自信の置場所
1つ、自分を知ったことが自信となったが、同時に不安も手に入れた。その答えはやっぱり過去にありました。
高校生の時、私は空手道部に入っていた。
稽古が厳しくて、1年後には私一人しか残らず、必然的に部長となった。
同時に、友達付き合いで生徒会にも入っていて、割りと活動的となり、結果生徒会長にもなった。
空手道部部長と生徒会長の両立。
言葉だけ聞けば、誰しも「スゴい❗️」と言ってくれるが、箱を開ければ、中身はスカスカ。
後輩の面倒をよく見ていたわけでもなく、行事を率先して引っ張っていたわけでもない。
まさに張り子の虎。
この経験から、次第に調子に乗って自信過剰となっていき、己を見失い始めていったのは、今でも戒めのように覚えている。
そして、心を軽~く、ポキッとされたのだ。
自信を積み上げる=折れた時の恐怖
この公式が、脳にこびりついて離れていない。
ただ、これを思い付いたとき、こうも思った。
折れるような自信は要らなくね?と。
そう。
中身スカスカの自信を、「調子」と言う神棚に乗せて、後生大事に拝んでたって、地震で落ちたらグシャッとなって終わり。そしてうつ。
しかし、本物の自信は足元に置けば、地震で揺らいでも、例え転がっても、壊れることはないと思う。
自分とコミュニケーションを取るとき、真っ先に過去の栄光を見上げがちだ。
あのときはこうだった。
このときはこうだった。
空を見上げて、取り戻せない過去に思いを馳せるのは、今の自分を卑下しているにすぎない。
だから、自信は足元に置き、迷ったり悩んだりしたときは、ひょいと足元を見て、自分を俯瞰する。
すると、道が正しいかが見えてくる。
人のアドバイスも大事だが、「灯台元暗し」なんて言葉だってあるのだから、きっと答えは自分が知っている。
地に足つけて、自信を積み上げるのは実に地味で苦しいことばかり。と思うが、積み上げた自信が山となれば、いつの間にか理想の自分が居るわけだ。
そうなれるよう、小さなことから積み上げたい。