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感受性をぼやくの巻


よく聞く感受性ということばについて、とりとめもなく書いてみました。

・人との関わりで傷つきやすい
・精神的に疲れやすい
・頭の中がずっと休まらない

というような人におすすめかも?と思います。




さて、感受性。

自分の中では、イメージとしてパラボラアンテナが最初あたまに浮かぶのですが
それをどうにか自在に開いたり閉じたりできたらいいなぁ、と思ったりするのです。

ほかにも

人の感受性がもしアンテナだとしたら、サイズが大きくなるほど感受性が豊かということになるのかな
とか

大きさや規格がたくさんあるとしたら(たぶんある)受信内容がバグったりするのかな
とか

他の人が難なく受信できる信号が、誰かにとっては石つぶてみたいに痛いこともあるのかな
とか

あれ、アンテナが受信するのは信号じゃなくて電波?
とか

とりとめない考えがいろいろ。



そんな中で
「アンテナ常時稼働ってつらくない…?」
と思うようになります。

その時々によってアンテナを開いたり閉じたり、たまにちょっと開いたり、しなやかに微調整するためには一体どうしたらいいんだろうと必死に考えたとき


「なんかイメージ的に花が近いかもしれない」とぼんやり行きつきました。



晴れの日は花びらをきれいに開いて雨の日には少し閉じる

という生き物の本能による絶妙さがとてもしっくりきて

きっと生まれたての頃は本当に花みたいに感受性を開閉できていたんじゃないかな、とも思いました。


それがいつの間にやら開きっぱなしをヨシとする場所にずーっと置かれて

閉じ方を誰かに教わった記憶はほとんどなし

という体感。


義務教育とかで教えといてくれよ……
いや、学校こそ開きっぱなしを強要する場所だったかも??
けどそれなら余計に閉じる美学みたいなのを教えてほしかったよ……


そしたらもう少し楽に生きていけてたんじゃないか、などなど。



人には、ネガティブな物ごとと向き合うとき

感受性を閉じる権利があると思うのです。



相互理解や話し合いから逃げるという意味ではなく

石つぶてや煩雑すぎる信号から心を守る権利はみんなにある。


当たり前といえば当たり前なことですが

わたし自身、そのことにやっと気づけた時からいろいろなことが良い方に変わりました。


・人との関わりで傷つきやすい
・精神的に疲れやすい
・頭の中がずっと休まらない


こんなことが当てはまる方は、

もしかするとご自身に合った閉じ方を探してみるといいかもしれません。



花以外のイメージでももちろん良いと思います。

(イソギンチャク、鳥、たんぽぽの綿毛…などなど)


具体的な閉じ方(わたし流)も何かの折に書いてみたいなぁと思ったりします。




感受性を豊かに

かつ生き物としての防衛本能をたいせつに生きていたいものですね。


推し子


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