、政府への不満が有耶無耶になってヒトラー陣営には都合がよかったのです。

このように、戦時下や世の中が不穏な空気になると自己責任論を使って、人々を操ってきたのです。

日本でも「優生保護法」が48年間も施行され、障害者が不当な避妊手術を受けさせられた方がたくさんいます。今の少子化に悩んでいる日本では考えられないような法律ですが当時は、戦後の混乱期で誰もが余裕がない中こうした「自己責任論」が蔓延っていたので、誰もこの法律に疑問を持たなかったのだと考えられます。

うつ病になったのも自己責任?

考えを突き詰めていくと、うつ病になるもの世間的には自己責任になっているような気がします。

例えば、激務やパワハラになっても会社はなんの責任も取ってくれないし、精神的な病気は労災と認められないことがほとんどです。

それどころか「会社の業務に穴をあけられた」「このくらいで休むなんて心が弱い」と、モンスター社員扱いしてくる企業もあります。

会社のためにうつ病になるまで頑張って働いて、最後は自己責任論で片付けられてしまうのは本当に私も悔しかったです。

だから、人間不信にもなったしうつ病になった自分も責めました。

しかし、うつ病って本当に自己責任なんでしょうか?そもそも病気になるのが自己責任だとしたら癌も脳梗塞も本人の責任ということになります。

癌であれば、遺伝や生活環境ストレスなど様々な要因が重なってなるはずで、多くの人は自己責任だと思いませんよね?言えるとすれば「がんになる運命だった」くらいでしょう。

うつ病も同じで、複雑な要因が重なって結果的にそうなってしまっただけで、自己責任論とは程遠い場所にいるのです。

だから、うつ病になったからといって自分を責める必要はありません。

「責任は分散されている」という考え方

うつ病になると、自責の念に駆られ落ち込みます。全く自分が関係のないことまで「自分のせい」と捉えてしまい、酷いと自分なんていない方がいいと自ら命を絶ってしまうこともあります。

自責の念に駆られた時は「責任分散論」を思い出してみてください。

責任分散論とは、ある一つの出来事の責任は一つではなく、責任は様々なところに分散されるという考え方です。

例えば、うつ病になった人がいるとすると、当事者だけに責任があるのではなく、会社や環境など様々な場所に責任があります。

責任は分散されていると考えるだけで、心理的な負担は軽減されるでしょう。




いいなと思ったら応援しよう!