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意味のない貼り紙

ある学校からの帰り、不思議な光景を見た。

大学から駅へと向かう道沿いの家の一つの玄関が少し開いていて、その家で飼っているであろう猫がそこからひょいと出てきてにゃあと鳴いていた。猫が道路へと出て行かないように玄関を出たところは柵で囲ってあって、袋小路のようになっている。

そこまではまだなんとか理解が及ぶのだが、僕が気になったのは玄関にマグネットで貼られていた一枚の紙切れに書かれていることだった。

そこには「きらら (仮名)」とある。

一目見て僕はその意味を理解した。マグネットが猫型のものだったこともあるが、明らかにそれ単体で書かれることはまずない言葉だったから、ピンときたというのはあるかもしれない。

「あ、これ、猫の名前だ」

本人に確認をとっていないから正しいかは定かではないけれど、おそらくそれ以外にないだろう。そして一人で納得すると同時に、少し靄のかかったなんだか変な感覚を抱いてしまった僕だった。


違和感を抱いていない人の多くはこう思っているだろう。
「動物園の檻に愛称が書かれているのとさして変わらないのではないか」
まあ確かに、柵で囲われた中に動物がいてその名前がわかるようになっている、という点では似ているかもしれない。でも動物園とこれとではそれを遥かに凌ぐ大きな違いがあるように感じる。

「きらら」の貼り紙には、根本的に意味が全くないのだ。

動物園の看板というのは、畢竟動物の名前を覚えてもらってそれ目当てに園に足を運ぶ人を増やすためのものであろう。ニュースにでも取り上げられたら客は急増、大きな利益になる。

一方でいち民家の玄関に猫の名前を貼ったところで、ご家族にとってはなんの利益もない。メディアに取り上げられることもなければ投げ銭をする人もない。言葉を選ばず言うならすごく非生産的な行動に見える。

そもそもなぜ貼り紙をつけはじめたのか、それすら甚だ疑問だ。そこに猫がいるかどうかも定かではないのによくわからない単語だけ貼られていても、ほとんどの人は何も思わず通り過ぎるか怪訝そうな顔をするだけ。

私がたまたま猫のいるタイミングで貼り紙を見たからそれは意味をなしたけれど、それ以外の場合にはただの意味不明の日本語でしかない。

「おたくの猫ちゃん、可愛いですねぇ」とご近所さんと会話をしたことから、近隣住民のために紙を貼り付けた可能性も一応考えはした。しかし家の配置を考えると妙だ。前は中央線のあるくらいの幅の道路に面していて、しかも住宅地という感じでもない。道を挟んで向かいは工場である。

となるとこれは、我々のための貼り紙なのではないか。僕は密かにそう思った。


道ゆく人に可愛い我が猫を見てほしいのである。
それだけではなく、名前まで覚えて帰ってほしい。
うちの猫の愛らしさを、駅へ向かう大学生にも見て、感じてほしい。
そういう純度100%のエゴを、僕はひしひしと感じたのだ。

誰にもお願いされずとも名前まで貼ってしまうなんて、それこそ猫バカの極地だと思う。すごく図々しい、自分勝手な行動ではあるけれど、同じく猫を飼っている身としては見上げたものである。

とまあこんなことを考えていたら、歩く速度が落ちたのか乗りたい電車を逃してしまった。僕は早くも、きららくんの虜になってしまったのかもしれない。

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