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文明開化と昆虫食、あるいは10年で価値観が大きく変わる話

先日、昆虫食の可能性について議論をする機会がありました。

無印良品がコオロギせんべいを発売するなど、少しずつ広まる機運を見せつつありますが

「なんか気持ち悪い」
「どんなに栄養価が高いと言われても、抵抗感が勝る」
「一部の人に受け入れられることはあっても、大衆化するとは考えづらい」

というのが大勢を占めていました。

しかし、あと10年したら昆虫食が当たり前になる可能性があることは、歴史を見れば分かることなのです。

牛を食べるなんてとんでもない

現在、私たちは当たり前のように牛肉を食べています。

しかし、150年くらい前の我々の先祖に「牛肉食べませんか?」と聞いたなら

「なんか気持ち悪い」
「どんなに栄養価が高いと言われても、抵抗感が勝る」
「一部の人に受け入れられることはあっても、大衆化するとは考えづらい」

という、どこかで見たような反応が返ってきたのです。

仏教の教えがとか、牛は農耕に欠かせない相棒なので食べるなんてとんでもないとか理由は色々ついていますが、要するに「なんか気持ち悪い」という感情的なものだったのでしょう。

牛を食べないなんてとんでもない

そんな状況は1859年を機に変わり始めます。
前年に締結された日米修好通商条約により横浜が開港。外国人が次々とやってきて、彼らが肉食文化をもたらします。

彼らの需要に応えるべく続々と牛が運び込まれ、牛鍋屋に代表される料理店も開業します。当初、そうしたお店はガラの悪い客や金のない学生が集まる、あまりお上品ではないお店だったようです。

しかし1870年になると、あの福沢諭吉がこんなことを言い出します。

牛肉も牛乳も栄養たっぷりなのに、穢れているなどと訳の分からないことを言い、毛嫌いする連中が多い。物事の道理の分からぬ愚か者の妄言である。

翌1871年、仮名垣魯文もこんなことを言っています。

身分も年齢も性別も賢愚も貧富も関係ない。牛肉を食わない奴は文明開化に乗り遅れてる。

たしかに彼らはいわゆる西洋事情に通じた、今でいえばインフルエンサーとも言うべき存在でしたが、巷では牛鍋屋が続々とオープンし、一般の人たちも通うようになっていました。
ほんの10年前までは、牛肉食べるなんてなんか気持ち悪いって言ってた民族がですよ。

10年あれば生活は変わる

要するに、そういうことなのです。

いま「なんとなく気持ち悪い」で多くの人が抵抗を示している昆虫食も、10年経ったら当たり前になっているかもしれません。

とはいえ今の私は、抵抗感が拭いきれないんですけどね。次に無印行ったら、試しに一個買ってみようかなあ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 小難しい話からアホな話まで、気の向くままに書いてます。 「スキ」を押すと、これまでの記事のエッセンスやどうでもいいネタがランダムで表示されます。