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4年前、自殺しようとしていたあなたへ
「ごめんね」
4年前の私に伝えるとしたら、これくらいだ。
高校のカウンセリングルームは、学校の記録をまとめたような分厚い本が所狭しと並んだ、書斎のような場所だった。そこに、カウンセラーの先生の柔らかな声が響いた。
「まず、小さな頃のあなたを思い浮かべてください」
言われるがままに私は、4歳の、おかっぱの、ちんちくりんの女の子を思い浮かべた。
「そうしたら、その子を抱きしめてあげてください」
…渋々ではあるけれど、4歳の女の子を抱きしめてあげる。それでもその子は甘えてくる。
「それでは、次に、大人になったあなたを思い浮かべてください」
そう言われて私は、二、三十代の白衣を着た女性を思い浮かべる。
「その人に抱きしめてもらってください」
何だか実感が湧かない。それでも何とか抱きしめられている18歳の私を想像する。
その時は気づいていなかった。…と言うよりも、あまりにも自分にとって当たり前すぎて自覚すらしなかった。
「死にたい」と言う言葉を繰り返す18歳、高校3年生の日々の中でも、私は科学者になると言う夢を捨てられなかったのだと。
だってそうでなければ、「大人になった自分を思い浮かべて」と言われても「白衣の」女性は出てこないでしょう?
18歳の私が想像した大人の私は、穏やかで、芯のある、優しくて強い女性だった。長い髪をひとまとめにし、こちらに向かって微笑み、18歳の私を抱きしめてくれた。18歳の私は大人の私が「病んでいる」ことは想像だにしていなかったのだろう(希望的観測ともいうだろうが)。…いや、それよりもまず、19歳になることを想定していなかったからなのかもしれない。
18歳の冬、自殺しようと心に決めた。稚拙だったが方法も決めた。あれから4年が経とうとしている。
居場所をなくした高校3年の私は、大学に入れば幸せになれるのだと思っていた。大学に入れば、全てが解決するのだと思っていた(ちょっと考えが幼いのはおいといて)。だからこそ、4年前の私に謝りたい。
ごめんね。何も解決していないんだ。解決できなかったんだ。それどころか、どんどん酷くなっちゃってるんだ。
PTSDになっちゃったんだ。解離性障害になっちゃったんだ。多重人格者になっちゃったんだ。電車に揺られ、大学の最寄りを過ぎ、自殺する場所を探したんだ。ある日には、首にナイフを当てて、首を掻き切ろうとしたんだ。それをお医者さんの目の前でやっちゃって、閉鎖病棟に入院することになったんだ。
ごめんね。あなたが思うような大人にはなれそうにないよ。涙にまみれ、人を羨み、自分を責め立てる惨めな大人になってしまったんだ。
正直、18歳の冬、死んでしまえばよかったと思うことがないわけではない。だって、私は4年間、戦い続けた。泣きながら耐えた18歳の日々に報いるために。戦い続けて知ったのは、「これからあと20年は戦わないといけない」ということ(トラウマの治療にはそれくらいかかるらしい)。
ごめんね。18歳の君が感じていた苦しみとは別種の、それはそれは大きい苦しみが、大人になった私に襲い続けている。あなたが希望を持ってくれた大人の姿にはなれず、これからも苦しみは続いていくらしい。
結局私は死ねなかった。死ななかった。
これからも戦い続けなければいけない。生きるために。
心から、死にたいと思う。
でも、生きて、18歳の冬の絶望に耐えてくれた君に報いたいとも思う。
どうしようか。
さぁ、どうしようか。また明日がやってきてしまう。