怠惰のデフレスパイラルや
自己分析をしていると、どんどん自分が嫌いになってきます。
今日はそういう話です。
まず第一の前提として、私はとても怠惰です。やるべきことをやるのが遅すぎるし、面倒なことを後回しにして短時間で成果が得られることに心酔しているような人間です。まだ社会に出ていない今の時点から、ああ自分って出世できないんだろうな、と本気で憂いています。
最近「自分を変えます」的な宣言をした以上、これを叩かないわけにはいかないんですが、頭を捻ってみるとどうやらもっと大きな本質があるようだとわかりました。
それが「ワンマンプレー大好き」です。
別にコミュニケーションに難があるほうではないと思うのですが、どうもいろんな人と協力して事をなすのが苦手です。苦手というよりやりたいと思わないという方が正確かもしれません。
これまで私がワンマンプレーを好むのは、他人に期待していないからだと思っていました。自分で解決できた方が確実だという過剰な自尊心から、遊びの付き合いなどラフなもの以外での他人との協力を避けているのだと、そう思ってました。
しかしどうやら実際は違うようです。つい先ほど研究室のメンバーとの勉強会がありました。4人の学生でそれぞれ担当教科を決めて資料を作って説明するという軽いゼミ形式のことを毎週繰り返すものでした。怠惰な私は参加こそすれ、人の話なんて大して聞いていませんし自分の資料を作成するのもギリギリになっていました。
院試も近づき、今は小テストによる演習が主になってきているのですが、恥ずかしながら私、全然小テスト解けないんですよね。
「全部まとめ切ってから一気に暗記する」という勉強の流れをとる以上、まとめ切るまでの暗記量は何もしていないときとほとんど変わらないんです。おそらく他の方は少しずつ、ここを覚えたらまた次の部分を覚えて、と細かなセクションを作って暗記を繰り返しているのでしょうが、極度の面倒臭がりの私はそれすらも非効率と捉え、0か100かの過酷な賭けをしてるわけです。そして今はまだまとめ切るほどの勉強量には至っていないので、小テストが解けないわけなんです。
問題はここから。私がワンマンプレーを好むのは、こういった状況で劣等感を抱かないためなのではないか?と思ってしまったんです。
できなかったことを大真面目に言うのは自分の尊厳を損なうだけでなく周りにも心配される行為ですからしたくない。となると隠し通すしかありませんが、誰にも言えないと心に負荷がかかりしんどくなってくるもの。そこで私は劣等感に苛まれないための予防線として、自分一人で何かを成し遂げることを選んだんじゃないか、ということです。こうすれば他人との比較ではなく自分との一騎打ちに持ち込めるわけですから、心の平穏が保たれます。
そしてもっと言うなら、この思考は自分が他人より劣っているかもしれないという低い自信によってもたらされるものです。自尊心から他人に期待していないのとは真逆です。
「他人に期待しない」を座右の銘にしている人がいたのでなんとなく憧れを抱いて自分にも無理やり当てはめてしまったのかもしれません。とにかく自信がないから一人なんだと思い知らされました。
これを解決するわけには自信を抱くには努力するしかない、つまり怠惰でいるわけにはいかないわけなんですが、すでに
努力しない→他人との比較で劣等感を覚える→劣等感から逃れるため一人で行動する→油断してまた努力しない
というデフレスパイラルが形成されてる以上、あまり現実的ではないのかもしれません。
そして一番恐ろしいのは、今呑気にこのことをnoteに書いていることです。努力しないと抜け出せないことは分かり切ってるんだから、早く勉強しろ。この声はおそらく自分の耳には届いても、心を掴むことはないのでしょう。
誰か勉強できる方法教えてください。
それではこのへんで。