発達障害の遺伝で親を恨んだ話
どうも、しま子です。
発達障害は、完全に解明されていないものの遺伝的要素が大きいとされています。親が発達障害であれば、子もその傾向である確率は高いです。
私の父は、診断はされてはいませんがおそらく発達障害です。どうしてそう言い切れるのかというと、父と私は性格が似ています。周りからも言われるし、自分でも考え方や思考回路が似てるなぁと思います。
しかし、父は会社員ではなかったものの自営でそれなりに稼いできて、精神的な病気にもかからない人生を送ってきました。父の時代は、発達障害なんて概念すらなかったので「多少変わった人」程度で済まされていたのだと思います。
ただ、おそらく父が会社員をやっていたら間違いなく、社会に適応できなかったと思います。本当にラッキーな男です。
一方で私はというと、社会人になってからは適応できずにうつ病を発症し、正式にASDであるとまで診断されています。
私は、発達障害に遺伝性があると知った時、猛烈に父を恨みました。実際に「私の病気はお前(父)の遺伝のせいだ!」と言い放ったこともあります。
今思うと私は、発達障害でも診断されずに人生の晩年までのうのうと生きてこれた父が羨ましかったのかもしれません。しかし、父を恨んだところで現状は変わらないし、親のせいにしている自己嫌悪にも悩まされました。
結果的に私はどうしたかというと、父と比較せずに私が生きやすい方向に向かうことでした。
親から発達障害が遺伝したとはいえ、私は私。父の時とは時代が違うし働き方も多様化してるんだから自分の生きたいように生きると決めました。
そこから、私はフリーのWebライターとして文章を仕事にしています。相変わらず父譲りのASD特性で悩まされることもありますが、会社員の頃に比べれば随分自分らしく生きられるようになった気はします。
世の中には、私のように発達障害が遺伝して親を恨んでいる人も少なくないでしょう。そんな人に私が伝えたいのは「親を恨んでもいいけど、どう生きるかは自分で決められる」ということです。
私は、今でも時々「父の子どもに生まれなければ普通の人生送れたのに…」と思うこともあります。
誰の子どもに生まれるかは、コントロールできません。コントロールできるとしたら生まれてから「どう生きるか」それだけです。
コントロールできないことに囚われるよりも、コントロールできる今に注力して生きましょう。