「年齢≠経験値、年齢=総プレイ時間」らしいよ。
本記事に興味を持っていただきありがとうございます。
詩多音 咲楽(うたたね さくら)と申します。
最近TwitterもといXを眺めておりますと、ひとつ気になる投稿がありました。
「年齢は経験値じゃなくて総プレイ時間だから。」
詳細は言い回しは忘れてしまいましたが、概ねこのような内容でした。これはさらっと深い意味があるなと感じたので、今日はこれをテーマとしたいと思います。
この言葉を見てまず始めに思いついたのが、「小学生の時、大学生の人達がとても大人に見えたけど実際自分がなってみるとそうでもない。」という通説です。街中で見る年上のお兄さん、お姉さんを見るとやけに大人びた印象を覚えるというものです。この感覚の差異は年齢=経験値だと思っている人に起こる現象なのではないでしょうか。
具体例として小学生と大学生との比較を例にあげましたが、あの時大人びて見えた年齢にいざ自分が到達してみた時、自分の稚拙さが浮き彫りになり、なんだこんなものなのかと落胆するのです。
ちなみにこの経験値や総プレイ時間という単語はゲームを趣味とされている方は身近だと思います。特にシューティングゲームやFPS、オープンワールドといった種類のゲームをプレイされている人達はこの経験値と総プレイ時間に別の意味を持たせます。
経験値→そのゲームに対する習熟度、ランク
総プレイ時間→はそのゲームに費やした時間
プレイ時間を伸ばすだけなら簡単です。だれよりもそのゲームに時間をかけてただ遊ぶだけで蓄積されていきます。
しかし、経験値はそういう訳にはいきません。ランクが上がっていけば求められるスキルや知識もそれなりのものを求められます。ボスの攻略法や対面技術を自力で対策して論理的にゲームメイクをしなければ、いつまでも同じところで足踏みするだけとなります。
つまりそのゲームが上手い人というのは、ただプレイ時間が長いだけではなく、その経験値を増やす努力を積み重ねて実績を持つ人を指します。
これをゲームではなく人生という物差しで測ってみるとどうなるでしょう。
学生ではあれば、ただ何も考えずに学校に行って帰るだけの生活を送っている人と、将来を見据えて勉強や部活に励んだり、バイトをして早くから社会を知ってる人では、その後の人生に何かしらの違いが出てくることは理解できるでしょう。それが収入面なのか人付き合いなのか社会性・社交性の部分なのかは人によってそれぞれですが。
社会人であっても同じことが言えるでしょう。渡された仕事をただ言われた通りにこなしているだけの人と、それによって得られるスキルを自分のものにしようと思いながら仕事に取り組む人、スキルアップのために自分自身で資格取得を目指す人、計画的に貯金したり資産運用をしてライフプランニングをする人、趣味を全力で取り組む人では人間の厚みが異なってくることでしょう。
総プレイ時間のみを増やすことを否定はしませんが、私個人の意見としては経験値を増やす努力をすることが人生だと思っています。
人生においてどの経験値を増やすかは人それぞれですが、それぞれで興味関心のあるところに注力して伸ばした能力がその人だけに備わる唯一長所・武器になると思います。
私自身も、今の自分に満足せずに常に学ぶ姿勢を意識し、中身のある人生にしたい所存です。
みんなもできるところで経験値積んでいこうな。
それでは本日はここまで。
見かけた際はどうぞ気軽にお立ち寄りくださいませ。