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#6 寝る

塩塚モエカの細かな振幅のビブラートが身体に染みる。青葉市子の声は、深くて碧くてどこまでも透明な水をイメージさせる。才能ってすばらしい。自分にできないことができる人はうらやましい。すてきな才能に触れると、心がぴちゃぴちゃ豊かになる。

芸能やアートの世界は、才能や能力がそのまま評価につながらないと嘆く人がいる。市場原理が複雑すぎると。運やタイミングが重要なのだと。でも、なんらかの評価基準があって、「お金」に変わる可能性があるだけマシな世界だと思う。

たとえば「路上で眠る能力」は、誰にも評価されず、お金を生まない。もしこの能力を評価するマーケットがあれば、ホームレスもお金持ちになれるかもしれないのにな、と思う。

凍てつく真冬のアスファルトの上で眠ったことのない人に、このハードさを伝えるのは難しい。無慈悲に体温を強奪する地面と、いつ襲われるとも限らない恐怖心と闘わなければならない。

どんな大金持ちも、既得権益を握ったお偉いさんにもできやしないことだ。体脂肪率の低いアスリートには耐えられない。とても特殊な能力だと思う。もし、「路上で眠る選手権」が開かれたとしたら、ホームレスのライバルは登山家と軍人になるだろう。

2年くらい前、探検家のエド・スタッフォードが、イギリスの路上でホームレスに扮して「60日間路上サバイバル」する企画がディスカバリーチャンネルで放送された。エドはイギリス陸軍出身。同チャンネルではいつも、世界の辺境で明るく楽しく、裸一貫のサバイバルをしている。そんなエドでも、路上では数日でヘロヘロになっていた。

日本のストリートとは違いドラッグや銃も蔓延しているし、過激な暴力シーンも多かったから、野生に慣れたエドも参っちゃったのかもしれないけれど、単に「路上に眠ること」だけでタフなのだ。元軍人の一流探検家が弱音を吐いてしまうほどに。

なので、もし路上で眠るおっさんを見て、「なーんにもできないやつ」だと思う人がいたら、一度でいいから寝てみるといい。ひと晩で気が滅入ると思う。それを毎日。正直、すげぇなぁと思う。毎日、澄んだ鶏ガラスープを仕込んでいる人と同じくらいすごいと思う。

路上で寝たことは何度もある。

寒さが苦手なので、冬場はマジでしんどい。「身体の芯から冷える」という慣用句があるけど、その「芯」が身体のどこにあるか、はっきりとわかる。どれだけ段ボールを重ねても、ほかほかのインナーを重ね着してダウンを羽織っても、寝袋にくるまっても、寒い。もう奪う体温ねぇよと愚痴っても、コンクリートに言葉は通じない。超反発の堅い寝床は、しばらくすると身体もカチコチのコンクリになった気分にさせる。寝起きには、身体がガッチガチになっている。

休日に一人キャンプをやっている友人にこの話をすると、「装備しっかりしときゃ、大丈夫っしょ」と言った。こいつは何もわかっていない。

土の上とアスファルトの上は、まったくの別物だ。僕は路上よりもチベットで野宿した日数のほうが多い。冬場の外気温はチベットのほうが東京よりも断然低いし、吹雪も経験したけれど、寝れた。石よりもアスファルトやコンクリートのほうが、暴力的に体温を奪うのだ。土の上なんて、ぬくぬくだ。

それに路上では、不特定多数の見知らぬ人間が自分の頭部のすぐそばを歩き去る。この恐怖。オバケが怖くて寝れなかったことはあるけれど、オバケより人間のほうが怖い。恐怖心は眠りを妨げる。おかげで、「いつも安心できているから眠れてるんだ」と知った。

20代のころは感覚が鋭敏すぎて、なかなか寝つけなかった気がする。路上の硬さにも冷たさにも足音にも、過敏に反応してしまう。なまじ体力もあるから、ヘトヘトに疲れた状態でも起きたまま夜を明かせてしまう。30代になると、別の問題も浮かび上がった。「こんなことしてていいのか」とちっちゃなプライドが邪魔したり、他人の目が気になって人通りのあるところではなかなか寝つけない。

ようやく眠りについたのに、警察にピカーっとライトを照らされて起こされたときは、寝起き2秒でとんでもなくイラッとしてしまった。

五感を鈍らせたり、人としてのタガというかネジを外して「少しだけ壊れないと」、路上で眠ることは難しい。しかも、長期戦だ。

「なんちゅうとこで寝てんねん」と思う鉄人もいる。半年ほど前、新宿と新大久保の間あたりで、膝下くらいに積まれたブロック塀の上で寝ている人がいた。幅10センチくらいの寝床だ。メダリスト級だと思う。

寝ているところを起こして話しかけることはできない。なぜそんなところに寝ているのか、鉄人の話がどうしても聞きたくて時間帯を変えて何度も訪れたけど、「いない」か「寝てる」かで聞けずじまいだった。ふた月ほどで、鉄人はその場所から消えてしまった。

誰もが鉄人のように才気溢れているわけじゃないし、登山家や軍人のように特殊なトレーニングを積んでいるわけでもない。寒さや恐怖心にあらがい持久戦を耐え続けるだけでなく、明日への不安を抱いている人もいるだろう。だから、生きるために、眠るために、少しだけ壊れるために、お酒を必要とする人もいる。ドーピングは仕方のない手段だと思う。

数年前の冬の夜、新宿の路上で、居合わせたベテランホームレスの3人とワンカップを呑んでいた。そのうちの一人、イノウエさんの体臭がとても臭かった。別の一人がこう言って笑う。

「イノさん、クサ過ぎ。ちょうどいいツマミだわ」

またもう一人は、鼻をクンクンしながらこう相槌を打った。

「イノさんの臭いがわからんようになったら、寝れる」

壊れる才能が不足していた僕はずっと臭かったので、その日は家に帰った。


※イノウエさんは仮名です。




フツーの生活を過ごしている人が「できる」ことが「できない」のが路上生活者だと思う。でも逆に、フツーでは「できない」ことが「できたり」する。フツーなら「ある」ものが「ない」、でも「ない」ものが「ある」こともある。
そして、フツーの生活を送るなかで「できる」ことや「ある」ものは、当然すぎて気がつかないことばかりだ。『トーキョーサバイバー』では、それら当然すぎるモノ・コトを「アタリマエ」と呼ぶ。ホームレスを知ることでわたしたちの「アタリマエ」を知る。そんな本のクラウドファンディングに挑戦中です。



追記:クラウドファンディングは皆様の温かいご支援のもと、SUCCESSし終了いたしました。ご協力・ご支援いただきました皆様、誠にありがとうございました。うつつ堂代表 杉田研人拝(2022/3/17)


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